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カラダへの信頼がない時代。マトリックスからの脱却はカラダへの信頼が必要。

少年院から出てきてやんちゃな同僚がいた。

免許証の写真には剃り込みがが入っていて

眉毛も尖っていて

絵にかいたような凶暴な顔写真。

だから人間関係でトラブルと

相手がかわいそうなことになってしまうという男だった。


ところが、その彼はカラダが発熱すると

とたんに弱気になって

病院行きたいので早退させてくださいと、のたまわる。


えっ、うそやん。

鬼のようなその顔で、熱に怯えるって

笑かそうとしている?

これってコントなん?



今あなたが生きているということは、

カラダの防御機能は生まれてから

一度も作戦失敗せずに働いてきたという実績、事実がある。


ときどきカラダが出す熱や痛みってあるでしょ。

カラダにとって異常事態。

ウイルスの侵入。

カラダを冷やしすぎてしまった。

などなど。

その熱は必要があってカラダが生み出したもの。

だから熱が出たら、じぶんの防御機能がんばってる証拠。


やったあ-、ひと安心\(^_^)/

ほんとうは喜ぶべきメッセ-ジなんだよね。


なんだけど、発熱すると怯えるひとがいる。

自分のカラダが出している熱に怯えるって

コントとしか言いようがない。


発熱はいのちの無意運動が防衛のために行っている。

怯えているのは頭。

頭の中のマトリックス(仮想現実)に支配されているひとたち。


こういう人がものすごくおおい。

というか、ウイルスの影響でむしろ増えている。


怯えたり、即クスリで熱を下げようとしているのなら

自分のカラダの力を知らない。


このことは知識として知っていても意味がなくて、

体験としてわかってくると

自分の中で働いてくれているカラダの力への信頼が生まれる。

だから不必要に怖がることが少なくなる。


「自分のカラダの力を知る」って

理屈ではない自信になるんです。



女優のアンジェリーナジョリーが遺伝性の癌になる

確率が高いからと

両乳房と、卵巣、卵管を摘出した。

写真で見る限り手術前の彼女はセックスシンボルとして

元気そうな姿を映していた。


手術後の彼女はそれとは程遠い姿をしている。


これは彼女だけの責任ではなく

カラダを物と思っている

現代のアメリカの医療、周囲の医者なども

含めての結果ではある。


最初は亡くなった母親と同じ癌になる確率が高いという

怯えが彼女の頭の中にあっただけ。

その時点ではマトリックスだった。


ところが現実に

乳房、卵巣、卵管を切除したとたんに

カラダは現実に壊れ物に堕ちてしまった。

もうマトリックスじゃない。


ぼくらのカラダは

一つの卵子と精子からすべての細胞を作り出してきた。

いたるところが有機的に結びつき

カラダの営みが無意識に行われている。


乳房、卵巣、卵管を切除してしまうと

その臓器が病気になって変異してしまうより

遥かに異常な状態になる。

壊れたんじゃなくて、もうないんだから。

臓器の死って、

病変の行きつく終点じゃんね。


すると連動している部位も強張ってしまう。


盲腸を切除すると

連動している腰椎2番の弾力がなくなる。

胆のう破裂したひとは

連動している胸椎4番、9番の弾力がものすごく強張っていた。

当然ながら一つの背骨が司っている神経支配は多岐にわたる。

影響は一ヶ所にとどまらない。


生殖器に連動しているのは

ぼくらの手応えで確認できる場所だけでも

腰椎4番、胸椎11番、胸椎4番

これらの弾力が失われると容易に推測できる。


骨盤の開閉運動を司るのは腰椎4番なので

それも正常に機能しなくなる。

女性ホルモンの分泌も壊滅的になるはず。


術後の彼女の写真は

それを裏付けるものだ。

最初はただのマトリックスだったのに。

狂気の沙汰としか言いようがない。



あなたが元気に毎日過ごしているときに

予防医学や遺伝の観点から

癌になる確率が高いので

あなたの腕を切除しましょう。

あなたの両目を摘出しましょう。

そういわれてお願いしますって

手術OKするひとっている?


ぼくは断るよね。

少なくとも予防ではなく、

実際に病気になり、

切除しか生き延びる選択肢がないと納得できた時点だよね

手術を受け入れるとしたら。



なぜマトリックスに従ってしまうのかというと

カラダへの信頼がないから。

いのちの営みの大部分が無意運動による。

呼吸、消化、造血、血液・体液の循環

意識で行っていることって、ないんだよね。


それなのに頭は知識が大好きなので

健康法だとか

食べ物だとか

人間が頭で考えたことに飛びつく習性がある。


こころ静かに

ホメオスタシスが働く整体状態であれば

あとはお任せしておけばよいだけなのに。


カラダへの信頼がないから

委ねることができない。


カラダというのは何も感じていないのが

整っている状態。

だからこそ普段は、その働きを意識することができないし

意識を向けようともしない。



頭をポカーンとして力を抜くと

カラダが勝手に動き出す活元運動がでるようになると

いのちの働きとしての無意運動に気づく。


いのちの働きって

自分が行っていることじゃないんだって。


その気づきはカラダへの、

いのちへの信頼を育んでいく。

目に見えないウイルスへの怯えや

マトリックスが

脳内にはびこるのを防いでくれる。




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