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男惚れする格好いい男たち⑧ vol.150

今日は随筆風に。

飲み会のシーズンである。

昔から酒は人心の潤滑油として、主に交渉の場にも用いられてきたし、世の鬱屈を霧消する手段としても愛用されてきた。

あるいは酒席において大きなプロジェクトをまとめ上げ、立身出世した者もあるであろう。

そうかと思えば度を過ぎて失態を演じ、酒で身を持ち崩す者もあったに違いない。

幕末、全国から草莽の志士が京都に蝟集した際、幕府を倒す計画をこうした酒席で画策することが多かった。

現在の飲み会の慣わし同様、まず会衆した者たちの友誼を結ぶための宴を一次会として、酒量が進むといよいよ本題とばかりに秘密裏の体裁をとって密談を行う。

当然のことながら、一次会という友誼の場には宴を取り持つ芸妓がいて、明日の命をも保障されない志士たちは束の間の饗宴を芸妓と共に堪能する。

幕末の志士たちはこうした酒席の場を大いに活用し、『幕府何するものぞ!』という気を発し続けたのである。

また、諸藩出身の志士たちと情報交換し、議論を戦わせながら、常に身と心を剣を撫するがごとく戦慄させていたのである。

そしてそこには、酒と議論と芸妓の存在があった。

激動の幕末を生きた志士の背後には、陰でそれを支えた女がいたし、特にその中には芸妓が多い。

伊藤博文や井上馨の芸妓好きは有名だし、高杉晋作、桂小五郎にあっては、彼らの人生において極めて重要な意味を持つ芸妓の存在がある。

中でも、桂小五郎と幾松。

当時桂は、長州という幕末における火薬庫ともいうべき役割を果たす藩の中で、枢要な地位を占めていた。

第一次長州征伐の直前、幕府に刃向かい薩摩と対峙する中で中央政界での地歩を失うと、藩内の幕府恭順派である俗論党が再び台頭する。

攘夷倒幕派の領袖だった桂は、その地位を追われ失意の中で露命をつなぎ、再起を期すことになる。

そんな桂を献身的誠意で支えたのが、当時桂と縁のあった芸妓・幾松である。

一方同様に、上記俗論党が長州藩を支配していた頃、高杉晋作は愛妾・おうのと共に長州を出奔、道中、女道楽で商家を勘当された若旦那という風情を作り、九死に一生を得て虎口を脱することになる。

かつて長州藩が今にも幕府を倒さんという勢いのあった頃、京都における政界工作のため、凄まじいほどの金を使った。

そのため一時期京都の地域経済が非常に潤い、当時の幕政批判も相まってとりわけ町人を中心に長州の人気が高まっていった。

長州が政界工作に失敗し京都を追われてからも、長州人気は衰えず、窮地に立たされる長州人志士を我が身の危険も顧みずに、陰に陽に匿うという義侠心のある者も多数出てきた。

桂の地下生活を献身的に支えてきた幾松という芸妓もまた義侠心のある女だったのである。(続く)(終)

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