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creative notes #1

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#watanabeani

在日のツイート。

在日のツイート。

#在日のツイート
というハッシュタグ。Twitterに差別的な人が作ったタグだけど、出自には関係なく日本に在住している人のすべてを表す言葉だから、無意味であると誰かが言い出した。

そしてなぜか「美味しいモノ」の写真を貼ってツイートする動きになり、たくさんの旨そうな料理やスイーツが並ぶ。これはヘイトに対するカウンターとしてはとても品がよく、レイシストの馬鹿さ加減を笑う仕組みになっている。画期的だと

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「新しい行動様式」

「新しい行動様式」

先日、ある人たちと食事をしていた。

まだ早い時間だったが、その中の初対面のひとりの女性が「そろそろ私は帰ります」と言う。俺が「何か用事でもあるんですか」と聞くと「私は別にコロナに感染しても構わないんですが、自分が選んだ人たち以外から感染するのは嫌なんです」と言った。

俺はこういう率直な人が好きだ。雰囲気が悪くなるからその場にいるというような「消極的選択」をしがちな人は、よくないことが起きた後で

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「内なる批評家」

「内なる批評家」

大好きなシェフが自分の店を開いて、あっという間にミシュランの星を取った。まだ行けていないんだけど、時々アップされる美しい料理の写真を見るだけでため息が出る。

能力の基準には「客観的評価」と「自己申告」があって、ミシュランの星が料理人を判断する材料として完璧だとは言わないが、ある程度の目安にはなる。それは結果というより目指している方向の正しさじゃないかと感じる。

最終的にどんなことをしたいか、今

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20代の若者がJALのファーストクラスに乗った話をしていた。「どんなものか一度乗ってみたかったが、また乗るつもりはない」と言ったのが印象に残る。
どんなことでもやってみなければわからない。野球の試合を一度も見たことがない人が、「野球ってつまらない」って言っても何の意味もないから。

おっさんは気持ち悪い。

おっさんは気持ち悪い。

おっさんというのは、そもそも「醜い存在」だと意識して行動しないといけない。ジェンダー論でもジェネレーション論でもない。おっさんはそれらから独立して、単に気持ち悪い存在なのだとわかって欲しい。

先日、ソーシャルメディアで、ある若い女性のファッションについての投稿を見た。薄手の柔らかい生地でカラダにぴったりしたラインの、美しい服だった。

「素敵な服ですね。似合っています」「私も欲しくなりました」な

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弱い人と強い人。

弱い人と強い人。

社会的弱者という、すでに強い人の側から言っている言葉が好きじゃない。強いか弱いかは本人が一番よくわかっているから、他人を指さして「あなたは弱い」という必要はまったくないし、あなたより遙かに強い立場の人から「お前だって弱いくせに偉そうに」と言われる覚悟はしておいた方がいい。

つまりそれは絶対的な数値ではなく、相対的な感覚だ。感情といってもいい。心の安定を求めるために「自分より弱い立場の人を下に見る

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昔NYのタクシー運転手に「お前より一便あとの飛行機でNYに着いたヤツからは、先にいたお前もNew Yorkerのひとりに見えてる。だからそう振る舞え」と言われたことがある。

場所にかかわらず、今でもその教えを守っている。

最低でも100回やって初めて、結果を「パーセンテージ」と呼ぶことができる。同じ撮影は二度とないから失敗したり成功したりしながら、おはようございます。

自分の能力に対する親バカ。

自分の能力に対する親バカ。

『ロバート・ツルッパゲとの対話』を書いて一番スッキリしたのは、「ビジュアルとは言葉である」という、映像の文学性について言及できたことだ。

言葉を意識せずに写真を撮ることができないのは、科学的な事実だと思っていたんだけど、そこに「温度」「情念」「言葉にできない」みたいなシュガーコーティングをほどこすオカルトな人がいる。

もちろん、映像で温度や情念も描けると思うんだけど、ビジュアルは言葉の定義に隷

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友人の定義。

友人の定義。

隣のケンちゃんとは遊んじゃダメよ。
 どうして、ママ。
バカがうつるからよ。

 じゃあボク、誰となら遊んでいいの。
お向かいの、賢いタケシくんと遊びなさい。

さて、タケシくんのママは、彼と遊ぶことを許してくれるだろうか。タケシくんのママも同様に、「バカがうつるから」と言うに決まっている。

つまり、自分より賢い人と付き合いたいと思っても、その人は自分よりさらに賢い人と遊びたいのだ。これを「何か

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雨の日に行くコンビニ。

雨の日に行くコンビニ。

写真を勉強している人から「写真を教えて欲しい」と言われた。

俺は勉強する人が好きなので、教えるなんていうのは僭越だけど、疑問に思うことがあれば答えると言っておいた。学ぶ人は、悩むことができる人だ。自分に何かができないということがわからなければ、進歩はない。

こういうときにいつも感じるのは、天性の才能とか持ち前のセンスなどではなく、どんな分野においても、「今までいかに勉強してきたか」に尽きると思

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他人とは誰か。

他人とは誰か。

「自分と関係ない人とは、出会わなくていい」という言葉を聞いた。

これは冷たいように聞こえて、そうじゃないことが伝わってきた。何かの決断をするとき、他人の名前を出す人がいる。「親が」とか、「友だちが」とか。親は他人ではないだろう、と言う人がいたら、もうそれは毒されている。

自分ではない人は「他者」だ。親でも配偶者でも、「自分ではない」と認識できないと始まらない。愛情の問題とは別だ。

「親がそう

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ガイジンの握った寿司。

ガイジンの握った寿司。

パリの小林圭さんの「Restaurant KEI 」がミシュラン三つ星を獲得した。素晴らしい。フランス人はいい料理を作るなら料理人の国籍などはまるで気にしないから、日本人シェフがたくさん活躍している。

東京で外国人が天ぷら屋、寿司屋などをやることはほぼ考えられない。そもそも外国の料理を学ぼうとする外国人が少ないからという理由もあるけど、大部分は客側の排他主義だとしか思えない。

おそらく、「ガイ

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家庭用と業務用の言葉。

家庭用と業務用の言葉。

ブリゴキには、家庭用と業務用がいる。黒くてデカいのと、薄茶色くてカラメル味の方。俺はカミングアウトしちゃうけどブリゴキが苦手なんです。人生の中で積極的には関わりたくないと思っている。駅を出た瞬間から脱線しましたけど、本題は「家庭用と業務用」について。

8年くらい前、「音楽をやっている人は面白いことが多いが、コピーライターの言葉のセンスは業務用だから、あまり面白くない」とTwitterに書いたこと

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