見出し画像

言葉の通じる友は、きっと世界のどこかにいる

とある友人と初めて話した時のこと。

いえ、話すまでは友人とは言えないのだから、この言い方は間違っているかもしれません。でも、とにかく、私は”彼女”との会話に衝撃を受けました。話した瞬間、初めて、「言葉の通じる人に出会った」と思ったのです。

もちろん、それまでも、言語的に苦労してきたわけではありません。私は日本で生まれ育った日本語ネイティブで、日本語能力には問題がないはずです。私の周りにいるのも、同じく日本語を母語とする人ばかり。「言葉が通じない」なんてことは、実際にはないはずなのです。

でも、私はこれまでの人生で、他の人が言っていることがどうも分からなかったり、自分の言っていることを理解してもらえなかったりしたことがありました。その現象にはもう慣れて「私って人の話を聞く能力が低いな」「私って話すの下手なんだな」と思うだけで、そのことについて深く考えることもありませんでした。

けれど、その友人と話した時、初めて「言葉が通じる!」と思ったのです。

彼女の言葉も完全に私の頭の中に入ってくるし、私が言ったことも、すぐに深く理解してくれるのです。こんなにもスムーズに会話ができることがあるのか、と衝撃を受けました。

その時、はっとしました。これまで、私は自分が話すのが下手なんだと思っていましたが、そんな単純な話ではないかもしれないと思ったのです。「言葉が通じる人に出会ったことがなかった」せいでもあるのではないか、と。

だから、もしも、「自分が言ってること、なぜかちゃんと理解してもらえないな」とか「他の人が言っていることがいまいち分からないな」と思っている方がいらっしゃったら。

きっと、あなたも相手も悪くないのです。ただ、お互いに言葉が通じないだけ。どこかに、あなたと同じ言葉を話し、同じ心を持つ人がいるはずです。

そんな人を探そうとしたら、大変な思いをするかもしれません。私は、「どこかに私と同じ言葉を話す人がいる」なんて思っていなかったので、探そうともしていませんでした。偶然出会うまで、そんな存在がいるとは想像したこともなかったのです。

だから、もしまだそんな人と出会っていなくても。どうか気長に、その日を待ってみてください。いつかきっと、どこかでふらりとそんな人に出会うでしょう。その時には、お互いに「言葉が通じる」喜びをかみしめながら、長い長い話をすればいいのです。


「言葉が通じる」からか、この友人との会話は、いつも深いところにまで到達します。

彼女との会話の断片が、先日「なぜ、私は書くのか」コンテストの準グランプリ受賞作品になったほどです。

経緯をご存じでない方もいらっしゃると思うので、受賞コメントを引用いたします。

藤原華さん、ジャスミンさん、このたびは私の作品を選んでくださり、ありがとうございます。

今年(2024年)の4月、友人から「ひーちゃん(私のこと)の”書く”の先には何があるの?」と聞かれ、答えられずに歯がゆい思いをした時の悔しさを、少し晴らせたように思います。

友人からの問いをきっかけに、約12年分の自分の日記と約120本の自分のnoteを読み返しました。そうして「"書く"の先に何があると思っているのか」が分かってきた折に、このコンテストに出会ったのです。

でも、書き上げてから他の参加者さんの作品を読んで「やってしまった」と思いました。他の方は「なぜ書くのか」をもっと明確に、熱く書いておられる。私の作品は弱いかもしれないと思ったのです。

だから、受賞作品として選ばれましたよ、と華さんからご連絡をいただいて驚きました。ただ、どこが特に響いたのか、私はまだ知りません。

でも、この作品は、私と一緒に泣いてくれた友人、私に問いを投げかけてくれた友人がいて、書けたもの。そして、ジャスミンさんが、華さんが選んでくださったおかげで皆さんに届くもの。それだけは分かっています。

本当に、ありがとう。
心から、ありがとうございます。
元町 ひばり

「なぜ、私は書くのか」コンテスト結果発表ページ
準グランプリ受賞コメントより

そう、あのnoteは、一緒に泣いてくれた同期だけでなく、「ひーちゃんの"書く"の先には何があるの?」と尋ねてくれた友人がいて、書けたものなのです。

その友人こそ、今回の記事でご紹介した、私と言葉が通じ合う人です。

けれど実は、彼女との会話の一部は、すでに別の記事にも顔を出しています。

それが、こちら。

この中で紹介しているこの言葉も、彼女が伝えてくれたものなのです。

「"本名"さんも、"元町ひばり"さんも、どちらもいまのあなたを作っているから、尊いよ」

この言葉がなかったら、私は今も、どちらかの名前だけを愛してしまっていたような気がします。

どうして、彼女からはこんな言葉がするりと出てくるのか。また彼女と話そう、と思います。

言葉が通じる者同士でも時間のかかる話にはなると思います。でも、話した先には、新しい気づきが、発見が、あるはずです。

きっとまた、彼女との会話を、noteの記事として皆さんにお届けする日が来ると思います。その時は、「あぁ、あの子ね」ってあたたかく見守ってくださると嬉しいです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?