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AIと人間の未来 #自分ごと化対談(小説家 平野啓一郎氏)≪Chapter5≫

※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【『生活実感から、市民社会をどう作るのか』】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。

AIなしではもう無理!?

<加藤>
話は変わるんですけど、最近、新著、「本心」にあった、AIというものについてどうお考えになるか…というのも質問になってないかもですが…。

<平野>
僕は、ある意味、シンギュラリティ仮説を信じてないところがあります。というのは、今のAIは第三次AIブームって言われていますけど、要するにパターン学習が1つの大きな新しいトピックで、それは脳の仕組と全然違う仕組ですから、どっかで、存在として人間を越えるというようなことにはならないと思っているんです。

ただディープラーニングの成果としてのAIが、すごく得意な領域はあります。それで先ほどの話でもありましたが、コミュニケーションコストというのがすごく増大していて、同時に、世界の情報量がグローバル化で爆発的に増えていて、とても今までのやり方では、その情報を人間が処理しきれなくなっています。

僕は音楽も本も好きで、いまでも、書店に行ってぶらぶら眺めながら本を選ぶということをしますけど、音楽はそういう経験をしづらくなってきました。

音楽は、自分が10代のときにCDショップに行って、色々な新譜を楽しみながら買っていた経験に、ノスタルジーがないわけではないですけど、もういまでは古今東西の音楽の量が当時とは比較にならないくらい膨大になっていて、毎週毎週、世界中から新譜が出ています。

かつての名演もデジタル化されるとなるとその量はさらに膨大になりますよね。好きな音楽に出会うという行為は、人間が人力でやるべきだという考え方に留まっていると、はっきり言って好きな音楽に出会う為だけに一週間の大半が費やされてしまう、ということになります。ですから、そこはどうしても、AIなどの技術で圧縮するしかないと思うんです。

実際、Amazonとか、Spotify(スポティファイ)とか、色々なおススメに従って音楽を聴いていますけど、かなり的確に、僕の聴きたい音楽をリコメンドしてきます。それが、昔のCDショップで店員が書いていたレビューに劣るかというと、決してそうだとは思いません。

というのは、そういうことに対するノスタルジーを過度に語っている人たちは、本当の音楽好きじゃないと思うんです。

本当の音楽好きはね、レコードショップの推薦文に騙されて買ったCDが、山のように有る筈なんですよ。凄い名盤とかって書いてあるから、買って聴いてみたら、何だこれ、みたいな経験です。だから、こだわりの店員のおススメとAIのおススメ、どっちがおススメのクオリティが高いかっていうと、AIだからすごく寂しくなった、とは簡単に言えないところがありますね。

聴いたこともないような音楽を、AIにたくさん推薦してもらっているところもあって、だから製造、配送、消費、全てがオートメーション化されて、僕の個人情報がずっとインターネットに吸い上げられている。

僕が生きているってこと自体が、循環のなかの一つとして組み込まれているという感じを、もちろん不気味だと思うところはあるんですけど、一方で、より自分がしっかりものを考えたり、友達と会ったりする時間を確保するためには、何かの段階で圧縮しなきゃいけない部分があって、そこに関しては、AIのパターン学習みたいな技術は、かなり有効だと思います。

例えば、医療の世界にAIが導入されて、肺がんのレントゲン写真を見ることに関しては、放射線科のお医者さんよりも、AIの方が上回っているみたいなリサーチもあって、それはそうだと思うんです。パターン学習が一番得意だからこそ、どこにガンが有るとかいうことについては、多分、人間よりもAIの方が得意になっていく。

じゃあ放射線科のお医者さんがいなくなるかと言うと、そういう話ではありません。放射線科では、今まではレントゲンを1枚撮って、それでガンが有るかどうか判断していたわけですが、今は何かあるとMRIとか輪切りで、とんでもない数の写真を撮っている。

つまり、患者さんについてのデータ量が膨大になっているのに、AIを導入しなければ、とてもじゃないけど、人間が処理しきれない。

だからそこの部分をAIがやっていくというのは、ある意味、必然的ではないかという話をしています。人間を、増え続けていく情報処理の奴隷にさせないためには、どこかの部分はAIで圧縮するということは起きていかないと、ちょっと大変じゃないかなと思います。

<加藤>
そこはそうなんでしょうね。さっきのグローバル化と同じで、AIというのも否定すべきものでもないし、いくら否定しても、否定すると我々がもう生きられないくらいのレベルですからね。

平野さんのような方は、AIの問題というのは十分わかった上でそこを選択できるじゃないですか。
だけども、AIのなかで、ゲームのレベルのAIだとすれば、その中だけですべてが回っている人というのは、それ以外がなくなりますよね。

ですから、生活の基本的なところも全部AIの中に組み込まれてしまうと、生活そのものが希薄になる。思考が薄っぺらくなるとか、行動がワンパターンになるとか、そういう面はあるんじゃないですかね。

だから、AIのことをしっかりわかって、自分でコントロール出来る人っていうのは少ないでしょうから、自分でコントロール出来ない人でも、どこかに歯止めがあって、それなりに自分の生活がキープできるっていう仕組みっていうのが必要なのではないかなと思うんですけどね。

「フィジカルな世界よりもバーチャルな世界の方が心地よい」

<平野>
AIに限らず、インターネットそのものでもそうですけど、仰っていることはすごくよく分かります。現実の未来予測は暗い予測が多いですから…。

リアルな世界にいてもお金もないし、自尊心を高められるような仕事をしていないと自覚している人が、例えばバーチャルリアリティの空間に行けばもっと開放感を得られるとなったときに、必ずしもそれを責められないと思うんです。

ある意味、個人の自由だし、ましてや現実世界ですごく良い生活をしていて、人間関係も恵まれていて、恋愛のパートナーもいて、お金も持っていて、現実って素晴らしいと思っている人が、自分が不遇だって感じながら、ゲームの世界だけは楽しいって思っている人がいたときに、「そんなの本当の人生じゃないよ」なんて言うのは、許されないことだと思います。

ただ、どういう状況にいても、心が満たされるようなものを見出してしまえば、この現実がおかしいっていう風に、強くそれを否定しようとするパッションが弱まってしまうっていうこともあると思いますし、仮想現実みたいなのを提供している企業が巨大なグローバル企業で、そういう人たちが、そこからまた凄く大儲けしているという話になると、それはそれで大きな矛盾です。

程度の問題ですけど、個人がフィジカルな世界よりもバーチャルな世界の方が生きていて心地いいって感じている時に、人がそれを否定できるのかどうかというと、なかなか難しいところだと思うんです。社会全体として、そのせいで悪しき慣習なり、システムが温存されてしまうのであれば、フィジカルな世界も変えないといけないんじゃないか。

それに没頭してしまう人は、ある意味、トランプ支持現象と繋がっていると思うんです。言語能力とかコミュニケーション能力とか、個人によって相当な差があるということが解ってきて、発達障害などに関する色々な研究も進んでいます。

例えば、芸能人に何百日も嫌がらせのメールを送り続けている人の動機を聞くと、呆気にとられるような、すごくくだらないきっかけであることが多い。僕たちが常識的に思い描いているのとは、違う次元で捉えてしまっている。

ネットの情報に触れた時に、過剰に反応してしまう傾向を持っている人たちもいると思うんです。そこは常識的に判断できるだろうということは、あまり自明視できなくて、ソーシャルメディアの企業が差別的なものは禁止するとか、相当自覚的にやっていかないと、どうしても影響を受ける、依存してしまう人たちが居る。

その人たちを、未成年を含めてプロテクトするとか、保護することをやっていかないと、全部「自己責任でご自由に」となると、その人たちにとっても、社会全体にとっても、非常に不幸なことになると思います。

だからそこは「自由」であることの良さと、影響を受けやすいと感じている人、あるいは客観的にそう判断される人は、そこからうまく保護される仕組みを作っていくべきかと思います。

<加藤>
そこは、難しいですよね。

ドラッグとか、博打とか、わかりやすいですよね。だけど、こういうITとかAIの世界っていうのは、生活すべてのなかでちょっとずつ積もっていって、さっきのようなことになっていくのでしょうから。そこは難しいでしょうね、非常にね。


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