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【戦士ならここにもいる】全国のプロアスリートへのエール

■コロナ禍の東京オリンピックで戦ったアスリート
■同じコロナ禍の中で戦う地域プロスポーツのアスリート
■あなたの生きている証とは

■コロナ禍の東京オリンピックで戦ったアスリート

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 オリンピック、終わりましたね。一つ気になることがあります。それはかなりの選手達が、「このような状況の中で競技をさせてくれたことに感謝します」と申し合わせたかのようにコメントしていることです。国の内外を問わず、開催の賛否が渦巻いていた状況を思えば、無理もない健気な発言なのかなとも思います。

 ですが…本音を言えば、何も気にすることなく、ただただ己の限界だけを見据えて戦わせてあげたかった。アスリートのアスリートたる戦う本能の赴くままに戦わせてあげたかった…そう思ったのは私だけではないと思います。それが戦士の性(さが)なのですから。

 アスリート達は最後まで諦めず、ベストを尽くして戦った。そして多くの日本人が、例えメダルに届かなかったとしても、オリンピックに至る5年間の苦労とそのファイティングスピリットに多くの賛辞を送った…それでいいじゃないですか。それで私たちは元気や勇気をもらったのですから。

■同じコロナ禍の中で戦う地域プロスポーツのアスリート

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 そうした少し複雑な想いで戦った戦士達のオリンピック、終わりましたね。さて、同じように今競技の出来ることに感謝しながら戦っているアスリート達が、全国いたるところにいます。サッカー、野球、バスケットボール…そうした地域に在するプロクラブのアスリート達です。地域に在するアスリート達も、その地域を代表してリーグ戦やカップ戦を戦い、それぞれの地域の方々の感動を湧き起こし、喜怒哀楽を共にすることで「ここに住んでいて本当に良かった」と思っていただくために、死力を尽くして戦っています。

 皆さん、感動ってどう思いますか?それがオリンピックやワールドカップのような大きな大会だから生まれるものなのでしょうか?私はそうは思っていません。感動とは、皆さんがそのアスリートやチームにどの程度関わってきたかによる、と思っています。オリンピックは私たち日本人の代表として日の丸を背負い戦うという点で、私たちはその戦いの当事者となり、喜怒哀楽は増幅されます。ならば、それぞれの街にあるクラブの戦いは、「おらがチーム」の戦いとして、それぞれの地域の方々が当事者となり、そのチームが必死に戦う姿を見れば同じように喜怒哀楽は増幅されるとは思いませんか?

 私の経験の中で、身近なクラブの戦いに、より強い当事者意識を持ち、そして必死に応援いただける熱心な数多くの方々を見てきました。更に昇格や優勝がかかったりすればなおさらです。そして、目標を達成した時の感動の大きさは、その方が早い段階から戦いのプロセスに参加すればするほど大きくなります。もし、チームが最後まで諦めず、必死に倒れるほどの執念で渾身の力を出して戦っているのであれば、もうどの競技だろうが、どのカテゴリーだろうが関係ありません。あなたは上質な喜怒哀楽に満ちた豊かな時間を手にすることが出来るでしょう。

■あなたの生きている証とは

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 私は今年66歳になります。普段自分の年齢を意識することは殆どありませんが、唯一意識する時があります。それは肉親や同期の仲間の死に直面した時です。その数が増えてきたことに最近気がつきました。老いを感じることはないにしろ、近親者や仲間との別れの辛さは、歳とともに増える…これは避けられない事実です。

 死を前にした大切な人たちは、豊かな感情のほとばしりをまぶしい眼差しで見つめます。笑ったり泣いたり怒ったり…そうした方々からすればお金はただの紙切れ、地位や名誉は下着の足しにもなりません。そして、目標に向かって必死に努力している誰かと喜怒哀楽を共にすることで生まれる豊かな感情こそが、そうした方々には宝物であり、生きている証のように思えてなりません。

 そう思えば思うほど、自分の直ぐそばにいて、自分の豊かな感情を爆発させてくれるアスリートの存在は、自分の人生にとってとても大事な存在だと思えてならないのです。そのアスリート達が、己の限界と向き合いながら戦う姿に自分を投影すること…きっとそうしたアスリート達はあなたの素敵な人生の伴走者になるはずです。

 そんな素敵なアスリートが、あなたの街の直ぐ身近にいます。逃す手はないでしょう。あなたの人生をキラキラと輝くものに変えることの出来る「戦士ならここにもいる」のですから。

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