大塚佑子 アルモンデ料理家
忘れたくない食の記憶の記録。暮らしのカケラを掬う場所。
雑食ビーガン料理家の私が考える【自由な食卓】。雑食、VEGAN、ベジタリアン、アレルギー、全て食の個性です。作りたいのに食べられない食材が使用されていて諦めた…そんな経験はありませんか?全く同じ味にはならないけれど、これを使ってもできるよ!そんな提案をしていきます。 みんなの個性が並ぶ食卓を笑顔で囲む未来をつくっていけたらいいな。 ※基本のレシピから、VEGAN、ベジ、アレルギーに変換する方法をお伝えします。(全てに対応できない場合もあります) ※アレルギー特定材料28品目を使用する場合はその旨明記します。
おうちにある調味料だけで気軽につくるVEGAN料理をご紹介します。私の考えるVEGAN基本調味料「みしすせそ」(みりん・塩・酢・醤油・味噌)をつかって、何度でも食べたくなる野菜をたっぷり味わうごはんを作りましょう。
noteを始めて5年以上が経ちました。働き方や関わる仕事、よく会う人たちは変わったけれど、変わらないこともあります。それは毎月料理教室を開くこと。その料理教室にはレシピがないことです。 今までこのクラスについて、そもそも私自身がどんなことをしている人なのかすら、きちんと説明しないまま続けてきたnote。 4月の雰囲気にのって、改めて自己紹介をしてみます。お役に立てることがあれば、お気軽にご連絡ください。 アルモンデ料理家の大塚佑子です初めまして。大塚佑子と申します。「ひびの
恩師や大切な友人たちと過ごした日々から、日常へと戻る1週間。ほんのり余韻に包まれたまま営むいつもの毎日は、少し前よりも柔らかくやさしくなったような気がします。気のせいでも勘違いでも、それがとっても心地よいんです。土に触れて恵みを収穫して、それをすぐに加工するということを久しぶりにやってみて、改めて自分の「手」の偉大さに気付かされました。 その場にあるもので、知恵と手を使って、明日からの自分や家族を支える味をつくる。遠い昔から連綿と続いてきたこと。そして今消えてしまいそうなこと
父の誕生日から始まった1週間。誕生日前後で帰省して、父の好きな鰻を食べにいくのが恒例でしたが、今年は会うことも連絡することもできません。 年齢に関わらず、誰でも明日命がなくなる可能性を持っている。当たり前のことだからこそ、会いたい人にはどんどん会いに行かなくちゃ。来日中の恩師は父と同じ88歳。びっくりするほどお元気だけど、これが最後の来日になるかもしれない。そう思うといてもたってもいられず、彼を追いかけて旅をすることに。行く先々で気心しれた友人に会えるのも幸せなことです。
11月。敬愛する師、サティシュクマールさんが日本にやってきました。彼との出会いは20代も終わりの頃。あれから20年近くが経ち、まさかサティシュに私のごはんを食べてもらう日が来るなんて。過去の私に話しても信じてくれないでしょう。前回の来日時は師匠である本道佳子さんがパーティーの食事を担当し、私はアシスタントとしてはいっていました。会社員を辞めた直後のことです。あれから7年。あらゆる食の仕事をしながらフリーランスでなんとか生き延びてきたその全ての過程が報われた。これまでの全てが昇
10月からの3ヶ月が翌年の気運だというのは、ゲッターズ飯田さんの言葉。10月に入ってからというもの、今年の流れとは違う雰囲気が漂ってきています。それがなんだかとってもいい香り。 父の体調が悪くなり、介護していた母も疲労でダウン。両親をサポートするため毎週帰省する日々が続いています。車で片道2時間は遠くもないけれど、近くもない。仕事もセーブしている状況です。両親の手助けもしたい、でも同じくらい仕事も頑張りたい。気持ちだけでできない現実に葛藤した時期もありました。でもある時、諦め
週の半分以上、誰かのご飯をたべて過ごしました。自分のご飯も好きだけど、誰かが作ってくれるごはんは別格の美味しさ。お店の料理でもない、家庭料理という言葉もしっくりこない。強いていうなら、おうちのごはん。食べる前から嬉しくて、食べてさらに満たされる、あの感じはどう表現したらいいんだろう。お腹すいたと甘えたら、食べていきなよって必ず言ってくれる存在の尊さよ。以前、気学をやっている友人から「ゆうこちゃんは一生食べることに困らないよ」と言われたことを思い出します。その通りの人生を生きて
やりたいことばかりしているので、仕事は楽しみでもあり、休日設定を忘れても苦ではないんです。夢中でいたら疲れない。ただ今は少しいつもと違う状況で、今目の前のことに100%集中できない日々が続いています。私の疲労の原因は、自分ではどうにもならない問題を諦めきれないことにあるみたい。こんな時こそ暮らしのルーティーンを淡々とこなさないとね。疲れたなぁとため息をつきつつ、30秒でも1分でも今食べたいものに思いを馳せる。暮らしを活かすのも、私を生かすのも、ごはんをつくる台所です。 <1
10月に入り、とうとう夏の野菜とも最後のお別れ。また来年ね。心の中で呟きながら2024年の夏を噛み締める日々です。何もかも年中手に入るようになって、つまらない。そう言われていますが、実は今でもその季節にしか味わえないものはたくさんあります。いつでも味わえる安心も、この時しか味わえない喜びもどちらも必要なんじゃないかな。惜しむほど好きだった夏の味を噛み締めつつ、既に気持ちの70%はやってくる秋の味覚に持っていかれてる。女心と秋の空、なのです。 <9月30日> 我が家から実家
急に秋がやってきて畑はどっぷり端境期。私もなんだか端境期。やりたいことはあるけれど、それよりも今は流されるままに進みたい。そんな気分なのです。家族の入院もあり、自分の意向はひとまず後にすることも増えました。今まで自由にやりたいことをやってこられたのは、家族の支えあってのもの。だから今は微力ですが家族を支えることが私の役目だし、むしろそれができる自分であることにほっとしています。頼られるくらいにはなれたんだなって。それでも日常は手放さない。台所で自分のためにごはんをつくる時間が
noteを初めて7年経ったみたい。食を生業にするようになって7年ってことか。もう7年まだ7年。飽きずにできることがあるって有難いことです。
暑さ寒さも彼岸まで。今年は夏が終わらないんじゃないかと不安になるほどに暑さが続いていたけれど、季節はなんとも律儀ですね。彼岸の入りとともに、慌てて秋がやってきました。朝晩の涼しさに身体も心もほっとしています。日本という土地に生まれ育ったからなのか、滞りなく季節が移り行くことに安心するみたい。お世話になっている農家さんも道の駅も、端境期に突入しています。大地では、夏から秋へと命のリレーが淡々と営まれているんですね。今年も変わらず。来年も変わらず。命が巡っていくことは当たり前じゃ
自分でどうにかできることなんて、ほんの僅か。暮らすこと、健やかであること、大切な人のために動くこと、それくらい。ごはんをつくって食べることは、暮らすことの真ん中で、健やかであることの根源で、大切な人に何かあった時、いつでも動けるための基盤のようなものです。予想もしなかったことがあっても、慌ただしい日々が続いても、台所にたち自分のためにごはんをつくる時間が5分でもあれば、大丈夫。あれもこれもと心が焦ってしまったら、深呼吸して台所にたとう。調う場所が家にあるって幸せなことですね。
大切な人と過ごすこと、食卓を共にすることに、時間とお金を使うのが心地よい。気心知れた人、お久しぶりの人、会いたかった人と一緒にごはんを食べる。近況報告をしてたわいない話をして、またねと別れるその瞬間までの全てが良いんです。そこから長く続くこともそこで終わることもあるけど、それでいい。人との繋がりは儚さと強さのどちらもあるのが良いなぁと思います。今週も大切な人たちとの時間を満喫しました。 <9月2日> 真っ白サラダ。長芋とモッツアレラチーズの白さを食べたくて、味付けは塩とホ
90%野菜。ほぼ野菜。 8/31やさいの日に、季節にアルモンデ、野菜が主役の食卓をつくる「アルモンデキッチンLIVE」を開催しました。お客様がきてから、その場にアルモンデどんどん料理していく会。この野菜がこうしてああしてこうなった!、をまるごと楽しんでいただけたら万々歳なのですが、裏テーマもありまして。「え?これでいいの?」「え?これもいいの?」を体験していただきたくこと。思い込みや当たり前に縛られると料理は辛くなりやすいし、それを手放すのって一人では難しい。私のてんやわんや
2014年8月31日。自宅で小さな料理教室をスタートしました。副業なんて今ほど浸透しておらず、私自身もこれで稼ごうなんて露ほども思っておらず、自分が学んだことをシェアしたい、ただそれだけの想いで始めたこと。それがまさか10年も続くなんて、あの日の私は想像もしていませんでした。たくさんの人、食材、場所との出会いに恵まれて、気づけば「食」が生業になり今に至ります。これまで私と袖擦りあってくださった皆様、本当にありがとうございます。末長くどうぞよろしくお願いします。これから先に出会
何事も計画的に着実に物事を進めていく父と、心配性で慎重派の母のDNAは何処へやら。行き当たりばったりで感覚的に生きる娘です。お前はなんでそんなに刹那的なんだ…と半ば呆れたように怒られたこともありました。刹那という言葉をずっとネガティブな意味で捉えていたけれど、先日ラジオで、刹那は「極めて短い時間」を意味する仏教用語であり、決して否定的な意味ではないとお坊さんがお話しされていました。後先考えずに今この瞬間を大事にすることなのだと。私の生き方そのものだし、私のごはんにぴったりな言