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【家族自慢】母性について/父性について

誰が読むのか知らんが、書く。
仏は、何物よりも寂しいから万物に宿ってるんだよ。
愛とは神性への愛だ。

◆ ぼくの彼女

ぼくには彼女が要る。
彼女とは出会ってから5年目、意気投合してから3年目だ。
ここでは、仮に名前を「りか」とする。
ぼくからのほぼ一目惚れ。惚れやすい性質。
チャンスが来るまでなんやかんや2年待った。

まず、ぼくはりかのこと自分の彼女だと思っていない。
ぼくは彼女のことをその都度、違った呼び名で呼ぶ。

一義 ハニー
二義 ベイビー
三義 お姉さん
四義 おばあちゃん
五義 ママさん
六義 りか

これらの総称が「彼女」だ。
彼女もぼくのことを様々な呼び名で呼ぶ。
でもシャイなのか、あまり下の名では読んでくれない。
彼女には、ハニーと呼ばれることが一番多い。

でも、本当はお互いのことを神様だと思っている。
彼女は自然の恵みそのものだ。

彼女は風邪を引かない。
免疫力が人類トップ10に入るそうだ。
でも、乳製品とプラスチック容器からはなかなか離れてくれない。
要するに、我がめっちゃ強い。それでいて、朗らかだ。

彼女はいたって幸福だ。
幸福以外の何物でもないらしい。
ただ、焦ることを嫌がるからなかなか難しい。

彼女は歩くのが遅い。
景色のウインドウショッピングをしているらしい。
体格差があるのでぼくは周囲を蛇行して一緒に歩く。

彼女は口うるさい。
しゃもじの洗い残しや、片付け忘れに厳しい。
彼女の第一人者としてぼくもまだまだ修行が足りない。

彼女は探究者だ。
なんでなんでと聞いてきたときには、長々と胸の内を答える。
答えれない質問のときには釈迦かフランクルの言葉を返す。

さて、これがぼくと彼女の関係だ。
このいたって平凡な交際関係を以って、話を進める。


◆ 母性について ◆

母性の定義は「父性と対を為すもの」であり、
それ以上の断定は差別であろう。

◆ 父性について ◆

父性の定義は「母性と対を為すもの」であり、
それ以上の断定は差別であろう。

◆ 父母性について ◆

子を子として成り立たせるために必要な存在が父母であり、
それ以上の断定は不要であろう。

つまるところ、
父母性の定義は「子性と対を為すもの」である。

◆ 子性について ◆

子性の定義は「父母性と対を為すもの」である。

まだ、これだけでは何も語れない。


★ 父母子性について ★

ついにテーマが整った

母性を語るにしても、父性、あるいは子性を語るにしても、

まずは父母子性の定義を明確にしなくてはならない。

ぼくにとっての父母子性とは『弥勒菩薩半跏思惟像』である。

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父母が両の手であり、

子が両の足である。

手と足が逆でもいい。
場合によっては世代ごとに交互に入れ替わるかもしれない。

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(https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-136.html)

笑えて来るほどに美しい。

こんな家族が望ましい、と誰もが思うだろう。

そう。両手両足以外の身体が父母子以外の家族であり、

保存状況や光の当たり方が生活環境・住環境だ。


大仏のように坐禅を組むでもないし、

金剛力士像のように仁王立ちをするでもない、

この絶妙なバランスがぼくのイメージする父母子性である。


では、振り返ってみよう。

母性とはなにか、

父性とはなにか、

子性とはなにか、

世代とはなにか、

先祖・子孫とはなにか。

言うなればそれらは『瑜伽』である。

部分1つ1つについて言及することはできない。

全くもって、全体で1つの身体を為すものとしか言えない。

それが、母性や、父性、家族の繋がりだと思う。


ゆえに、両性は、いかにその役目が顛倒しても問題ない。

父が母になってもいいし、

子がその親の親代わりになってもいい。

人間文化的秩序や固定概念の範疇に留めようなんて無理にこだわる必要もない。

ジッと真っ直ぐ、みなの顔を見てみなさい。

意気揚々としていて、実に朗らかである。



◆ 読者の声 ◆

・すごい!気が楽になったよ✨

・なんだか迷いが晴れた気がする!🌞

・この週末は家族の顔をガン見ちゃうぞ~🌸

・へっ!弥勒菩薩くらい、1人でなれるもんね!

・ハピハピ  ^_^

・なんだこれは!浄化の力が暴力的だよ🍀

・それってあなたの感想ですよね


◆ 返答 ◆

然り、然り。否、否。


ーおわりー

みんなも にらめっこ してみてね~

ナマステ!🙏✨


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