自分の未来を考えてみよう 【美容師はアーティスト】 後編
〜美容師を目指す若者へ、現役美容師からの応援メッセージ。〜
現役美容師さんから「はたらくこと」「ぼくたちができること」をテーマに、お話を伺いました。
美容師さん一人ひとりから、
美容師として、
社会人として、
一人の人間として、
伝えていくこと、教えてあげたいことをお伝えしていきます。
(ハタラク ビヨウシゴト ノート)
No.2 南田稔さん ~後編~
(salon Vijin newyork 夙川) 兵庫県西宮市
ニューヨークやアトランタ、兵庫県の夙川や奈良県で美容室を経営する南田稔さん
美容師の可能性を信じ、美容に夢を持ち続ける南田さんにお話を伺いました。
アメリカ生活
〜一からのスタート〜
言葉もわからないし、人種差別もあった。
最初の3年間ぼくは透明人間になって多分このまま空気になるかもしれないと思った。
自我というプライドを棚に閉まって、鍵を閉めて、その上からセメントを塗った。笑われることばっかりだった。
毎日の様にGo home!って言われる。日本に帰りな!ってことなんだけど、ぼくはアパートに帰りなさいって言われてるんだと思っていた(笑)でも日本に帰れ!と笑われていると気づいた時に「あ、自分の求めていた環境、また考え方は間違ってなかったな」と“ここに来て良かった”と気づいたの。
ここで正解だ!よし!今に見てろよ!ってね。
ぼくがアメリカでグリーンカードをとって店を出す!って言ったときもみんなが笑った(ぼくは笑われてばっかりだ!)
お金もないのにどうやってやるの?言葉もまともに喋れないじゃない!?って。
アメリカに渡って3年目くらいだったかな、ほっとけ!と思ったけれど。それはそう思われても仕方ないよな、とも思っていた。
でもぼくには立てたプランがあるからね!
それに沿ってやるだけ。
さっきも基本技術が大事だと言ったけど、ぼくは身につけてきた正確な基本技術とニューヨークで学んだサッスーン技術をベースに再現性のあるカット技法を編み出したの。より家でも手入れのし易いカット技法。その人のライフスタイルや顔に似合うデザイン、シルエットのつくりかたを考えたの。
そして、7年目にしてぼくは自分の店を出した。ニューヨークのマンハッタンのティファニーの側に。
その時には行ったもんね!ぼくを笑ってたやつらのところに「おれは店をだした!」って言いにいったもん(笑)
ほんとに、ほんとに。ぼくらの時代はいじめられたからねぇ。それでも黙々とやるしかない状況だった。
親からは餞別ももらってるし、後輩からは「後に続きます!」なんて言われてるし帰る場所がない(笑)
笑われる度に、自分のやってきたことが正解だと証明したかった。後ろを向く余裕なんてないの、前しか見れない。
そしてぼくは店を持った。
店を出したときは「世界中の女性を美しくしたい」って思ったし掲げたスローガンは「より若く、より美しく、より楽しくそしてより夢を」だったよ。
経営者になる
〜三方良し〜
ぼくの経営理念は三方良し
お客さまのため
社会のため
働く仲間にため
理想を追うと儲からないんだけど(笑)儲けようと思わないことだよね(笑)
美容師って高い授業料を払って時間をかけて勉強するのだけど、お給料は安い。これっておかしい。
自分が店を出す時には同年代より2〜3割は高いお給料を渡せるようにしたい。
友達より高いお給料をもらってはじめて「やっぱり手に職だね」って言われる。
そういう店作りをしたいとずっと思っていた。
松下幸之助さんとか本田宗一郎さんとかの本をずっと読んでいたの。あの人達は常に客観的に見ているし、私欲のために会社をやっていたわけじゃない。
ぼくもビジネスというのは自分のためよりも社会貢献のためのものだと思っているよ。
ニューヨークでお店を出したのも、これからの日本の美容師たちの受け皿になりたかったという思いも大きかったの。ぼくが渡米した当時、受け皿となってくれるサロンがあってそのおかげで長期滞在が叶った背景があったから、ぼくはニューヨークに来られて長く残れた以上、ここでできることをしようと思った。
社会貢献
〜ぼくにできること〜
何度か言ったけど、はじめて働いた美容室のオーナーが
「美容師は社会貢献できる仕事だから同じ技術を覚えるなら最高の技術を覚えなさい」と言ってくれてたの。
最高の技術とは自信のある技術のことだなぁこれは自分の目指すものと同じだな、よし!やってやろうと。
でもね社会貢献ってなんだろう?お客さんが喜んでくれると言ってもそれはビジネスだし…社会貢献ってなんだろう?ってずーーーーぅっと分からなかったの。アメリカに行ってからもその答えをずっと探していた。
アメリカで井津建郎というカメラマンと仲良くなってね、彼がカンボジアで小児病院を作ったりボランティアを始めたの。
ある時彼から「稔ちゃん、ボランティアでカンボジアに来てくれないか?」と誘いがあったの。
でもぼく医者でもないし何もできないよ?と言ったら「いや、そうじゃないんだ。病院に来てもらっている外国のお医者さんや看護師さんたちの髪の毛を切る場所がなくて困ってるんだ」ってね。
あぁなるほど、ボランティアに来ている人達のボランティアかぁ
これも面白いなと思って“いいよ”と答えたの。
まぁ素直にいいよと答えたのはには訳があってね、井津建郎がその5年くらい前に、「ボランティアをやりたい」と言う話をしてきた時に、ぼくは彼のやることを批難したの。
「金もない時間もない建郎さんがやることじゃないよ」ってね。
でも彼は「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー」という組織を立ち上げて病院を作ったんだよ!ぼくは悪いことをしてしまったなぁと反省したの。彼を批難したことをね。
だからもし何らかの形で彼から手伝ってと頼まれたら二つ返事で答えようと決めていたからね。
彼の理念とぼくの考えも合っていたし、10年をひとつの目処として考えているってことだったから“継続は力なり”を信じているぼくは「よし!じゃあ10年付き合おう!」と決めたの。
2000年に初めてカンボジアに行った。
カンボジアの人達は変わったスタイルにしてほしいんじゃなくて、ただ切ってほしいってことだから、一人30分もあれば十分終わるなと考えて1週間で100人くらい切ったの。そしたら腱鞘炎になっちゃって(笑)
なのにね、帰国するとなんか清々しいの。達成感と使命感を感じられてね。
普通だったら疲れて腹が立つくらいなのに(笑)
自分でも不思議だな〜って思ったの。
それでフッと“社会貢献出来る”ってことを思い出したの。
25年目にして!「あーこれだったんだぁ…社会貢献できる技術と職業って」ってすごく納得できた。
それから毎年カンボジアに行くようになって、そのうち一人では無理になってきて。
周りの人に人集めの協力をお願いしたの。そして、ぼくの私設ボランティアができて。あ、無責任団体ね(笑)
全国で60人くらいのメンバーがいるんだけど。自己犠牲の上に成り立つ活動という考え方なの。お金も実費、休みも自分の有給、向こうで病気をしても自己責任で対応してもらう。
無償の愛の活動だと思っているから。静かに行って静かに帰る。
向こうで要求はしない。足りないものがあるとか、だから出来ないとか、用意してくださいとか言わない。
行った時と同じ状態でキレイに帰ってくる。
活動の幅が広がって今はラオスに行ってるんだ。
約束の10年が過ぎて、今18年目。辞める理由がないからね(笑)
ぼくが年をとってきたから、いつまで出来るかわからないけど、これから若い人達が後を続けてくれるかもね。
家族
〜だからがんばれる〜
家内と息子はアメリカで暮らしているんだ
結婚する前に彼女には70歳までの人生プランを話していたから、今でもそれについては「言ってることは変わってないし道もぶれてないわね」って言ってくれる。「ただ道はぶれてないけど、スピードはかなり遅れていますね」なんて言われるの(笑)
忍耐強い奥さんで良かった。普通の人なら3回くらい離婚しれてるよ(笑)
ぼくはね、義理の親ととても仲がいいの。相手の親もぼくを応援してくれているし、お互いに大切にしてるんだ。(これは結婚生活を上手くいけせる秘訣だよ!)お嫁さんを大切に思うのだったら相手の親も大切にすること!
それがお嫁さんを喜ばせるんだから。
毎年、母の日にはお義母さんに花を贈るんだ。これはアメリカで学んだの。
想いは形にする!ということを。
アメリカでは態度で示さないとダメなの。
だから、家内にもお誕生日には花を贈ったりね。そうしたら花よりもお金をくださいって(笑)お嫁さんになると現実的です(笑)
女の人がちゃんとしてくれるから家が回るしね。
とても助かっているの。
ぼくにお金を持たせると全部ビジネスに使っちゃうから。
美容師とセンス
〜美容師の進化〜
スタッフにもよく言うんだけど、美容師は豊かな生活のためにしっかり稼げるようにすること。
これはニューヨークで学んだんだけどアメリカで稼げる美容師っていうのは、それはそれは素晴らしい生活をしているんだよ。まだまだ日本の美容師でそんな優雅な生活ができるのはほんの極々一部の先生だけだけど。
アメリカではオーナーよりも美容師が優雅な生活をしているの。
アメリカ人はとても頻繁に美容室に行くからね。文化が違うの。
日本は形を作るというと、MAKEだけど、アメリカでは創るCREATEなんだ。MAKEは技術で作れるけど、CREATEはセンスだから、センスを磨く努力が本当に必要になってくる。
日本でもこれから10年後のお客さまが求める美容師の技術っていうのはCREATEなセンスの部分が必須になってくると思う。
テクニックの勉強ばっかりじゃなくて感性であったり、インバウンド時代に対応するための語学力。
英語だけじゃなくて自分の興味のある言語なら何でも良いと思うんだ。
周りの美容師が“持っていないものを持つ”必要がある。
同じ技術、同じレベルの美容師がいるとして、片方は日本語だけ、もう片方は他の言語も喋れて対応ができる。
どっちにセンスがあってチャンスがあると思う?
ぼくら美容師側から見れば技術レベルの違いってよく分かるけど、一般の人にはそんなところまではよくわからない。
少しでもイメージを良くしてセンスを磨くことが大事。
いくら技術があってもセンスがないとやっぱり下手だもん。
これからは、ヘアスタイルに関しても「お伺い型」から「提案型」美容師を求められるようになるだろうし、ヘアケアという意識ももっと高まると思う。健康志向も強まると思うし、10年後20年後に求められる美容師を目指して学びを続けてほしいと思う。
ハタラクということ
〜仕事が趣味〜
ぼくにとって働くということは…趣味なんだ!
本当はね、仕事を趣味にしたくなかったの。
趣味は?と聞かれて仕事っていうのだけは嫌だと思って(笑)
ゴルフをしたりテニスをしたり趣味を探したんだけど、全然仕事ほどハマるものが見つからなかった。努力はしたんだけど(笑)
でもね、ある時京セラの稲盛さんがね、
「趣味は仕事!と言えるやつは幸せなんだ」
と言ってるのを聞いてね。あ、ぼくは間違えてなかった!と安心した
だから仕事が休みに日でも店に来て企画とかいろいろ考えてるよ
しあわせだよね
美容師を目指す人達へのメッセージ
〜美容師はアーティスト〜
美容師にはこれからもっとセンスが要求されるようになる
過当競争の先にあるものだと思う。
たかが美容師からされど美容師へ進化していく。
センスを磨くには何よりも“環境”が大事になるよ。
生活センスを身につけるということがポイントだよ。
そう美容師は生活センスを身に着けないと!
生活臭が出すぎちゃダメなんだ。
一番お金をかけるのは住むところ。
アメリカに渡った時も住むところにはお金をかけろと言われた。
無理やりにでもドアマン付きのアパートで暮らせ!と言われたの。
ドアマンってね、タクシーのドアも開けてくれるし荷物も持ってくれるの。
そんなことされたら格好つけるしかない(笑)いやでも背筋が伸びるよね。
それに、良いところに住むということは良い人たちと出会うということなんだ。そのアパートの中でね。着ているものを見るだけでも刺激になるよ。その辺りのカフェでもやっぱり違うからね。
環境というのは美容師にとっても大事なものなの。美術館巡りをしたり、本を読んだり、旅行をしたり、教養を深めることは美容師にとって大切なこと。
テクニックばっかりに固執するよりも生活センスを磨いて良い人と付き合うようにすること。同じレベルの人よりも、自分を引き上げてくれそうな人と付き合うこと。
そうそう、自分を上に引き上げてくれそうな人がね、可愛がるのは“できるヤツ”ではないんだよ。“ロマンを語るヤツ”なの。
なぜかというと、もともとみんな普通の人なの。カルバン・クラインにしたって。もともとは普通の人だったけど自分が這い上がっていったから、若くロマンを語る人を見れば昔の自分を思い出すわけ。
だから応援したくなるんだよ。
昔はね、アメリカは勉強をしに行くところだった。
学ぶ場所だった。
でも今、技術レベルでは日本はとても良くなってきている。
アートの世界でも音楽の世界でも、“日本人って凄い!!”って思ってもらえるようになってきている。
日本人の美容師のレベルも昔と比べると本当に高くなっている。
だから今はもう海外は学びに行く場所ではなく、“挑戦する”場所になっている。チャンスをくれるから。
日本人はすごい認めてもらえているんだよ。
向こうの言葉ではRESPECTと言うのだけど。
日本人はRESPECTしてもらえる。
だから言葉さえ話せれば入っていける!言葉さえ話せれば、ぼくらの時代よりも数段早く上に駆け上がっていける。
外の世界に出ると既成概念が打ち破られるから、それは今の日本の若者にとっても、良いことだと思うよ。
何よりも大事なのはゴールをしっかり持っておくこと。
ゴールが適当だったらブレちゃうよね。
逃げだしちゃう。
そして、落ち着いた頃に“もったいないことをしたな…”って思うの。
そんな経験あるでしょう?
時には突風みたいな雨風がくるからね。
つまずいた時にも
「これは、自分の夢や目標を達成していく通り道で起こったことだから、これを乗り越えることで夢の方向に行くんだ」と思えること。
乗り越える意義があること。
それでも耐えよう!と思える理由があなたにあるかどうか。
それが大事なんだよ。
南田 稔
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制作:hic
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