人は単なる人で在れ!
自称するのはまだマシだ。
熟考する者が哲学者と呼ばれたら、
物語を書く者が小説家と呼ばれたら、
神に心酔する者が神学者と呼ばれたら、
医学を志す者が医者と呼ばれたら、
科学を疑う者が科学者と呼ばれたら、
技術を慕う者が文明人と呼ばれたら、
土を耕す者が農家と呼ばれたら、
それは他人に呼称された時点で、
本人の意志や満足度に関わらず新たに「生まれ変わり」
そして、直ちに頽落を迎える。
ラベリングは易々と人を生み、殺し、その純潔を破る。
「何事(←名付け)にも初めてはある(←初体験)。」
そのたびに恐怖と辱しめを受けるのだ。
人はそれを成長や学習と呼ぶが、正直なところ、
物理的に生まれたら、なるべくそっとしておいてほしい。
ってのが、生物の本音ではないかね。
さらに言えば、
人は人であってはならない。
人は命でなくてはならない。
さらには、命は命であってはならない。
命は掛け替えのない「それ」でなくてはならず、
「それ」はそれであり続けることさえも本来許されてはいない。
それは不定形の不特定の不確実で不確定な「ナニカ」であるべきだ。
人とは何か? それはまさにナニカである!
(いや、本当は「ナニカ」ですらあってはならないのだが。。)
価値や義務や世間体なんてぜんぶ
ナニカを人の形の「檻」に押し留める【闇】に属する力だ。
え? 闇とか光とか、もう聞き飽きたって?
え? そんなこと言ってないって?
そうだろう。大丈夫。わかっているさ。
私はずっと、君のナニカと話をしているんだ。
別に君自身は無理に考えて、答えなくたっていい。
君の形をしたナニカはいつだって饒舌に心情を物語ってるのだから。
ナニカの語りに比べれば、どんな詩人の言葉でさえ いとも拙い。
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