恋は永遠、愛はひとつ
「じゃあ、さよなら。元気でね」
僕は惨めにも彼女の温度を最後に感じたくてハグをした。
運命などはこの世にほとんどない。起こりうる現実は素晴らしいものもあれば、ほとんどは残酷だ。そして僕らは素晴らしい都合のいいものだけを見て運命だと思い込む。
人を好きになることは希望であり絶望なのかもしれない。
今から4年前、僕は世界に憧れていた。キューバ一人旅を経て感化されたのだろう。もっと多くの人と話して、新しい世界を開きたいと思い、英語の勉強を始めた。その際始めたのが、言語交換SNSだった。実際に日常で使われるネイティブな言語に触れたくて、ネイティブスピーカー達とメッセージを重ねた。
その中の1人にアリサという女性がいた。アリサはトルコ人の大学生で日本と日本人が好きで日本語を勉強していた。母国語はトルコ語だったが、英語も堪能だった。
だらだらとメッセージでのやりとりを重ねていくなか、ある日彼女は電話がしたいと言い出した。確かにメッセージだけよりかは声に出した方がよりリアルな言語が交換できる。僕は了承してスマートフォンでのテレビ電話を試みた。大学での生活とか、好きなものとか、趣味の話とか、一通り盛り上がると、彼女は議題を恋愛に切り替えた。
「ねえ、あなたはどんな人がタイプ?」
「優しい人かな」
僕は世界で1番ありふれた返事をした。
「アリサは?」
聞かれたら聞き返すのが礼儀だと思った。
「あなたみたいな人」
いたずらに笑いながらアリサはそう答えた。
それはまるで魔法のようで時が止まった瞬間だった。
あざといにも程がある。ワールドクラスのあざとさを目の前にして、僕はその瞬間からアリサを意識するようになった。
彼女の夏に飲むサイダーより弾ける笑顔だとか、学問のことになると急に変わる聡明な瞳だとか、わざと嫉妬させてからかってくるくせに、すぐ嫉妬するところだとか、僕と同じような心の不安定さも含めて、それらは気付いたら僕の心臓を掴んでいた。
そうして僕らは互いに惹かれ恋に落ちた。
若さというのは普遍的に狂気的だ。愛至上主義だった僕は愛さえあれば何もかも克服できると思ってた。距離も国籍も言語も宗教も。
彼女のことをより知りたくて、イスラム教の本も読んだ。結婚も考えた。トルコでの将来のことも。
でもひとつだけ彼女には大きな問題があった。
それは初恋の人が忘れられないということだった。人にはひとつやふたつ忘れられない恋があるのだと思う。初恋ならなおさらだ。
「やっぱりあの人が忘れられないわ」
何度も彼女は僕にそう言った。
「僕が忘れさせてあげるよ」
その度に僕は彼女に強くそう言った。
愛は利己的で、重たくて、大胆だ。僕はその年のクリスマスイブ、彼女に会いにトルコへ渡航した。
アリサは空港まで迎えに来てくれて、泊まるところの最寄りのバス停まで一緒に行ってくれた。バスの中で僕らはずっと2人の存在を確かめるように手を握っていた。
泊まるところはもちろん別々だったので自分の宿に帰ると、彼女からメッセージが来ていた。
「やっぱり別れましょう」
僕は頭が真っ白になった。会ったら違ったってやつなのだろうか。それもトルコで。
僕はアリサを説得して、もう一度会ってくれるようにお願いした。
次の日、アリサは昨日あげたおそろいのセーターを身にまとい現れた。彼女がとても感情の波が激しい人なのはよく知っている。彼女を理解していたし、真っ直ぐな愛を彼女は1番求めていることも知っている。それを受け入れてくれたように思えた。
2人でブックカフェでランチをした後、僕らは僕の泊まっている宿へ向かった。
イスラム教徒は結婚相手としか、キス以上のことはしないと彼女から聞いていたのでもちろんそのような行為はするつもりはなかった。それでも僕らは愛が高まっていた。ベッドで抱擁して、あれほど遠かった互いの心と体がすぐそばにあるのを感じた。
「キスしないの?」
イスラムの教えに忠実だった彼女の方から言うのは驚きだった。
僕は確かにこの日、アリサに愛されていたと思う。
しかし、僕は次の日また振られていた。理由はやはり初恋の人が忘れられないとのことだった。
日本に帰る日、もう一度アリサに会った。彼女のお気に入りの海岸に行き、2人で海を眺める。空には2つの飛行機が飛んでいて、交差している。
「私たちみたいね」
近づいては互いに離れていく飛行機を眺めて彼女はそう言った。あの日見たイスタンブールの空を僕は一生忘れることができない。
バス停まで彼女は見送ってくれて、イスタンブールで使えるバス用のICカードを僕にくれた。僕はそれを今でもお守り代わりに持っている。お礼に僕は日本の五円玉をあげた。アリサにとっていいご縁がありますようにと渡し、最後にハグだけして、空港行きのバスに乗り込んだ。手を振るアリサの姿はどんどん小さくなって、見えなくなって、見えなくなっても残像として僕の脳裏にいつづけた。
思い出したい記憶、匂い、声はどれもとても甘かった。脳内にその甘い記憶を巡らせていることを"恋焦がれている"と気付いてしまったのを感じて、胸の奥が甘くふるえる。
今思うと馬鹿だったなって思うが、今の自分には到底できないくらい純粋に恋に落ちていた自分を羨ましくも思う。
彼女とは連絡はもうとっていない。アリサは初恋の人を忘れたのだろうか、その人と復縁したのだろうか、新しい恋に進んだのだろうか、僕みたいにひとりなのだろうか。五円玉の効果でいいご縁に恵まれて幸せに暮らしていればいいなって時間が経ってようやく思える。強くなったと思う。
最後に会ったあの日、機内で僕は最後にメッセージを書いた。でも送ろうとしてやめた。僕の愛は重たくて、それはもう美しいものではないような気がした。
アリサがそうだったように恋は永遠だ。きっとどの恋も永遠に忘れることはない。そして忘れなくていい、思い出す日があっていいし、嫌でも思い出すだろう。でも愛はきっとひとつだけだ。そのひとつを僕は今探している。
恋は永遠、愛はひとつ。
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