初めての海外で一人でキューバに行ってきたときの話
この文章はこちらの続きです。
ポップなラテンミュージックが流れる車内。僕の心中はポップとは程遠かった。
事前に宿まで送迎してくれるよう手配していたタクシーの運転手に、拙いスペイン語で自己紹介をしたものの、スペイン語を話せないと伝えてから、沈黙が続いていた。気を遣って陽気な流行りのポップを流してくれたが、どこか僕らはお互いを警戒していた。
キューバ国民は、白人と黒人の混血であるムラートと、白人、黒人、少数のアジア人といった様々な人種で構成されている。そこに差別は存在しないという。運転手は若くて短髪のムラートだった。僕は彼から見ると東洋からやってきた極少数の黄色人ということになる。僕は今まで味わったことのないマイノリティ感を感じていた。
旧式のアメリカ車のタクシーは暗い道路を30分ほど走っている。
1950年代のキューバ革命以後、アメリカとの国交を断絶したキューバには革命以前にアメリカから輸入した車が今も走っている。映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくるような車ばかりだった。タクシーもそういった車が多かった。
タクシーはハバナ空港から首都ハバナの旧市街地に向かっていた。
暗い夜道を抜けると、暗い住宅地に着いた。
生活感溢れるコロニアル様式の建物が立ち並んでおり、嗅いだこともない独特な匂いがする。細くて暗い路地では現地のキューバ人が屯して井戸端会議を開いている。
「着いたぞ」
「グラシアス」
スペイン語でありがとうを運転手に伝えると、宿から、白人の60歳くらいの白髪の男性が降りてきた。
「やあ、君がマサヒロ(火花の本名だ)だね、私はカルロス。ここのホストだ。よろしく。さあ、どうぞ中へ入って」
僕は一週間の旅程のうち、一泊をここカルロスさんの宿を選んだ。流石に一日目からスペイン語でコミュニケーションをとれる自信はなかったので、英語を話せるホストが経営している宿を事前にネットで予約したのだった。そして、今後の宿はまだ決めていない。というのもキューバは旅行者向けの民泊が盛んであり、多くの家がカサ・パティクラルと呼ばれる民泊を営んでいる。民泊といっても個室は用意されており、テレビ番組の「田舎に泊まろう」のような共同生活をするような民泊ではない。なによりもホテルで泊まるよりも安かった。お金のなかった僕はカサを利用することにした。カサは予約ができる宿が少ない。その場でカサ・パティクラルのマークが付いた家を探すのが一般的らしい。
カルロスさんの家にはたくさんのゲストが泊まっていた。いわばアパートのように個室がたくさんあり、現地のキューバ人も生活しているように思えた。僕の隣の部屋にはキューバ人のおじいさんが住んでいた。僕の個室は壁一面がターコイズブルーに塗られており、ベッド、シャワーやトイレ、冷蔵庫も付いていた。必要なものはほとんどが揃っていてなに不自由なく生活できそうだ。
「何かあったらなんでも聞いてくれ。私は二階にいるから、いつでも何かあったらここに電話をかけてくれ」
そう言ってカルロスさんは電話番号が書かれたメモを渡して、大きな体をのしのしと揺らしながら部屋から出て行った。
明日はどんな出会いがあって、どんな世界を見ることができるのだろう。
個室に入ってようやく一人きりになることができた僕はリラックスしていて、ワクワクする余裕ができていた。同時に突如として現れた巨大な睡魔に襲われ、倒れるように眠った。
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