高卒後すぐに石巻移住 出会い感謝 何か恩返しを 元地域おこし協力隊 武井友佑さん
東日本大震災は津波が押し寄せた東北沿岸部だけでなく、都会で暮らしていた人の人生を変えた。東京都調布市出身の武井友佑さん(21)は高校卒業後、進学せず石巻市に来て働くことを選んだ。
武井さんは震災当時、調布市の小学4年生。学期末のクラスのお別れ会で、友だち同士で腕相撲している時に大きな揺れが襲った。全員でいったん机の下にもぐった後、校庭に避難。プールの水が波打ち、あふれていた。
都内は震度5弱。武井さんらは「こんな体験はめったにないから紙に感想を書こう」という話になり、教室に戻ったが、再び大きな揺れがあり、下校することになった。
自宅の集合住宅は地震を避けて住民が下に集まっていた。共働きの両親が帰ってくるまで、上の階の住人が面倒を見てくれ、武井さんもその家の小さい子を世話して時間をつぶした。母親が迎えに来て自宅に戻り、つけたテレビが最初に映したのが津波の映像。武井さんは母親に泣きながら抱き付いていた。
街が流されていく映像は頭に残り、間もなく募金活動も行った。中学3年の時、先輩の誘いで地元NPO法人の復興支援活動に参加。高校1年からプロジェクトのツアーで石巻を訪れるようになると、「もっと知りたい」と思うようになり、貯めたお年玉などで個人的に通い始めた。
高校卒業後は興味があった演劇の専門学校に行くつもりだったが、転機は高校3年の夏、石巻川開き祭りの初日。夜行バスで早朝の石巻駅前に降り、トランクを引いて宿泊先まで歩いていると、掃除をしている高齢の女性に話しかけられた。「どこから来たの」。しばらく話し込むと、地元と似た空気を感じた。それは人の温かさ。「この街なら社会人1年目を迎えてもいい」と決意した。
通ううちに知り合った石巻観光協会の阿部勝浩常務らに相談。「いしのまき演劇祭」でつながりのあった移住コンシェルジュを通じて首都圏の人材を受け入れる地域おこし協力隊を知り、卒業と同時に隊員として震災伝承に取り組む市内の公益社団法人3・11みらいサポートに勤めた。協力隊は昨年3月末に退任し、市子どもセンターらいつの職員となった。
そのらいつも今月で退職。子どもたちとのかかわりの中で「大学に行き、教員免許を取りたい」という新たな目標ができた。進学は先の話だが、働きながら学べるよう準備を始めるつもりだ。それも、石巻に拠点を置いたままで。
石巻に住んで約3年。同世代の仲間がおり、成人式もこの地で迎えた。この間、母校の後輩たちに防災の講話もした。震災は悲しい出来事だが、「石巻のことを知ることもなかったかもしれないし、新しい出会いもなかった」と思う部分がある。石巻に飛び込んだ若い力は「協力隊としても何かできたわけでなく、悔しい。石巻で恩返しし、石巻に来たい、ここで何かしたいという人を増やしたい」と言う。【熊谷利勝】
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