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プロスポーツ界での移籍と転職

■有期雇用者の移籍や転職
■移籍/転職の決め手
■移籍/転職は「生きている証の再確認」

■有期雇用者の移籍や転職

 note読者の皆様、また私のアカウントをお選びいただいた皆様、新年あけましておめでとうございます。プロスポーツ業界に身を置く者として、昨年同様今年も大変難しい状況が続きますが、そうした中でもスポーツを通じて皆様と生きている証となる豊かな喜怒哀楽をともに出来ますよう、微力ながら全力を尽くして参りますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

 さて、今回は新年=新しい門出にちなんで、タイトルにある内容としました。これ、実は先日私のTwitterで少し触れています。おそらく人ごとではない方も少なからずいらっしゃると思いますので、少し深掘りしてみたいと思います。プロスポーツ界では毎年この時期になると、選手やフロントの人達から移籍や転職についての相談を受けます。選手達からは、特に海外への移籍や引退といったような大きく環境が変わるケース、フロント職員の場合は強化関係の仕事をしている有期雇用者からの相談がほとんどです。

 選手やフロントの契約社員はいずれも有期雇用者ですから、移籍や転職も大方の場合有期雇用契約が前提となりますので、失敗をしますと無職になってしまう危険をはらんでいます。それだけに決断するのにはことのほか慎重になります。相談を受けるこちらの方としても軽々に扱えないものです。ましてや既婚者、家族持ちの場合は一家を路頭に迷わせることにもなりかねませんので尚更です。

■移籍/転職の決め手

 こうした相談を受けると、私は必ず以下の3つのことをアドバイスするようにしています。

・相手に熱望されているか
・権限と責任が明示されているか
・移籍、転職に大義を見出せるか

 いつ無職になるかもしれない有期雇用者にとってサラリーも大事ですが、サラリーは相手の熱意の一部に表れます。あとはその額がこれまでの生活体系にアジャスト出来るかどうかで判断すれば良いだけのことですので、煎じ詰めれば上述の3つがしっかりしているかどうか見極めることがとても大切です。何故ならそれらは全て自身のやり甲斐につながるものだからです。相手に請われ、やるべきことがはっきりしていて自らの権限と責任でやり切ることが出来る、そしてそのことが自身をもってのみ成し得る大義こそ、移籍や転職の決め手となるよ、とアドバイスしています。

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 ではそうした熱意や権限と責任の明示、そして大義というものはどういうところに表れるかについて記しておきましょう。先ず相手の熱意は、真摯な表情や言葉、オファーを出してくる方の職位やスピードに表れます。また、わざわざ出向いてきてオファーレターのような書面提示なのか、電話やメールで済ませてしまうのかというところにも表れるでしょう。次に権限と責任の明示は、相手のビジネスマナーや提示内容の具体性に表れます。またガバナンスのしっかりしている会社ほど明示された内容への責任はしっかり取ってくれますので、決め手として十分認識しておく必要があります。最後の大義についてですが、これは相手の熱意や提示された権限と責任をベースに己が見出すものです。例えば私の場合で言いますと、湘南ベルマーレに移籍した時のテーマは、以前のクラブでかなり親会社の負担を前提とした経営しか出来ていませんでしたので「親会社に頼らない二足歩行の自立経営」でした。清水エスパルスの場合は「静岡サッカーの復権」でした。プロバスケットボールのベルテックス静岡の場合は、エスパルスでの仕事を支援してくれた方々に対して十分な成果を残せないままの退任でしたので「静岡の方々への恩返し」でした。こうして並べてみればお分かりのように、大義というものは決して自身の欲得で決めるものではなく、これまで歩んできた己の足跡の重みを十分踏まえながら、行った先の社員や現場、お客様の幸せに資するものであるべきと考えなさいとアドバイスしています。この大義があれば、どんなに困難な状況の中でも折れずに闘うことが出来ますので、とても大事なことと私は考えています。

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■移籍/転職は「生きている証の再確認」

 思い起こせば、1990年代後半、私が在籍していた日産自動車の状態が危機的状況になった時から、私は上述しているようなことを部下に話していたような気がします。「会社はお前が死ぬまで面倒はみない。会社のためでなく、自分のために会社に貢献しろ。自分を高く評価してくれるところがお前の働くべき会社だから。転職に罪悪感を持つな」と常々部下には話していました。そうした中で、日産が自力でやっていくのが困難になった時でも、私の職場からはあまり転職者が出なかったことは、今でも私のささやかな誇りになっています。

 私が移籍や転職について真剣に考えるようになったのは、1980年代に日産マンとして英国に日産の新しい工場と会社を作りに出向したことがきっかけでした。先方ではフォードを筆頭に名だたる会社から多くのヘッドハントをしながら会社の中枢陣を組閣していきました。当時の「当たり前終身雇用」意識の私には、いとも簡単に歴史と実績のある会社の現職を捨て、まだ満足に動いてもいない会社に来るエグゼクティブ達が不思議でなりませんでした。それでも彼らと一緒に働いていくうちにその理由がよくわかりました。「優秀な社会人ほど転職をしながら生きている証、自身の存在意義の重さを再確認し、大事にする」ことかなと。ですので、安定雇用や仕事の好き嫌いは彼らにとってプライオリティは低いのでしょう。自身が必要とされ、全力をあげて取り組める環境こそが全てなのかなと、彼らと一緒に働いて強く印象付けられた次第です。そうした過去の教訓がありましたので、今の私は単年契約で、複雑困難度の高い危ない仕事でも、それが自身の生きている証たる大義が見えるものであれば、喜んで安定など捨てるでしょう。

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 英国赴任を終え、帰任の途につくニューカッスルの空港で、作業衣のまま車を飛ばして見送りに来てくれた当時の上司との写真…「お前にその気があるなら日本の日産を辞めて、こっちの日産で俺とやらないか」当時は極上の送辞とありがたく受け止めたものですが、今こうしてプロの世界で20年近くやってきて、あの時の言葉をあらためて考えてみれば、それは送辞ではなく、熱心な転職の勧めだったんだなと思えてきました。今となってはToo late ですが。もし、あの時、英国日産に転職していたら…日産連結のマリノスではなく、もしかしたら英国日産にほど近いサンダーランドAFCでプロをやっていたのかもしれませんね^ ^。

 ジーコさんがなんでfar east Japan の鹿島に来てくれたのか、というのもこういうことなのかなと。3つの条件が、特に3つめの「日本サッカーのレベル向上という大義」があったのかなと、勝手に納得している次第です。故松田直樹選手が上位カテゴリーのオファーを蹴ってまで松本山雅に行ったのも同様の大義があったのでしょう。さて、皆さん、人生は思うほど長くありません。どうか皆さんも生きている証にこだわって日々を送ってください。

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