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旅の終わり
広島 126km・・・
何度も見てきた、ある地点まで何キロかを示す青い道路案内標識。
遂に、広島が見えてきた…!
宮城から、実家のある広島まで自転車で旅をする。そう決めて、20日ほど走り続けてきた。もうすぐ、ゴールに辿り着ける。国道2号の景色も、見たことがあるものになってきた。
そう思いながら、しばらく走っているところで、視界が霞み始める。
もともと、低血圧で立ちくらみなどがあったので、またそれか…と思いながら、自転車を降りてしゃがみ込む。
だが、いつもと少し違う。しゃがみこんでも、視界がずっとぐらぐらしていて、平衡感覚はどんどん失われていく。
遂には、しゃがみこむこともできず、頭が地面から引っ張られているような感覚になり、横に倒れた。
ガソリンスタンドの前だった。おっちゃんが出てきて、「大丈夫か、熱中症にでもなったんか」と話しかけてくれる。
僕は「すいません、立てなくて…」と答える。意識は保てていた。
「肩をかしちゃるけえ、中で休んだらええわ」と、おっちゃんはガソリンスタンドの中まで連れて行ってくれた。
ソファに横にならせてもらう。吐き気に苦しみながら、体が落ち着くのを待つ。息は荒い。苦しい。
がこん、と自動販売機で何かを買う音が聞こえる。おっちゃんが、「これ飲み」と水を差し出してくれた。
「ありがとうございます…」
僕は水をいただく。見ず知らずの他人を助けるためだけに、色んなことをおっちゃんはしてくれた。
だんだんと体を起こせるようになってくる。手の震えを感じ始めた。血管から血が流れていることを強く感じる。低血糖になっていた。咄嗟にカバンの中を探し、飴を2つ口に入れる。少し体が落ち着いた。
ガソリンスタンドの目の前に、運良くジョイフル(ファミレス)があった。何かを口に入れた方がいいと思い、そこで休ませてもらうことにした。結局吐き気でほとんど食べられなかったが。
僕は、「もう走れないな」と感じていた。仮に休んで、出発し直したとしても、また同じことが起こる気がした。
父親に電話をかける。少し前に、「もうダメなら車で迎えにいっちゃる」とLINEをくれていたからだ。すぐに飛んできてくれた。
母親から電話がかかってくる。「ごめん心配をかけて」と僕が言うと、「何を言いよるんね。ごめんじゃない。無事で良かった」と言ってくれた。
電話を切った後、僕はジョイフルで泣いてしまった。
結局、色んな人に助けてもらって、僕は家に着いた。車に乗せるために分解されたTB1(自転車)と一緒に。
「広島までは走りきれなかったなぁ…」と思いながら、でも、気持ちは晴れやかだった。
「自分の体で、できる限り走った」ということが、すごく気持ち良いことだった。
そして、誰かの助けがなければ、人は生きていけないということすら、感じる最後だった。
ほんとは自転車に跨がって、「広島に着いたぜ!」という感じで写真を撮りたかったが、まあこういうのもいいなと思い、写真を撮った。
僕は笑って写真を撮った。
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