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iPhoneからLINEその他SNSを削除した。高校1年生からLINEは携帯に入っていて、消す前はなんか不安だったが、えいっと消した瞬間、心が500gくらい軽くなった。子供の頃は、これがどう思われるかなんて考えず、ひたすら目の前の草を眺めてた。その時の感じに近づいている、気がする

ひびき
5か月前
2

旅をしたときからそろそろ1年が経つ。いまだに目眩が続く中で、僕はだんだんと「降りていく生き方」を志向してきている。頑張ろうとしすぎると眩暈がしやすい。力を抜いてやる。「期待に応えない」というのは難しい。期待に応えようと頑張ってしまう。剥がしていって、捨てていって、シンプルになる。

ひびき
5か月前

たまたま入ったお好み焼き屋のおばあちゃんは被爆者だった。鉄板越しに話しながら、お好み焼きを食べる。ここが広島であり、あの出来事と地続きの今があり、その上に僕が立っていることを考える。「にいちゃん、よく話してくれたけん」と最後にお菓子をくれた。胸にジンとくる出会い。

ひびき
5か月前
1

私の現在

人生を一本の線で繋がなければ。 誰かに私の人生を説明しなければ。「こんなことをしてきて、こんなきっかけがあって、今はこんなことをしていて、未来はこうしていきたい…

ひびき
1年前
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畑賀のさんぽ

ひびき
1年前
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旅の写真

ひびき
1年前
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旅の終わり

広島 126km・・・ 何度も見てきた、ある地点まで何キロかを示す青い道路案内標識。 遂に、広島が見えてきた…! 宮城から、実家のある広島まで自転車で旅をする。そう決…

ひびき
1年前
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21日目。岡山ー鴨方25キロを走っている途中で、激しい目眩に襲われて、ガソリンスタンドの前で倒れました。ガソスタのおっちゃんが見つけてくれて、中で休ませてくれました。体が「もう走れない」と言っていることを感じ、ここで自転車の旅を終わりにしました。最後は、親に迎えにきてもらいました

ひびき
1年前
5

20日目。神戸ー小豆島ー岡山33キロ(フェリー乗船)。小豆島で「素麺おじさんのフォトギャラリー」という看板。入るとおじさんが出てきて、写真が飾ってあった。元々素麺作りをしていたが、今は写真を撮っているそう。同じ美しい風景を見ても、どう美しいのか、そこを表現するのが写真家だ、と。

ひびき
1年前
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神戸にて。

ひびき
1年前
5

19日目。大阪ー神戸33キロ。大阪で美術館に行った後、お好み焼き屋へ。お好み焼きとご飯と味噌汁。この組み合わせは初めてと言うと、「どこから来たん?」に始まる質問攻めに合う。最終的に店主、奥さん、スタッフのお姉さんが、外にある自分の自転車を見に、仕事をほっぽり出てきた。これが大阪。

ひびき
1年前
4

18日目。草津ー大阪59キロ。初めて大阪のたこ焼きを食べた。たこ焼きのおっちゃんに、大阪の会話のテンポ感は卓球みたいですねと言うと、「会話の奪い合いしてるドッジボールみたいなもんやで」と言われた。

ひびき
1年前
5

17日目。羽島→草津93キロ。琵琶湖から強い風が吹く。お昼ご飯に寄ったお店は、おばあちゃん2人で切り盛りしていて、味も優しい。「気をつけてな」と言ってくれる。その人の人柄が、場を作る。旅の中で、色んな場にお世話になる中で確信した。一つ一つの出会いを大切にできる人間でありたい。

ひびき
1年前
4

16日目。一宮→羽島12キロ。今日は体を休めることにして、一宮の図書館で本読んだり、映像を見たりしてくつろいだ。やなせたかしのインタビューがよかった。「僕らはみんな生きている。生きているからかなしいんだ」悲しみがあるからこそ、喜びに気付けるとやなせさんが言っていた。

ひびき
1年前
4

15日目。名古屋→一宮35キロ。モーニングの文化を少し体験できた。走ってる途中、これまでの疲労も重なり、もともと持ってる低血圧も重なり、かなりしんどかった。それでも走り続けてると、看板にでっかく「広島眼科」と書かれていて、「そうだ、おれは広島に帰るんだ」と。不思議な感覚だった。

ひびき
1年前
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14日目。浜松ー名古屋94キロ。東海道の宿場の一つ、赤坂に立ち寄る。宿場は、旅人にとっての宿であると同時に、遊女と夜遊びできる場所だったらしい。説明してくれたガイドのおばあちゃんと一緒に、江戸時代の宿場での夜を色々想像した愉快な時間だった。

ひびき
1年前
4

iPhoneからLINEその他SNSを削除した。高校1年生からLINEは携帯に入っていて、消す前はなんか不安だったが、えいっと消した瞬間、心が500gくらい軽くなった。子供の頃は、これがどう思われるかなんて考えず、ひたすら目の前の草を眺めてた。その時の感じに近づいている、気がする

旅をしたときからそろそろ1年が経つ。いまだに目眩が続く中で、僕はだんだんと「降りていく生き方」を志向してきている。頑張ろうとしすぎると眩暈がしやすい。力を抜いてやる。「期待に応えない」というのは難しい。期待に応えようと頑張ってしまう。剥がしていって、捨てていって、シンプルになる。

たまたま入ったお好み焼き屋のおばあちゃんは被爆者だった。鉄板越しに話しながら、お好み焼きを食べる。ここが広島であり、あの出来事と地続きの今があり、その上に僕が立っていることを考える。「にいちゃん、よく話してくれたけん」と最後にお菓子をくれた。胸にジンとくる出会い。

私の現在

私の現在

人生を一本の線で繋がなければ。

誰かに私の人生を説明しなければ。「こんなことをしてきて、こんなきっかけがあって、今はこんなことをしていて、未来はこうしていきたい」ということを言わなければ。

「何者」かにならなければ。

こういうことを無意識に考え、自分に対して圧をかけて生きてきた気がする。

そして昨年の冬ごろから、耳鳴り、めまいに襲われるようになった。今思えば、病んでいたのだと思う。

現代

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旅の終わり

旅の終わり

広島 126km・・・

何度も見てきた、ある地点まで何キロかを示す青い道路案内標識。
遂に、広島が見えてきた…!

宮城から、実家のある広島まで自転車で旅をする。そう決めて、20日ほど走り続けてきた。もうすぐ、ゴールに辿り着ける。国道2号の景色も、見たことがあるものになってきた。

そう思いながら、しばらく走っているところで、視界が霞み始める。
もともと、低血圧で立ちくらみなどがあったので、また

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21日目。岡山ー鴨方25キロを走っている途中で、激しい目眩に襲われて、ガソリンスタンドの前で倒れました。ガソスタのおっちゃんが見つけてくれて、中で休ませてくれました。体が「もう走れない」と言っていることを感じ、ここで自転車の旅を終わりにしました。最後は、親に迎えにきてもらいました

20日目。神戸ー小豆島ー岡山33キロ(フェリー乗船)。小豆島で「素麺おじさんのフォトギャラリー」という看板。入るとおじさんが出てきて、写真が飾ってあった。元々素麺作りをしていたが、今は写真を撮っているそう。同じ美しい風景を見ても、どう美しいのか、そこを表現するのが写真家だ、と。

19日目。大阪ー神戸33キロ。大阪で美術館に行った後、お好み焼き屋へ。お好み焼きとご飯と味噌汁。この組み合わせは初めてと言うと、「どこから来たん?」に始まる質問攻めに合う。最終的に店主、奥さん、スタッフのお姉さんが、外にある自分の自転車を見に、仕事をほっぽり出てきた。これが大阪。

18日目。草津ー大阪59キロ。初めて大阪のたこ焼きを食べた。たこ焼きのおっちゃんに、大阪の会話のテンポ感は卓球みたいですねと言うと、「会話の奪い合いしてるドッジボールみたいなもんやで」と言われた。

17日目。羽島→草津93キロ。琵琶湖から強い風が吹く。お昼ご飯に寄ったお店は、おばあちゃん2人で切り盛りしていて、味も優しい。「気をつけてな」と言ってくれる。その人の人柄が、場を作る。旅の中で、色んな場にお世話になる中で確信した。一つ一つの出会いを大切にできる人間でありたい。

16日目。一宮→羽島12キロ。今日は体を休めることにして、一宮の図書館で本読んだり、映像を見たりしてくつろいだ。やなせたかしのインタビューがよかった。「僕らはみんな生きている。生きているからかなしいんだ」悲しみがあるからこそ、喜びに気付けるとやなせさんが言っていた。

15日目。名古屋→一宮35キロ。モーニングの文化を少し体験できた。走ってる途中、これまでの疲労も重なり、もともと持ってる低血圧も重なり、かなりしんどかった。それでも走り続けてると、看板にでっかく「広島眼科」と書かれていて、「そうだ、おれは広島に帰るんだ」と。不思議な感覚だった。

14日目。浜松ー名古屋94キロ。東海道の宿場の一つ、赤坂に立ち寄る。宿場は、旅人にとっての宿であると同時に、遊女と夜遊びできる場所だったらしい。説明してくれたガイドのおばあちゃんと一緒に、江戸時代の宿場での夜を色々想像した愉快な時間だった。