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カラダが変われば心も変わります。

整体指導を受けられて

こんなに気分が変わって驚きましたという報告を立て続けにいただいた。


何年も辛かったという方や

4年引きこもりをしていたという方から

驚きましたって。


ぼくの方はそういった報告をいただいて

違った意味で驚いてしまった。

だって心と体が分かれて存在している人間なんていないからね。

整体指導でカラダが動き出して変化すれば

気分、気持ちが変化するのは当たり前のこと。

カラダが変化したのに心が変わらなかったら

その方がビックリする。


けれどもそんなぼくの認識の方が

まだまだ世の中一般には異端なのかもしれない。

そう気づかされる出来事だった。


愉気でカラダを整える。

めちゃくちゃシンプルなんだけどなぁ。

ひきこもりの方から気分が変わって驚いたという報告をいただきながら

2年前に職場で自殺をした同僚のことを思い出した。

彼に愉気が行えていたら。

彼が整体指導を受けるという選択をしてくれていたら

やっぱり彼はまだ生きていただろうなぁって。


カラダには死にたいという機能は付いていない。

死にたいって状態になってしまっているのなら

100%脳内の会話が自分を責めている。

脳内なんだからマトリックス(仮想現実)なんだけど

その実体の無いマトリックスで死を選択してしまうことすらある。


脳内が騒がしいかどうか

マトリックスが脳内を占拠しているかどうかは

カラダにふれたらすぐに分かる。

カラダの中心線上で肋骨下端が合わさっている処から

自分の指3本下をみぞおちという。

そのみぞおちを押さえてみて強張っていたら

脳内は常にざわついている。

静けさとは無縁で

マトリックスに支配されている状態。

みぞおちを押さえると

痛い~

吐きそう~

死ぬ~

なんて状態であれば整体とは程遠い状態になっている。


整体であれば、仰向け状態のあなたのみぞおちに

ぼくが指を当てて体重を乗せていっても

ずぶずぶと指がどこまでも入っていく。

別に苦しくもなんともない。

その状態をみぞおちが「虚」であると表現する。


整体指導で目指しているのは

みぞおちを「虚」に導くことと言い換えてもいいくらいに大切なこと。


みぞおちが「虚」であれば

頭の中はポカーンとしているので

無意識運動が滞りなく働くことができるからね。


「死にたい」を生み出している

脳内の思考を占拠しているマトリックスが鎮まるんだから

必然的に気分は変わってしまう。


見えないものに対して懐疑的な人ですら

自分の心があることには疑いを持っていない。

心の存在を証明することもできないのに。

脳内で言葉を話しているからこころがあるとぼくらは認識しているけど

脳内で言葉が鎮まれば心があると認識するのは難しい。

実は、こころすらカラダが生み出しているマトリックスかもしれないでしょ?


こころはカラダと分かれては存在していない。

だからこそカラダが変われば

自ずからこころも変わってしまう。

心身一如

不思議でも何でもないでしょ。



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※みぞおちの緩め方














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