見出し画像

うつい話

この世の中「生きにくさ」を感じることってかなりある。

楽しいことは楽しいんだけど、たまに「ウッ」ってなるの。

私の中に、今年の7月まで「鬱」って概念が存在しなかった。もちろん「躁」って概念なんてなおさら。

今まで希死念慮があったにも関わらず、それが希死念慮とも気づかず、鬱だとはさらっさら思わなかった。

今日はそんな私が、7月に「双極性障害II型」って診断された話。

ちなみに、私は今はだいぶ寛解した状態です!そして、そもそも入院までは至ってません。服薬のみの治療でした。
普段馴染みのない方にも、鬱という症状が珍しいことではなく、そして可哀想なことでもないということを感じていただきたく「うつい」という表現を使いました。気を悪くされた方がいらっしゃったらすみません。

画像1

そもそも双極性障害ってなんぞや

初っ端から縁のない人にはが頭に浮かぶような言葉を連発しました。まずはそこから話していきますね。

とは、

Clinical Depression;気分障害の一種であり、抑うつ気分、意欲・興味・精神活動の低下、焦燥、食欲低下、不眠、持続する悲しみ・不安などを特徴とした精神障害である(引用/Wikipedia)

よく、「心の風邪」とも呼ばれます。まあとにかく心が不健康なんです。世間からは軽視されがちですが、決して心が弱いからなるものではなくて、ホルモンが関係してるっていう説が濃厚?とされている原因不明の立派な病気なんだそうです。

その一方、双極性障害はというと、

ハイテンションで活動的な躁状態と、憂うつで無気力なうつ状態をくりかえします。躁状態になると、眠らなくても活発に活動する、次々にアイデアが浮かぶ、自分が偉大な人間だと感じられる、大きな買い物やギャンブルなどで散財するといったことがみられます。
躁状態ではとても気分がよいので、本人には病気の自覚がありません。そのため、うつ状態では病院に行くのですが、躁のときには治療を受けないことがよくあります。しかし、うつ病だけの治療では双極性障害を悪化させてしまうことがあります。本人だけでなく、周囲の人も、日頃の様子や気分の波を見守り、躁状態に気づくことが大切です。(引用/厚生労働省)


簡単に表現すると下記の図のような感じ。

画像2

もともとは、躁鬱病(そううつ)とも呼ばれていたみたいです。

もちろん、病気なので、この定義通りじゃない症状も沢山あります。もし、自分や友人に心当たりがあった方は厚生労働省のサイトなどを参考にしてみてください ↓

https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_bipolar.html (厚生労働省)

肌が白くなった夏

2020年の夏、私はコロナでずーっと家にいて、外どころか、ベランダにも出なくて、まぁ肌が白くなりました。日焼けしなかったんで。

ここでは私が双極性障害って診断されるまでの話をします。長くなるので、だいぶ短くします。出来なかったらごめんなさい。最初に謝っておきます。

言葉足らずになるかもしれないので、いやもっと詳しくしろよって思ったらコメントとか連絡ください。

そして、私は医者ではありません。主治医に言われたこと、自分で勉強したことを元にあくまでも推察しているだけなので、「すべてが正解」ということではないでしょう。けど、「そもそもこの病気をキチっと定義しようとすることがとっても難しい」ということを把握した上でお読みください。

【前提】

私は相当自我が芽生えるのが早い気がしていて、幼稚園に入ったころからの記憶が鮮明です。そして、希死念慮は小学校6年生のころからありました。おそらく軽度の双極性障害をずっと抱えてたんだと思います。


時を戻して2020年3月

コロナがやってきた。

あの今も無双状態をキープしよる憎き憎きウイルスですよ。

私が高校生活をかけてやってきて掴んだ世界大会への切符が、いとも簡単に、恨んでも恨み切れない、こやつらによって破り捨てられて。何のための高校生活だったんだって。怒りの矛先どこに向けりゃあいいのか分かんないし。そりゃあ、私だってもうほぼ大人です。もちろん頭では分かってはいるんですよ。命より大切なものはないって。

そう言っている今も、この憎きウイルスが世界中で命を奪っているって。そしてこれが非常事態で、こんなことあってはならなくて、医療従事者の方々が昨日も今日もずーっと働いてくださってるってことなんて。けど、分かっているからって、それは簡単に受け入れられることではないってことも知ってほしい。

世の中に私みたいな人はたくさんいると思う。死んだ人は帰ってこないけど、失われた時間も同じように帰ってこない。だから、もし周りに「その時間」を奪われた人がいるなら、「そっかーそれは大変だったね」って、その人の失った時間を大切にしてあげてほしい。だってその人にとってはかけがえのない、何にも変えようのない、とっても大切な時間、そして経験なんだから。

恨むなら、コロナを恨めってね。あー脱線しちゃった。

で、頑張る意味を「渡米中止」のメールを3月下旬に読んで、一瞬で失った私は相当落ち込んだ。人としゃべりたくなくなるぐらい。

たぶん私が思うに、これがもともとあった双極性障害を悪化させた原因1。

原因2はおそらく、私のもともと持っていた性質であるHSP。これについて話すとまたまた長くなりそうなので、短めに…

自分でも研究中なのですがどうやらHSE型で、外との関わりがコロナによって断ち切られて、エネルギー源が断ち切られたからみたいなんです。家族ともほとんど話さず、LINEでも友達と話さず、そのころはTwitterもやってませんでしたからね。そりゃあ、会話してコミュニケーションを取ることがストレスのはけ口だった私にとって不健康なわけです。そのころはストレスのはけ口を把握してなかったんですけどね。

それからの日々は、ベッドに縛り付けられたようになって起き上がれなくて。

オンライン授業を受け始めても、まったくもって言葉が入ってこない。

自分が喋ろうとしていることを頭で整理できなくて、うまくしゃべれなくなった。

本も教科書も読めなくなった。文字がスーって頭を通過していくの。まるで駅のホームの電光掲示板のように。音読はできるけど、「で、どんな内容だったっけ」ってなって理解ができない。

だんだんスマホとかタブレットとか液晶画面を見ているのもきつくなった。

何に対しても興味が湧かなくて、ずーっと虚無感に襲われていた。

集中力も全然持たなくて、椅子にも10分以上座っていられない。

急激な虚無感に襲われて、不安で不安で、ツーって涙が流れることが増えた。

こんな感じで自室にこもって3月から6月を過ごしていました。日の光を浴びることもなく。


そして、病院に行ったのは7月。

学校が週2で再開して、その帰り道のこと。

あの人が大量に行き交う渋谷駅山手線のホームで、私はついに泣き出してしまった。何にもなかったのに。急に。ただ不安ってだけで。

「あぁ。私だめだ。」

察した。異常だって。

そして、何で?

何でこうなった?って回らない頭で考えた。

スマホ依存がそうさせたのか。ただ運勢が悪いのか。

腕利きの占い師に見てもらうか、精神科医に診てもらうか

他の人からしたら”あたおか”かもしれない。けど、その時私はごくごく真面目にそう考えてた。そして、迷った末、次の日に精神科医に行くことにした。親には言わず。私の学校はバイト禁止で「常に金欠☆」みたいな生活を送っていたが、幸いまだ手を付けていないお年玉3月からたまったお小遣いが私の手元にはあった。

だから病院に行けた。

そして言われた「あなたが弱いんじゃなくて、双極性障害なんだ」って。

すぐには受け入れられなくて、「いやでも」って否定しまくった。ごめんお医者さん。めんどくさかったはず。

そして、「薬を飲んで治療していくから、親御さんに話してきてね。」って言われた。その日の治療費のこともすごく心配してくれた。今ではその先生とソーシャルケアワーカーさんにものすごく感謝している。ソーシャルケアワーカーさんはすごく「うんうん」って言いながら話を聞いてくれて、話す相手がいなかった私にとって本当に神様みたいに救いの手のように感じられた。

けど、親に話すのはものすごく嫌だった。だって理解してくれないと思ったから。小学生のころから、私は「この人たちと価値観合わないな」ってずっと思ってきた。父の性格も考え方も好きじゃなかった。そして、母の発言で物凄く不快になることがあった。だから母のことは好きでも嫌いでもない。こんなこと世の中の人は言ったら「親不孝な」って思うかもしれない。けど仕方ないとしか言いようがない。2:6:2法則によると世の中の二割は私のことをどうしても好きになれない。つまりは、私も世の中の2割のことはどうしても好きになれないってことだから。そして、たまたまその好きになれない世の中の2割の人のもとに生まれてしまったのだから。

注;もちろん親に感謝はしています。そこそこ裕福で、とんでもなく高い学費を6年間も払ってくれている。そして、何不自由なく生活させてもらっているのですから。文句の言える立場じゃないんです。

【2:6:2の法則】…世の中のほとんどはこの方式に当てはまるとされている自然の法則。パレートの法則から派生。(小学校の校長先生が朝礼で教えてくれた)
あなたのことを大好きな人 … 2割
あなたのことを好きでも嫌いでもない人 … 6割
あなたのことを好きではない人 … 2割   で構成されていると考えられる

話戻って、治療費の融資先。私には兄弟もいないし、親しい親戚もいない。なんでも話せるのは中高の友人3人。そして私たちは今受験生。友人に迷惑はかけられないと思った。頼る人は母しかいなかった。だから、キリキリいう胃を抑えながら、ボロボロ泣きながら母に話した。

すると、母は「ふーん」とだけ言って深くは聞いてこなかった。正直、とてもほっとしたし、その対応が有難かった。そして、治療費を出してくれた。本当に感謝している。

私って何者?

夏休み。うわーって泣いて、泣き疲れて、寝て、起きて虚無になって、ただ一日中天井だけをみてベッドで過ごす日々。私はやはり怠惰なだけなんじゃないか、って思ってた。それから、受験のことも考えなくてはならなくて、当時私は法学部を志望していたけど、「いや本当に法学勉強したいん?」って無駄に懐疑的になって。

私は何がしたいの?病気のせいにしてこんな落ちぶれた生活して、自分はいよいよ生ごみだって思った。消えたいって切実に思った。所謂希死念慮

自殺願望…疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態
希死念慮…具体的な理由はないが漠然と死を願う状態

なんか、砂みたいになって感じでサァーって消えたいっていう感情になった。私には自殺する勇気と手段がないって分かってた。だって、

①頸動脈に包丁の刃を当てても手が震えた。まず、が苦手だったから笑

②首を絞めようかと思った。家に首を絞められそうなものは、縄跳びしかなかった。けど、肝心の縄跳びを掛ける場所がない。そう家は無駄に天井が高いのだ。

③飛び降りにしても家は二階建て。高さはたかが知れている。死ねない!

以上の3つはもう小学生のうちにさんざん考えてたから。

私は死にそうで死ねないのが一番嫌だった。そして、他人に迷惑をかけるのはダメだって思ってた。だから知らん敷地で飛び降りとか、線路飛びこみとかは選択外だった。

自分が何がしたいのか分からないし、今自分が生きていることが誰のためになっているのか、自分が必要とされていないっていう孤独感に囲まれていた。そもそも必要とされるなんておこがましい話だけど、自分の良さって何よ。ないじゃない。特徴って何よ。ないじゃない。私が生きてきた意味ってなに?私は今までだれかに何かを与えられたのかな。Giver になれたことは一瞬でもあったのかな?今私が消えたところで、悲しむのは一瞬でしょ?すぐ忘れる。私ってきっとそんな存在なんだって。

それから、友人関係は広く浅く派。私には深い相談事を気軽にできる関係の人はいなかった。

よく、恋人がいれば「嬉しいことは2倍、辛いことは2分の1」って言うけどそういう関係の人はいなかった。恋人じゃなくても、友達でも。

友人にはとても恵まれていると思っているが、気軽にいつでもできるかと言ったら話は別。気を遣ってしまってうまく話せない。「どうせ分かってはもらえない」っていう負の感情が渦巻いてしまう。最終的に友人に話を聞いてもらったが、すべてをさらけ出したかといえば答えは「NO」。

「全く知らない人にならさらけ出せるかもなぁ」なんて思ったけど、生憎私は未成年で出会いがあるBar的な立ち位置のところには行けないし。自暴自棄になって全てを捨てていいかもって思ったけど、なんか捨てる先がなかったんだよね。で、結果今もすべてをさらけ出せる人はいない。強いて言えば飼い猫ぐらい?絶賛募集中。

そして秋。私はAO試験を3つ受けた。結果全て落ちた。

高校生活の実績はそこそこあった。まさか、全落ちするなんて受験することを知っていた先生も友人も私も思わなかった。全落ちが分かった瞬間は、私の実績を全て詰め込んだ資料で落とされたことで、今までの18年間が全て否定された気がした。本当に辛かった。けど、なぜか涙は一滴も出なかった。もう私の保持している辛さを測るメーターの限度を越したんだと思う。目はカッピカピで、心には大きな穴が空いたというか、スパってなくなったというか。分からないけどこんな感じ。

画像3

けど、今提出した資料を見直せば落ちて当然だと思う。何がしたいのかがまったく伝わらないし、書面から伝わる「明らかに将来定まっていない感」。

あー自分将来何したいんだろ。ちなみにこれに関しては今も分かってない。私の考えすぎなのは自明の理なんだけど、どうしても考えなきゃ生きていけない性質のようで。仕方ない。

もう出願なのにね。浪人覚悟で受験をします。

冬を生きる

周りの子は頑張ってるって分かってるのに、頑張れない。机の前に座るだけなのに。座れない。

起きてよ自分。寝てばっかりいないでさ。
いい加減勉強したら?受験校と自分のギャップ分かってるんだから。
いい加減遅刻癖なおしたら?だらしない。
部屋掃除しなよ?汚すぎでしょ。

今でも毎日思ってる。自分ってほんとに怠惰な人間だなって。けど、今はまだ生きていられる。なんでだろう。きっと「頑張る」って概念を消そうとしているから。これから、今まで私にこびりついていた「頑張る」を消せたら、新しく自分のバロメーターを作って日々を全力で生きていきたい。

今になってはそもそも私は双極性障害なのか、ただの鬱だったのかは分からない。けど、今年、私はものすごく自分の性質と向き合った。それだけは言える。そして、自分の生かし方を少し見つけられた気がする。

この苦しかった私の2020年を何とか助けてくれたのはラジオとお笑いとテレビだった。支えてくれたこのコンテンツを発信してくれていた人たちには本当に感謝している。おかげでネガティヴな感情が渦巻いてた自分と少しだけ距離を置ける時間を作ることができた。

このnote が苦しむどこかのだれかのために少しでもなったらい嬉しい。

それから、人の苦しみを比べるのは間違っている。みんなそれぞれ苦しみ方が違くて、だれが軽いとか、重いとかそんなものはないと思う。そして、人の痛みはきっと永遠に完全には理解できない。だって痛み方はそれぞれ違うから。けど、分かろうと努力して寄り添ってあげることは出来る。もし周りに苦しんでいる人がいたら、理解しようとするんじゃなくて、理解できないことを前提に寄り添ってあげてほしい。

てか、よく考えたら他人にすべてを理解されるって虫唾が湧くほど気持ち悪い。心の中はそれぞれの違うからいいんだと思う。

じゃあまた、ばいちゃ👋

🍑

なんかものすごく脱線しまくりで、伝えたい内容オンパレードになってよく分からなくなってしまいました。読みにくくてごめんなさい🙏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?