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カラダが発するSOSを受けとめたい。

出勤する平日はよく眠れずに

土日になってはじめて眠れるという方が整体指導を受けに来られた。

何かをするという気力も湧かない生活が続いているという。


実際にふれて確認してみると

カラダはよくこんな状態で働けているなあという状態だった。

長く鬱状態のカラダと同じ様相を呈している。


眠れない。

気力が湧かない。

生活の中で楽しさが感じられない。

この状態が長く続いているといるのなら

どれもが深刻なカラダからのSOS。

会社を辞めるか

世界の見方を変えるか、すなわち脳内の会話を変えるか

SOSを発しているカラダを救うのは2択しかない。


ところがカラダの持ち主はそれほどまでに深刻だと認識していなかった。

まだ未病だから。

まだちゃんと働けているから。


いやいやいやいや

もうカラダはメッセージを発してくれているじゃん。


ところがカラダからのメッセージを長くスルーしてきているもんだから

完全に心身ともに鈍くなって

外界からの刺激を感じにくくなっている。

鈍り適応が完成して茹でガエルになっちゃっているから

カラダからのSOSを受け取らない。


何人か会社勤めをしていて自殺をした人を見てきたもんだから。

カラダの持ち主の危機意識の無さを目撃すると

気が気じゃない。


第三者のぼくが心配するなんてバカみたいでしょ。

いくら心配してみたところで

本人が気づかなきゃ。


ぼく自身もかつて茹でガエルだった人間。

一度ほんとうに困ってみないと

一度ほんとうに苦しんでみないと

実際に業務に支障が出ないと

実際に日常生活に支障が出ないと

本人が気づいて現状を変えるというアクションを起こすことは難しい。


ぼく自身がアクションを起こせたのは

就業中に午後になると毎日39℃の発熱が出るようになってから

表情が動かなくなって喜怒哀楽を失ってから

声が出なくなってから

毎回気づくのが遅かった。


カラダからのSOSを受信したら

それは何かを変えなきゃという

ハイヤーセルフ、内なる神からのメッセージでもある。

実はこれ以上大切に受け止めなきゃいけないメッセージは

自分の世界には存在しない。

自分の人生における優先順位一位のメッセージなんだよ。


むかし、神の手を辞められたという内科の医師の方の講演会を聴きに行ったことがある。

手術を受けた人からは毎回ものすごく感謝されるのに

なぜ辞められたのか。


それは手術を終えた方の大部分が

以前と同じ日常に戻っていくからだった。

その病を生み出した日常生活、在り方が

何も変わらないままに

また元の世界、在り方に戻っていくからだった。


自分が行なっていることは

カラダからのSOSに向き合って

自らが変容するというチャンスを奪っていると気づいたからだとおっしゃっていた。


残念ながらカラダからのSOSに向き合うのは

苦しい~

辛い~

痛い~

というメッセージが強くなってからになってしまう。


それでも

出来うるならば

煮詰まってしまう前に自分が変わるアクションを起こせるようになりたい。

自戒を込めて。



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