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「老舗の底力と創意工夫」 ②課題 お客は自分でつかまえる

 いしのまき元気いちば=石巻市中央=の向かいに店を構える料理屋「松竹」は、8月から店先にテークアウト専門の窓口を設けた。「コロナ禍で離れたお客が戻ってくるのは難しい」と考えたからだ。集客という課題は、自ら客に近づくことで解決しようと動いた。

 売り上げ的には「まだまだ」というが、震災後、仕出しや総菜作りでいち早く復活を遂げたノウハウや味には自負がある。これからの構想にもつながるテークアウトは、店の一つの柱になりうる。

 14代目社長の阿部久利さんが、亡くなった父から店を引き継いだのは、30歳の時。病気の父を支えるため、修行先の東京から予定より早くUターン。「思うようにやってみろ」と背中を押され、ベルギーの建築家の卵を起用して店舗を大胆リニューアル。当時は珍しかったワンプレートランチを提供して、大人気となった。

 その後、もう一度リニューアルし、ケータリングの専用キッチンを増設して店舗と店外の両輪で運転していこうという矢先、震災に見舞われた。今回のコロナ禍で、外向けの食にもう一度本気で向き合おうとしている。

かつて保有していた千石船の模型と松竹・阿部社長

 震災後、石巻駅前に新築した日本料理店「大もりや」の看板が上がった時、近所の住民は大喜びしたという。明治26年創業の同社の看板の書体は、昭和30年代のもの。目に焼き付いている人も多いはずだ。昔から商売を変えずにビルを守っているのは、駅周辺では大もりやだけになった。

 松竹同様、最大の課題は集客である。こちらはメニューを見直し、すしの提供はやめることにした。海鮮の具材はリスクが大きい。また、コロナ禍で宴会や団体客の利用がほぼ全滅。回復が見込めないことから、個人客や少人数のマーケットに絞り込むことにした。

 5代目社長の大森信治郎さん(66)は「スタイルを変える一つのきっかけと思ってる」。戦時中の駅前からの強制疎開、昭和49年の火災など危機的状況を乗り越えた歴史があるからか、迷いはない。

 「料理屋は献立を持っているというのが一つのたくわえ。震災後に、昆布を利尻の物に変えてマイナーチェンジをしたり、いつでもバージョンアップを考えてきましたから」という。コロナ後を見据えた具体的なメニューも考案中で、年明けにも提供したい考え。さらには、仲間と組んだ大きな仕掛けも動き出そうとしている。お客を取り込む工夫は、頭の中ではできているようだ。【本庄雅之】


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