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がれきに埋もれた被災地 10年に及ぶ記録と記憶 「復興はできるのか」 コンサルが見た震災㊤

 総合建設コンサルタント業の(株)ドーコン=本社・札幌市=が東日本大震災直後から石巻市で遂行してきた復興支援事業は、この5月で終了を迎えた。石巻市街地復興工事調整会議の運営支援や南浜津波復興祈念公園の基本設計など、復興事業を縁の下で支えてきた。震災から11年が過ぎ、ドーコン石巻分室=同市立町=では責任者の今野亨さん(59)が残務整理をしながら復興の日々を語った。ともすれば市民よりも石巻を知る人。そのまなざしは新たに生まれた地域の魅力はもちろん、石巻の未来もしっかりと見据えていた。

■石巻分室の責任者

 コンサルトとは「相談する」の意味。コンサル会社は顧客の課題解決策を提案、支援する役割を担う。「現場を知らないコンサル任せは良くない」と偏見や批判の的になることもあるが、その詳細はあまり知られていないのが実情だ。

 国内の建設系コンサル会社の多くは戦後に誕生した。東京や大阪、名古屋など大都市が空襲などで壊滅状態となった時。復興に行政の力だけでは足りず、それを支援する形でコンサル企業ができたという。

 ドーコンは、昭和35年、戦災復興ではなく北海道開拓を目的に生まれた。現在は国内屈指の業績で、道路や河川、農業、建築、公園緑地、都市計画など広く社会基盤の整備に関わっている。

 今野さんは同社東北復興推進室のグループ長として、石巻分室の責任者を務めた。コンサル会社の存在意義を問うと「行政の建設屋さんの下請け」と砕けた表現を使うも、すぐさま「国や県、市などが発注する土木や建設・建築工事について調査、計画、設計、施工管理を行う仕事」と説明した。

復興に携わった日々について振り返る今野さん(右)と、
ともに支援業務を成し遂げたドーコンの菅野礼次郎さん

■8カ月滞在が10年に

 震災後、今野さんが石巻市に来たのは平成23年4月20日。被災地支援を模索していた同社の先遣隊だ。下水道の被災状況調査が主な目的だったが、市街地を埋めるがれきの中で、行方不明者を探す市民や自衛隊の姿が目に飛び込んできた。「復興はできるのか」。調査目的とは裏腹に懐疑的な気持ちがどこかにあった。

 先遣隊に選ばれた理由はもう一つあった。平成の大合併を翌年に控えた16年、石巻市と桃生郡の6町の道路や公共施設の再編を調査・検討する国の業務があった。その受注企業がドーコン。調査内容を提案し、管理技術者となったのが今野さんだった。

 被災前の市街地、沿岸や内陸を車で走り回った経験から「(今野なら)石巻を知っているだろう」と、被災状況調査の先遣隊として白羽の矢が立った。今野さんは「桃生郡などの記憶は薄れてきており、深く知っているという状態ではなかった」としつつも、テレビで被災した石巻市の様子が流れると、震災前の美しい風景、人の優しさ、方言などが鮮明によみがえった。

 先遣隊の任務を終えた今野さんは再び本社業務に戻ったが、それから約1年後、直接的に石巻に関わることになった。復興計画を具現化するための実施計画を作成する調査業務だ。それを受注したコンサルJV(共同企業体)にはさまざまな能力が求められ、都市計画関係の技術者を探していたところ、今野さんにたどり着いた。

 24年度末までの8カ月という約束で石巻の地を再び踏んだ。働き盛りの49歳。「派遣職員」という技術者としては実績にならない立場での職務だったが、石巻市の震災支援ということから要請を承諾。結果的に10年に及ぶことになるとはまだ知るよしもなかった。【秋山裕宏】




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