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薄霧の中で #01分娩室

まさか陣痛室を通り越して、いきなり分娩室に通されるとは思わなかった。
3人目の経産婦ともなると、子宮口が開くまで陣痛室で拷問に耐えることなく産めるということだろうか。

10年ぶりの出産で、そう簡単にはいかないと自分に言い聞かせつつ、分娩台に横になる。痛みにまだ余裕のある私は、Snowで笑える写真を撮っては、ヒマな時間をやり過ごしていた。

本来なら、主人ともうすぐ会える我が子の名前をあーだこーだ話したり、「陣痛キタキタキタキターーーイタタタタ」と、騒がしく楽しくやっていただろう。

でも、主人はここにはいない。分娩には立ち会えない。あんなに楽しみにしていたのに。

主人は今、同じ病院で意識不明の状態で入院している。
2日前、かかりつけのこの病院に救急車で運びこまれた。
主人は肺がんの闘病中なのだ。

がん再発後、失意のどん底の中、第3子は授かった。
再発前の数年間、子作りに励んでいても、なかなかできなかったのに。

あれほど3人目を望んでいた時期があったのに、妊娠がわかった時、私は素直に喜べなかった。
パパは治療中で薬の影響も心配だった。主治医に相談しても、前例がなかった。そりゃそうだ。
しかし、一番の不安は、そんな状況で子どもを育てていけるのか、心配しかなかった。
稼ぎも私に全てかかっている。
ましてや主人は、「俺はもう死ぬ」と、友人たちへ、別れの挨拶周りの最中だった。

しかし、「子どもは授かりもの」とはよく言ったものだ。
妊娠を境に主人は生きる気力を取り戻した。
上の子たちも、大喜びだった。
第3子は、我が家にとって、希望そのものだった。

だが、主人は私の陣痛より先に倒れてしまった。
脳への転移があり、その可能性も主治医から聞いてはいたが、懐疑的な主人ですら、第3子の出産には立ち会えると思っていたのに、、、

風呂場で倒れたと知らせを受けて、駆けつけた救急隊員は、一瞬、目を見張っていた。
濡れた髪を振り乱した女性が、はきちれそうな大きなお腹と、そこそこ大柄の主人を抱えていたのだから。(ちなみに救急車の到着前に、わたしの着替えはギリギリ間に合った。パパは娘が支えてもらい。。。念のため)

今でもあの場面を思い出すのはつらい。
子どもたちが寝てから、2人で湯船に浸かって話をしていた。
何を話していたのかは思い出せない。
いや、思い出せないのではなく、記憶を遠ざけているのだ。
そう、あのとき、私たちはケンカをしていたのだ。
理由は、主人が子どもたちとの時間を持とうとしないことに対して、私が意見したとか、そんな感じだったと思う。

妊娠がわかり1度は活力が戻ったが、治療が進むにつれて、
「自分の残りの時間は限られている」とよく言うようになっていた。
そのわりに、最近は、子どもたちがいる間は寝て、子どもたちが寝てから起きるという日々を繰り返していた。
学校から帰ってきて寝るまでの数時間を一緒に過ごさないのはなぜなのか、私には理解できなかった。

その日、珍しく、長湯をしたいと主人は湯船に残った。
私はバスローブを着て、ガラスを隔てたトイレに腰掛けて、だいぶ長い時間を過ごした。
確かポツリポツリと何かを話し、

「もうあがったら?」

「もう少しだけ」

そんなやりとりを何回か繰り返していた。


そして、
意識を失った。


あのとき、ケンカをしていなければ
あのとき、長湯をやめさせれば
あのとき、もっと優しい言い方をしていたら

今となっては、意味のない、タラレバ。
でも思わずにはいられない。


「うーーーーーん」
という唸りと共に意識を失くしかける主人の頭を抱えながら

「パパ!パパ!!しっかりして!パパ!!!救急車呼ぶよ!」

「救急車はやだな、、」

と呟きながら、頭の力が抜ける。

「パパ!パパ!!」

私の叫ぶ声で、小6のさくらが目を覚ました。
「さくら!119に電話して!」

私の耳にスマホをあててもらい、会話するが、何度も同じことを繰り返し聞かれて
「お願いだから早く来て!!」と思わずキレる。
湯船の中に座った状態とは言え、脱力している主人を身重な身体で支えるのは楽ではない。
湯船に沈まないように、顔にお湯がかからないように苦心していたが、動揺していたのだろう。お湯を抜くという簡単なことにすら、全く気付かなかった。

近くに住む姉に子どもたちのことを任せ、全裸にタオルをかけた状態で担架に横たわる主人と救急車に乗り込んだ。

主治医の見立てでは、未だに意識はないものの、てんかんの発作で2、3日で退院出来るだろうということだった。

少しほっとして帰宅し、翌日からしなければならないことを整理する。
・子どもたちへの説明
・主人の姉へ連絡
・入院手続き
・私の出産段取り

1番悩ましいのは出産段取りだ。
3回目の出産は、ママ友の間でも評判の産院で産む予定にしている。エステなどはないものの、食事が美味しくアットホームな産院で産むことにかなりワクワクしていた。
しかし、出産で1週間程度入院となると、主人ことが心配すぎる。別の病院に入院したら、退院までは確実に会えない。

主人は、治療で4年ほどお世話になっている大学病院に入院。同じ病院で産んだら、主人が意識を取り戻した時に赤ちゃんにも会えるだろう。
もう、いつ産まれてもおかしくないこの段階で、産院を変えることなんてできるのだろうか。
主人はほんとに大丈夫なのだろうか。

様々な不安が渦巻く中、渦に巻き込まれまいと懸命だった。
それはまるで、薄く広がる霧の中を進むような、そんな感覚だった。



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