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芽生えた感動に従っていこう。その衝動が連れて行ってくれる場所へ。

「生きている絵を描きたい」と念じていた画家の中川一政

実際に彼の絵の前に立つと「生きている絵」だということが伝わる。


中川さんがムーヴマンと言っていた

対象に向かった時に湧き上がってくる心の感情。

その感動のままに筆を動かせば、それが表現できるんだと。


彼が好んで書いた文章で

『私はでくである。つかはれて踊るのだ。』というものがある。

でく、というのは木偶人形のでく。

これは自分の内から湧き上がってくるムーヴマンに突き動かされて創作活動をしている自分のこと。


文章には続きがあり

『私に何一つできることはない。私はただのでくである。』

理想は、生きているってこの状態でありたい。


アタマが関与せずに

感動に突き動かされているだけ。




中高のとき、司馬遼太郎が好きで小説を読んでいた。

ちょうとNHKで司馬さんが語りながら進める

『太郎の国の物語』がオンエアされて

ラジカセでカセットに録音して毎晩寝るときに聞いていた。


彼の話し方が好きで

彼のきれいな日本語の響きが好きで

今でも話し方が女性っぽいと言われるのは

きっと司馬さんの影響を受けたからだと思っている。


思い返すと司馬さんが

もっとも興味をひかれた幕末、明治政府について

ご自身の感動も交えて話してくれているもんだから

心動かされている司馬さんに惹きつけられていたんだと思う。


遠藤周作さんは毎年年の瀬に京都のバーで

司馬さんと語らい話を伺うのが大好きだっと語っておられた。



好きじゃないと、その人のこともっと知りたいなんて思わない。

何年もその人のこと想い続けるなんてできない。



誕生日に生まれ、

誕生日に殺された坂本龍馬。

ちなみに僕の誕生日。


龍馬が広く知られるようになったのは司馬遼太郎さんが『竜馬がゆく』を書いてから。

司馬さんは史実を元に空想して肉付けして書いている。

通常、本を書く場合には最低でも参考として関係の50冊くらいは読まないといけないとある小説家が言っていた。

ところが司馬さんが執筆のための資料集めを始めたことが伝わると神田の古書街が色めき立ったらしい。

資料購入で何千万を古書街におとされる。

司馬さんは原書で読む人だったからね。

あれだけ幕末の小説を書いた人が言っている。



幕末の志士が何千人といたなかで龍馬ただ一人だけが違っていたと。


海が好きな少年が、

海洋国家を作りたくて、

貿易立国を企て、

たまたま幕藩体制が邪魔だったから志士になったという。



勝海舟の暗殺にくっついて行ったその場で、

勝に感動して弟子にさせてくれと申し入れた龍馬。



実際には、北辰一刀流の剣士であった龍馬は

気合を発して叫んだんだと思う。

だって殺そうとしていた連れの殺意が虚を衝かれて消失してしまったわけだから。

そして、その瞬間に日本でただひとり龍馬だけが本当の意味での革命家になってしまったのだと。

幕末の過激な志士と言ってもみんな幕府のみならず藩まで潰してしまえと言う考えの持ち主は誰もいなかったのだから。



だから、司馬さんがそんな男がいたことを知った瞬間、鳥肌がたつほど感動したんだと思う。

司馬さんが話している言葉からもそれがわかるほどだった。

その衝動が司馬さんに『竜馬がゆく』を書かせた。




ぼくが整体指導者を志したのは

田総先生に初めてお会いしたときだ。

目の前にうつ伏せになっている人の背骨に

宝物にふれるように

ふれている先生をみて

感動した。


野口晴哉が講義で『いのちの礼』と書いていたこと

そのことが言葉ではなく

なるほど、こういうことなのかと腑に落ちた瞬間。

いのちの礼 を体現されている方を発見した瞬間だった。


だからこそ、野口晴哉先生は

亡くなるときに田総を中心にやっていくように

言い遺されたんだと思う。

同じような整体指導者を見たことがない。


実際に田総先生の愉気は

他の整体指導者の愉気とは全く違っていた。

受ける安心感の深さが違っていた。


初めて整体指導を受けて

先生の愉気を受けたときのことを覚えている。

気を通されたぼくの背骨は

知覚させられ

カラダという水袋のなかで

浮き上がってくる。

そして呼吸が深くなった。



もう一つのぼくが愉気に心動かされた原体験は

亡くなる直前のじいちゃんだった。

人工呼吸器につながれ

いろんな管につながれているじいちゃんは

10分に1度、1分ほど呼吸が止まる状況。


けれども愉気をしているあいだじゅう

ずっとじいちゃんの呼吸は同じリズムを刻み続けていた。


『ふれる』ができることに気が付いた瞬間。


その瞬間が現在にぼくを連れてきてくれた。


『私はでくである。

つかはれて踊るのだ。

私に何一つできることはない。

私はただのでくである。』






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