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SLEの持病を抱えるママの 妊娠と流産〜2人目の出会いと別れ〜

私自身は、難病SLE(全身性エリテマトーデス)の持病があります。治療のためにステロイドと免疫抑制剤を服用しています。

今年の6月に薬の調整ができ、妊娠しても良い状態にもっていくことができました。1人目から6年。ようやく2人目に向けて妊活をスタート。

実を申し上げますと一人目は一発でできたこともあり(笑)妊活をして数ヶ月。子どもって意外にできないものなんだな…と思いました。

一般的な夫婦の方と違って避妊せずにできる期間はレアなので、まぁ楽しみながら…過ごした日々です。(すいません、表現がストレートですね)

そうこうしているうちに採血結果に異変が。持病の状態にガタつきが出てステロイド増量と(プレドニン5→10ミリ)、免疫抑制剤を増やすことになりました。

持病のSLEは、落ち着いていて状態がいい時と、活動性が高くなり関節痛や倦怠感が出る時期を繰り返す病気です。

一度病状がガタつくと、落ち着くフェーズに戻してまた半年間妊活をお預けになることも。

現在32歳ということもあり、ガタつく前になんと二人目を授かりたい気持ちが強かった私はできることをしました。

足湯をして体を温めたる。葉酸サプリを飲む。いつもの神社に参拝など、万全の体制を…。

«妊娠確定»

そして11月にお腹に授かることができました。
上の子は年長さんの6歳。「赤ちゃんのお世話をしたい!」と兼ねてから熱望。

妊活中はトイレで一緒に妊娠検査薬で確認。先月は『縦線(陽性)ならなかったね』としょんぼり。11月の今回は『はやくあれ(妊娠検査薬)しよう!』と促され、陽性反応をみて喜んでいました。

検査薬の陽性が出て、すぐさま病院へ。病院に行く時期が早かったのか胎嚢は確認できず、1週間後に再度病院へ行き、胎嚢を確認。

この時期心拍は確認されず、また1週間後に心拍を確認。お腹の子はゆったりとした子なのかな?そんな感じ。

マタニティーマークの受け取り

娘:「(駅でマタニティマークのポスターをみて)あのマークしたいね」
娘:「わたしも一緒にとりにいきたい」

とのことで一緒にマタニティーマークを役所に娘と受け取りに行きました。

一人目の時は全部自分でやり切ろうとする完璧主義な性格もあり、いろいろと自分やお腹の子、周りにも最終的に負担をかけた反省があります。

今回は持病もあるし、6週の段階でしたが、周りのサポートをしっかり受けよう!との思いで早めにマタニティマークをつけました。

マタニティーマークをつけて登園初日。
「これ、(私が)『おねえさんだよ』ってマークだね」と目を輝かせる娘。

大好きなお友だちや周りのママに「おねえさんになるんだぁ」と私の腰についたマタニティマークを得意げに見せてました。


(※ここからは、お付き合いいただける方のみご覧くださいね)

流産の兆候«出血1日目»

ここからはちょっとつらい話なので、わたしの心の整理のために記録します。

結果から伝えますと、マタニティマークをつけて幼稚園に登園できたのはこの金曜日、1日だけでした。

金曜日から、茶色のおりものっぽい出血が。なんでしょうね。女の勘と言いますか、信じたくはないのですが、流産の可能性も頭によぎりました。

幼稚園で仲良くしている助産師のママがいたので、相談もしました。トイレに行く度に見る”薄い血”が本当に嫌でした。

«出血2日目»

出血2日目の土曜は血が増え、この日が一番情緒不安定。

振り返ると産科を受診する度に、なんとなく発育が遅くて不安げな顔で診察をする産科の先生の表情がぼんやりと頭に浮かび…。

もしかしたら…。
受け入れなきゃなのかな…と。


妊娠してからほぼ毎日、夜トイレに起きる日々でした。この日は、起きた時しっかりお腹の子に話しかけてみました。

私:「どうする?ちょっと大変そうならでてきてもいいし、頑張って残っててもいいよ。みぴー(娘がきめたお腹の子の名前)が決めていいからね」

今思うと、自分も起きているのか、夢の中なのか…定かではない状態。

シャボン玉みたいな真珠のような"なにか"が、自分の体内から幽体離脱をするように離れる感覚を体感した。

これが、みぴーのお返事かなと感じ、この日は眠りました。

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«出血3日目»


日曜日。この日は普段在宅勤務のパパが珍しく外出の予定がある日でした。自分としては、”なにか”に構えてはいるものの、日中の間、本当に心細かったです。

午前中から涙が出てきた私は、6歳の娘にこう伝えました。

私:「もうみぴーはお腹にいない気がする」
娘:「茶色い血だから大丈夫だよ」

6歳の冷静な娘に励まされました。それでも心細く、夕方には何人かのお友だちに相談。この日は、茶色い血が止まらずトイレの度にめげていました。

パパの帰宅

夜にようやく、パパが帰宅しました。腹痛もあったのでしっかりベットで寝るつもりで横になっていたのですが、無性にパパと話がしたくなり、パパのいるリビングのソファーへ…。


ここ数日の中で一番の腹痛が2波…。


急に身体の寒気。身体だけでなく、心も寒かったこともあり、猛烈にお風呂にパパと一緒に入りたくなる私。

パパが先にお風呂から出てしばらくして、
"みぴー”が降りてきました…


昨日の夢か現実かわからない中にみた、シャボン玉みたいな真珠のような中に"みぴー"がいました。

真珠の中にいるみぴーの身体は数㎝もあったかな…。本当に小さかったけどそれでも愛おしかったし、かわいいと思った記憶があります。

構えてはいたけれど、思っていた以上に涙がこぼれ出て、びっくりした自分がいました。

今日一日、娘と友人、みんなに励まされ、この子はパパの帰りを待って出てきてくれたと思うと本当に親孝行。

自分だけしかいない、ママだけのときに降りてこられると、かなりきつかったと思います。

この日は、お風呂で本当にたくさん声をあげて泣きました。
6週。1㎝や㎜単位の世界なのだけど、生命を感じるのに大きさは関係ない。


流産翌日〜6歳の娘に流産をどう伝えるか〜

お腹の外に出てきた"みぴー"と共に、流産を6歳の娘にどう伝えるか、深夜に夫婦で話し合いました。

ちょうど12月。キリスト教の幼稚園ということもあり、クリスマスを前に、年長さんが毎年行う『イエス様の誕生劇』が近い時期。

大事なイベントのある季節だし、繊細な子なので、それが終わってから伝えるのでもいいのではないか。

夫婦で事実を伝えるか、伝えるにしてもいつ伝えるか結構迷いました。
結局、勘のいい子だということと、私も隠すのがつらいため、正直に伝えました。

私:「みぴー、お腹からでてきちゃた。パワーが足りなくて、お腹の“おそうじ係”になったんだ。パワーが足りないバブちゃんは、次のバブちゃんのために、お腹のおへやをお掃除してくれる人になることもあるんだよ。」

娘は『やだー』といい、泣きました。
そのあとは話を聞きながら、娘は本当に綺麗な涙を流していました。

お腹から出てきた"みぴー"を手で包み、娘は投げキッスをしてくれました。

数日後の『イエス様の誕生劇』。娘は、お星様役。澄んだ目で役を全うした娘。ほかの子どもたちと教会でやりきった劇を観るのは、本当に心に響くものがありました。

その後〜流産の受容と報告・できること〜

早くにいろんな方に妊娠を伝えていた分、流産した事実も順に伝える形になりました。

自分のこの経験をしっかり日記に書き出し、言葉にすることで、自分の中に受け入れられる気がする。今回記録に残したのも自分のためです。


つらいけれど、流産の話を打ち明けると、先輩ママが自分の過去の経験を話してることも多かったです。(思ったよりたくさんの方が経験していますね)

安定期まで妊娠を周りに伝えない方が多いからか、流産をされても周りには知らせずに夫婦だけで流産の気持ちを整えている方が多いんでしょうね。

内の中で気持ちを整えている方はすごいとさえ思いました。

私は喜びも悲しみも…すいません。ともに周りの方を巻き込まないとやっていけないようで、こうやって人に伝えながら処理させてもらっています。

SLE(全身性エリテマトーデス)の病気の診断をされたときもそう。今回の流産も経験することで寄り添える人の幅が広がりました。

流産はお腹のお掃除といった説や"デトックスされるもの”と聞くこともあるので、今取り組める情報を集めて、しっかり、悲しんで、次に繋げたいと思います。

ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。

▼流産後やってみたこともまとめました





同じSLE(全身性エリテマトーデス)の方には、妊娠に向けて整えたこと、ほんの少しですが妊娠中に意識したことや読んだ本など、noteやインスタアカウントでシェアしていきますね。

体調が戻ったらSLEの方に向けた『SLEヨガ×月末ふりかえりトーク』を企画したいと思っています。一緒に2人目に向けて頑張りたい方とまた一緒に頑張りたいです。

今回の経験で、妊娠する力はあるともわかりました。そんなわけで、うん…!またよろしくお願いします。


▼Instagramアカウント:SLEとヨガ





産後持病悪化の経験から専業主婦7年。現在未経験からのライターをはじめ、在宅×複業フリーランスとして活動中💨ママだからって諦めない!をモットーにママの可能性を広げていきたい思いで発信&奮闘しています✍️ママを応援したい方一緒に、エイエイオー💪💕