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民間住宅を公営住宅に 「石巻モデルの復興事業」 コンサルが見た震災㊥

 石巻市で約10年に及ぶ復興事業を支え続けたコンサルタント業の(株)ドーコン=本社・札幌市=。石巻分室で責任者を担った今野亨さん(59)は当初、技術者不足を補う他社への派遣社員として石巻を訪れ、復興計画の事業化作業に明け暮れた。その中で常に頭にあったのは財政再生団体となった北海道夕張市での仕事の経験。将来の人口減少に対応した既存の土地や建物を活用した復興事業という、一見地味な取り組みの必要性を感じていた。

■将来の空き家リスク見据え

 今野さんが石巻市で腕を振るい始めたのは平成24年。業界では行政プロポーザルなどに参加する際、過去に携わった業務が実績として評価されるが、派遣業務は公的な記録に残らないため、技術者の実績としては空白の期間となる。

多くの人の思いが交錯しつつ進められた復興事業。
石巻の中心部は、将来にわたって注目され続ける場所になる

 「石巻とは縁があったが、なぜ自分が(派遣職員なのか)」。腑(ふ)に落ちない時もあったが、やがてこの考え方が変わった。当時、JV(共同企業体)事務所で働いていた石巻市の女性たちがいた。常に明るく笑顔で仕事をこなす存在だったが、あるとき、震災の津波で家族を失った事実を聞くことになる。

 「あのショックを忘れられない。石巻ではつらい経験を表に出さず、頑張っている人たちが山ほどいる。私も仕事は忙しかったが死ぬほどではない。石巻のためにしっかりやらなくては」と自らを鼓舞。復興計画の実施計画に携わって2年が過ぎ、ここでの生活にもだいぶ慣れてきた。

■建てるより既存活用

 新しい事業が舞い込んできた。民間賃貸住宅の空き住戸を借り上げて復興公営住宅にするという復興事業では国内初の取り組み。阪神淡路大震災を経験した兵庫県からの支援職員などの発案で事業化されることになり、その支援業務をドーコンが受注した。

 既存住宅が使えれば新たに土地を求めて建てる必要もなく、入居速度も上がる。人口減少が進む地方都市では新規の団地造成による将来的な空き家を防ぐことも期待された事業だった。

 「早期生活再建と事業費の抑制のために復興公営住宅を建設せずに確保するという発想」と今野さん。被災者の満足度を担保しながら政策的にも効率よく住居を確保できるはず。財政破綻した北海道夕張市などの支援業務経験から、将来を見据えた上でも、この事業の有効性を強く感じていた。26年に基本調査、27年に制度化されて被災者の入居が始まった。

■交渉に労惜しまず

 市内の復興公営住宅は4456戸整備されたが、民間賃貸の借り上げ制度の対象は結果的に73戸。決して多い数ではなかった。今野さんは「全体のわずか1.6%。もっと早く取り組めれば石巻の空き家リスクを減らせたかもしれない」と現状と照らし合わせた。

 一方では「今後、民間賃貸住宅の多い都市や平地の少ない場所で災害が起きた場合、石巻モデルとして使える復興事業」と語り、モデルケースとして大きな手応えも感じていた。ただしここに至るまでは国内初の前例なき事業だけに、手探りの日々が続いた。

 同社副主幹の菅野礼次郎さん(47)はこのとき、石巻分室のメンバーとして今野さんとともに多岐にわたる業務に向き合った。順を追えば不動産業者とのマッチング、現地調査や相談会の開催。応募住居が公営住宅に適しているかの確認、家賃協議、契約書類整理など。内容を細かく確認し、事業の終着点となる入居者公募までつなげた。

 「空き住宅を使うという分かりやすい発想だが、時間と交渉力を要す。行政はこれに労力をかけにくいため金がかかっても建てる方向を考えるのかも」と菅野さん。「更地へ団地を造成すれば誰からも文句はでない。だが、人口が減る中で空き家が増えるのは事実。被災者救済は最優先だが、そこに将来的な無駄が生じてもいけない。この事業に関われて良かったと思う」と語った。

 8カ月の期限付で24年に石巻に赴任した今野さんだが、すでに4年の月日が流れた。自らのキャリアを重ねるというより、仕事にのめり込むほど「石巻の未来のために」という思いが強くなっていた。【秋山裕宏】




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