翠川ひなた

100歳まで生きることを条件に、ひと回り以上年上の健康オタク男性ホルモン過多な自称モテ…

翠川ひなた

100歳まで生きることを条件に、ひと回り以上年上の健康オタク男性ホルモン過多な自称モテ男と結婚するも、ガンで先立たれ「契約違反にも程があるーー!」と叫びながら、子どもら3人と幸せに暮らす未亡人シンママ。

最近の記事

薄霧の中で #07心のシャッター

自宅に帰ってきて、10年ぶりに新生児との生活が始まった。 小6さくらと小4まさとは大喜びで甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。 夜中の授乳で子どもたちを起こしたくないなぁ、と心配だったが、横にならずに上半身起こした状態での『授乳したまま睡眠法』を会得!(首が座ってからはもちろん添い乳する!) 泣いてても「かわいいねぇ」と思える余裕があるのが、一人目育児とは大違いだなぁと、心から思う。そんな感想を言い合うはずだった夫はまだ目覚めない。 やはり難しいのか。 ケアマネージャーさん

    • 薄霧の中で #06退院と転院と

      あっという間に産婦人科の退院を迎える。 入院中、お留守番してたねーねと、にーにも面会に来てくれた。 私の父や姉のサポートがあったとは言え、二人でよくがんばっていて感心する。 目覚めないパパに会わせる勇気がなく、「今はまだ会えないんだって」と、同じ病院にいるのにまだ会っていない。 学校の先生に状況お伝えしていたが、少々問題視されていたらしく、区のどこかの部署からか連絡がきた。 病院からも、ケアマネージャーへの相談や、カウンセリングの打診など、いろいろ心配してくださってありがた

      • 薄霧の中で #05 初対面

        永遠にも感じた産声が聞こえるまでの数十秒。 今思い出しても鳥肌が立つ。ほんとに無事に生まれてきてくれてよかった。 医師の話だと、産道を下りてくるのが早すぎて赤ちゃんの準備が整っていなかったとのこと。 早すぎても赤ちゃんにとっては負担があるとは知らなかった。 半日は呼吸管理で保育器に入るとのこと。 まだ赤ちゃんと対面できないとわかり、すぐに主人に会いに行く。 「パパ、ぷうちゃん無事に生まれてきたよ。 パパ会いたいでしょ?抱っこするの楽しみにしてたでしょ? ほら、目を覚まして

        • 薄霧の中で #04出産

          転院を受け入れてもらった翌朝、陣痛はきた。 小6さくらと、小4まさとに、 「今日からママは入院になってしまうと思うけど、叔母に来てもらうようにするから安心してね」 と、10分おきにきゅーっと痛むお腹をさすりながら学校へ送り出す。 痛みはまだまだ序の口だが、一応病院へ連絡すると、「3人目の経産婦だし、荷物を持って今から来たほうがいい」と告げられる。 タクシーで病院に向かいながら、私は『無』だった。 不安も希望も恐怖もそこにはなかった。 今やるべきことをやる。それだけだった。

        薄霧の中で #07心のシャッター

          薄霧の中で #03 38週目での転院

          すっかり泣き腫らした目で主人の待つ病院へ向かう。 とにかく受診をすれば、産後に同じ病院で過ごすことができる。 主人の意識が戻ったときに駆けつけられるし、なにより待ち望んでいた我が子と会わすことができるのだ。 私は必死だった。 3人目とはいえ、これまで全く診てもらっていない病院で産むのだから、もっと不安に感じてもよさそうだが自分のことを考える余裕がなかったのだろう。 病院としても、いきなり産みたいと正産期に入った妊婦がきたと思ったら、待ち時間があるやいなや 「主人の病棟行って

          薄霧の中で #03 38週目での転院

          薄霧の中で #02 泣くということ

          もう動くしかなかった。 主人が入院している同じ病院で産むには、とにかく受診する必要があった。 1度でも受診すれば、カルテができる。 カルテがなくては産めないのだ。 それにはまず、通っていた産院で紹介状を書いてもらわなければいけない。 検診予約を取るのはいつも思い通りにならない。人気の産院で混んでいるから、毎回苦労するのだ。 だが、主人が倒れた翌日が、なんと検診日だった。 毎回主人と来ていた見慣れた待合室。 私のことのみならず、主人のことも気にかけてくれる医師や看護師さ

          薄霧の中で #02 泣くということ

          薄霧の中で #01分娩室

          まさか陣痛室を通り越して、いきなり分娩室に通されるとは思わなかった。 3人目の経産婦ともなると、子宮口が開くまで陣痛室で拷問に耐えることなく産めるということだろうか。 10年ぶりの出産で、そう簡単にはいかないと自分に言い聞かせつつ、分娩台に横になる。痛みにまだ余裕のある私は、Snowで笑える写真を撮っては、ヒマな時間をやり過ごしていた。 本来なら、主人ともうすぐ会える我が子の名前をあーだこーだ話したり、「陣痛キタキタキタキターーーイタタタタ」と、騒がしく楽しくやっていただ

          薄霧の中で #01分娩室

          薄霧の中で #00はじめに

          なぜ、こうして言葉を残そうとしているのか。 建前を言えば、子どもたちのため。 パパの最期の日々を。 そうすることで、いかに愛されていたかを伝えられるのではないか、そう思った。 もうひとつは、自分の気持ちの整理なのだろう。 まだわからない。 なぜ自分があの日々を進んでいけたのか。 なぜ今こうして、笑って、普通に生きているのか。 言葉にしたところで、 子どもたちのための言葉にも、自分の気持ちの整理にもならないかもしれない。 それでも、書いてみようと思う。 まるで、薄く霧

          薄霧の中で #00はじめに