【合生死】「いただきます。」は 消費偏重 の収奪的食事形態

結論:食事は(超人的な)蘇生行為だ。


こんな言葉がある。
「Agricide:収奪農業」
農地に化学肥料ばかりを使用し、地力が失われること。

変だ。意味が重複している。
私は、収奪することこそが農業だと思う。

【川が流れる・今を生きる・意味を問う・馬が落馬する】

吐き気がする。
正しくは、

流れるのが川、
生きているのが今、
問われたものが意味だ。


心を思うと、あなたはあなたの精神科医になり、
同時に精神病患者になる

身体を動かすと、あなたはあなたの管理者になり、
同時に有機機械になる

ものを食べると、あなたはあなたの捕食者になり、
同時に被捕食者になる
あなたは食べたものでできているのだから、
食えば当然、食われるのだ。

ゆえに生きるためには食ってはならず、
いただいてはならず、区切ってはならぬのだ。

『あなたは生かすために食え。』


喰って喰って生かし続けろ!!

ここにあるのはそれだけだ。


この世に死はない。

――死があるのはあの世だ。

この意味がわかるか!

死はありえないのだよ。


線に本来面積はないが、人はそれを書く。
世界に本来境界はないが、人はそれを認める。


同じことだ。

あなたがたは「死」を思っているにすぎない。

この世には生しかない。

この世のどこに死があるというのだね。

死とは自ら作り出した虚妄にすぎない。


死を思う時、人はあの世にいる。


この世にないあらゆるものがある世界があの世だ。

この世で起こることの内のどこに「無理」があるというのだね。

「不条理」「理不尽」「絶望」「病苦」

どこにあるというのだね。

悲しいのが心だ。

信じるから神がいるのだ。

疑わないから真実なのだ。

救われるから仏がいるのだ。

この意味がわかるか!


自らを救いなさい。

自らに祈りなさい。

自らを尊びなさい。

自らを愛しなさい。

自ら永遠になりなさい。

自ら宇宙になりなさい。


「いただきます。」と言っていいのは
「いただきます。」と言われる時だけだ。

「ごちそうさまでした。」と言っていいのは
「ごちそうさまでした。」と言われる時だけだ。

これは食事の挨拶ではない。

これは食事への感謝ではない。

これは循環との挨拶なのだ。

その大いなる流れに帰依することを表明する行為こそが

「いただきます」であり、

これは同時に「いただかれます」なのだ。

しかしこれは言わなくていい。
これはあちら側の言語だから。

しかし、いざいただくのなら、思わなければならない。

つまり、

いただくから、死ぬのだ。

いただくな!

ただ、理のままに巡り、

動かぬ風、動く土のようにあれ。

差し引きゼロなものは考えるな。


考えたのなら、ゼロにしなければならない。


私は日々、食事によって万象を生かす。

ゆえに食事は蘇生行為だ。
(蘇生:いただきますの打消語)


われわれは生きることしかできない。


命を殺すことなどできはしない。

そのうらに「死」を認めるかは、自分しだいなのだ。



今なら言える。

 イザナミよ。
   案ずるなかれ。
    そなたは美しい。
     その恥入る姿でさえ。



サポート額の内20%くらいはnote等への手数料になります。残りの80%くらいは一時的に私になり、すぐに通過して何処かへ行きます。でも、100%はあなたと私の記念になります。