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産業廃棄物から見るツルツル世界とザラザラ世界 #自分ごと化対談(石坂産業株式会社 代表取締役 石坂典子氏)≪Chapter3≫

※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【「廃棄物は社会を映す鏡」~誰もが自分ごとにするには~】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。

イニシャルコストの大きさでは評価できない価値をつくる

<加藤>
石坂産業は、工場に市販の機械を入れるのではなく、機械メーカーと共同研究、開発をしている。1個1個必要なテスト機を試作して作って入れて、それを自分たちで直して、また作ってという、そこもね、すごく面白いなあと思ったんです。

これもさっきの五感経営に繋がるということなんでしょうか。

<石坂>
なんでしょうかね。挑戦ていうか…、テスト機一千万円で作りました。でも、実際にそれを満足できる動きにしたいときは、その10倍規模の大きさ、コストが必要となる。となると研究開発した人たちが、10倍のコストをかけてその機械を作るというチャンスはなかなかない。

であれば、我々が、そのテスト機を1号機として導入しましょうと、それで現場を見てもらいながら、そこから本当の意味での技術開発っていうのをしてもらえたら良いなあという…、お互いに支え合う感覚って言ったらいいですかね。

メーカーさんも規模が10倍になると、他との環境共鳴で亀裂が入ってしまったり、振動が凄かったり、いろんな問題が機械装置1つにしても出てきます。より深い技術、研究をしてもらうために、実機をちゃんと作るためにテストケースとして我々は受け入れますということが今は多いです。

例えば移動式の電動重機を作るときも、移動しないで使えれば問題がないけれども、我々にしてみたら、移動が出来ない機械は価値が低くなる。重機という扱いなら広範囲に移動できるような重機にしてもらいたいと…。じゃあ試しに共同研究してみましょう、みたいなことも多いです。

何でもそうなんですけど、我々が欲しいものを得るためには、我々のフィールドを製作者側にどんどん提供していくことによって、お互いにより良い機会に繋がっていくっていう感覚でやらないと、いいものは作れないと思っています。

売りたい側の感覚で作ったモノは、我々使う側が欲しいものと違ってたりするケースが多いので、一緒に作り上げていくっていうのが、社会課題解決のSDGsのパートナーシップ17番目にも該当するんだろうなあって思ったりします。

SDGsという言葉がここ最近、世の中で言われるようになって、17番のパートナーシップの価値って凄く大きいなあって思えるようになったんです。今まではそういう感覚が、なかなか社会にもなかったので…、そういう感覚です。

テスト機=1号機というのは、パートナーシップで、共に成長する機械にしようという感覚でやってきました。

<加藤>
例えばノーベル賞級の研究をしている科学者は、実験道具も自分で作るんです。そうじゃないと、本当にオリジナルなものはなかなか出来なくて、道具が既製品であれば、その範囲のものになってしまう。多分そこは似たところがあるのかもしれないですね。

機械を作る人は色んなことを想定して作るのでしょうけど、現場に、あれだけ色んなものがあって、それを過酷な環境の中で動かすわけですからね。

やっぱり少しずつここは違うというような調整は、現場の中にいる人が、あの環境の中でやっていかないと、上手く回らないでしょうね。

それにしても、あの重機を電気で回すというのは、凄いなと思いました。あの大きなクレーンというのか、ブルドーザーみたいなやつを、あれが全部、電気なんですね。

<石坂>
電気で購入しようとした時、イニシャルコストは油を使う時の倍高いものになるんです。でも働く人たちの労働環境を考えたときに、「排ガスを出さない」という価値が生み出されるという感覚を持っていないといけない。

単純に初期コストの高さ、ということだけで事業は測れないと思うんです。ずっと排ガスを撒き散らして、黒い煙をどんどん出している環境で、長く働いてくれる人たちがどれだけ居るのかなというところがやっぱり基本にありました。

この仕事を長期的に続けてもらうためには、コストのかけ方や価値の視点が変わってくる。そういう意味でいうと、これまでのものの見方が、全然違う視点から見ることもできるんじゃないかって、思います。

世界的に問題になっている廃棄物が単純に埋め立てされているような社会の中で、まだ資源として使えるものが沢山ある。じゃあこれを誰が分けるのかというと、それは多くの人が嫌がる仕事で、こういう人が嫌がるものこそどんどんロボット開発をして、遠隔操作だったり、AIとかで動かせるようになってくると、違ってくるなあと思うんです。

嫌なものはどんどん地中に埋めていくというのが今、世界的な問題にもなっています。ロボット開発はまだ道半ばで、人に比べると本当に1/3ぐらいしか働いてくれてないんです。これを3倍働いてもらうようにするには、相当研究コストと時間をかけて、いろんなことを改善していかなくちゃいけないんです。

でも機械が人と同等に働けるようになったときに、はじめて、人が過酷な環境で働かなくてもいい場が作れるし、物の見方も変わってくると思います。

医療の世界とかもIoTを活用してデジタルトランスフォーメーション社会にしていくのであれば、まさに人がやりたがらないような部分や、その人が亡くなってしまうことによって失われるような能力や価値というものも、取っておかなければならないと思います。私たちの生産工場は技術の経験値が人に帰属しているので、その人が居なくなると、その技術が続かないということになってしまうんです。

そのために、常に若手と経験者をセットにして仕事をさせることになるんですけど、経験者の人がどこまで伝えるか、自分が持っている情報を1/3しか出さないか、全部出すかによって、若手に伝わるものが全然違ったりします。価値のある情報をどう分かりやすく次の世代に繋げていくかということが我々の業界の中でも、出来ると良いなあと思っているんですけど…。

本当に「職人の技」のようなことが多くて、鉄くず1つとってもいろんな種類があって、それを音によって分けたりします。

今日現場を見ていただいたと思うんですが、音や持った時の重量感覚で人が判断するということを学ぶのに、結構時間をかけて教えていくんです。そういう「感覚」というものを一定数、持続的な情報としてきちっと管理していくことができれば、それはSDGs社会を実現させる足がかりになると思うんです。

けれどまだまだ私たちの業界の中でも、環境に負荷をかけることを気に掛けるより、社会がより豊かに、便利で、というところの方に目が向いてしまっている気がします。今回はこういうお話をする機会をいただきましたが、普段はあまり見ないというか見えない業界だと思います。廃棄物はゴミ箱に捨てた後、その先このゴミがどう処理されていくかと考えたこともない人が多いと思います。

実はその先では、ものすごく労力がかかってゴミが選別されていくというのもご存じないことが多いと思うので、多くの人に実態を知って頂く事で、手のかかっていく技術というのが変わっていくんじゃないかなと思うときもあります。

<加藤>
例えば、水道の蛇口1つとっても、ここがアルミで、ここが真鍮でここは鉄、ここは合金と、こんなに違うのかと思います。全部ワンセットで、鉄かなにかにメッキをしているんだろうと思ったら、こんなに違うのかと思いましたね。

構想日本でやってる自分ごと化会議を、ある町で「ゴミ」をテーマにやったんです。無作為に20~30人の人に来てもらって、それで議論しました。

普通は、行政が廃棄物の処理場を作る場合、それに何十億かかりますというプランを作って、説明をして、住民の納得を得る。説明会に出てくるのは、大いに作ってくれという人か、反対だっていう人か、どっちかなんですね。行政も、騒音は出ません、油もまき散らしません、ダイオキシンも出ませんというような説明をする。

ところが、自分ごと化会議でやると話がまったく違うところにいくんです。自分たちが分別して捨てる、捨てたらそれを市のトラックが運んで行く、それを処理場に持っていく。分別して、埋めるもの、燃やして灰を処分するもの、長いプロセスでこんなにお金かけてやらないといけないということを初めて知るわけです。

そうするとその参加者たちは、今度から靴屋に行ったら靴の箱はもうもらうのやめようとか、野菜などの生ごみは自分の所でたい肥などにして、捨てないようにしようとか、行政に注文の多くが行くのではなく、自分の方に向き合うんです。自分が便利になればなるほど、ゴミ処理の手間が長くなっていくことを認識するわけです。

昔は残飯は犬に食べさせたり、小さい庭があればその辺に埋めたり、紙くずぐらいなら燃やしたり、各自処理でした。ところが、その手間がなくなった分、ゴミ処理場は凄いことになっているわけです。
ですから、ツルツルになったらザラザラが減るということはなくて、ザラザラの部分を全部誰かが処理している。それもすごいお金をかけて処理している。

だけど、それでも追いつかなくなっている、というのが現状です。

安くモノを買う社会が、本当に良いのか

<石坂>
仰る通りで、自分ごと化という問題は、凄く大きいと思っています。処理施設に対する反対は、やっぱり今も多いんです。ただ、一方で多くの人達が、何か商品を買った時に、その周りについてくる緩衝材や箱、包装紙、それを持ち帰るためのビニール袋など、日本は特にプラスチックの使用量が、他の国と比べても非常に高いんです。

残念ながら主要国の1、2位です。リサイクルして欲しいという要求とその量のバランスがなかなか合わない。今ようやく、原材料の生産から物が作られるまでのプロセスというところに着目されるようになってきました。

しかし、ゴミになって、それをリサイクルしていくまでのプロセスの方がコストがかかると考えた時、1万円の商品を買って、リサイクルするために1万円の処理費がかかる。トータル2万円払って、その商品を買うという覚悟があるのか、という風に見ていかないと、循環する社会は、実現できなかったりするんです。

自分たちの手に入るところまでのプロセスコストだけを出すのが当たり前の社会で、あとは税金で一般的な廃棄物は処理されてしまう、そこにかかるコストは見えにくいわけです。また企業の廃棄物は企業の責任だからと押しつけてしまう前に消費者は、いずれゴミになる梱包を拒否出来ているか、そういうことは凄く大事だったりします。

大量に要求する裏側には、大量のリスクを背負っている世界がある。ツルツルの世界の責任をどう取っていくかという問題も、同じように抱えてるということを今回の対談などをきっかけとして、わかっていただければと思います。

我々の日常にあるツルツルの社会が問題ではなく、実はもっと、土の中の見えない世界の中にツルツルとザラザラの世界問題というのが生じていて、そのバランスはほぼ変わらないぐらいの重量比があるっていうことも伝えられると、私としてはすごく嬉しいなと思ってます。

昔ある社長さんに、「なかなか私たちの事業って社会に理解してもらいにくいんです。3Kと言われて、キツい、汚い、危険な会社と言われることが多くて、評価してもらえることが少ないんですよね」って言ったら、「海の中で一生懸命叫んでも誰も聞いてくれないよ、ちゃんと陸にならなきゃいかんなあ」って、言われたんです。

だから陸として発見してもらえるようになるのは、私たちにとって非常に重要なことで、氷山が一部が出ていても、その海の下にはもっと大きな大陸が隠れている。私たちはまさにその海の中の見えない大陸みたいな世界の仕事をしているので…。

ESG投資とか、環境問題ということで、目に触れられるようになってきたのが、すごく良かったなと思っています。単純に廃棄物処理をすることをみんなで責める社会から、我々の日常生活のあり方、というところまで、ちゃんと原点にまで戻ってくれると、すごく伝わっていくだろうと思います。

説明するのが大変なんです。単に、廃棄物処理をしてくれるなと言う前に、そもそも廃棄物がどのくらい出ているのか、その廃棄物を沢山のCO2を使って、隣国に押しつけているような問題とかが沢山あります。

中国のプラスチック問題とかが、逆に良い事例だったかなと思っています。

<加藤>
温暖化、CO2が増えるというのがものすごく問題になっていますけど、ある意味、あれはいろんなものの廃棄物の1つの種類にしかすぎないわけです。

それ以外にも土の中や水の中でいろんなとこで起こっていて、大小様々な形ですが、全部原理としては一緒です。ところが、CO2だけを捉えて、毎年どんどん暑くなるから大変だとか言ってるわけで、けれどどこか見えないところで、もっと大変な事が起こってる可能性もあります。

石坂さん言われたことで、安いものの裏には、何かちゃんと理由があるという、 そのとおりだと思うんです。廃棄物の処理は、値段をつけずに済むのならそのほうがいいと今でも多くの人が思っているわけです。

そうなるとお金をかけずに処理をするには何もせずに埋める、ということになりますよね。ですから、お値段以上というのはないんです、大体何でもお値段通りになるんですよ、結局ね。

<石坂>
本当そう思います。ですから、人に対する対価の見直しも今言われてますし、資源の価値もきちっとコストにした時に、我々は安くモノを沢山仕入れて買うという社会が本当に良いのかどうかというところも、もう一度振り返ってみる必要があると思います。

そもそも今の生活水準のままだと、地球が3個分ないと資源はもう間もなく足りなくなると言われていて、それよりも先に温暖化の問題とか、気候変動の問題とかも出てきているんですけど、沢山使って廃棄物をどんどん埋めていくと、一体土に還るまでの影響値ってどれくらいなのかって、思います。

プラスチックだと、200年近くかかるわけです。だから見えないように埋め立てするのが良いのか、単純に燃やしていくという事自体、いま問題になっていたりしていて、じゃあそもそも使わないとか、出さないという目線で物事を見られないかと思います。

作るにしても、比較的簡単に再生できるようなところまで考慮されて、ものを作る社会にするとかですね。利便性と技術性というところを、「再資源化」するところまでを見すえたプロセス設計というのは、我々から言うと、単に私たちが90%リサイクルしているものを100%にしたら凄いでしょうということではありません。そもそも絶対的に100%にならない社会がもう出来ています。

にもかかわらず「100%」にするために、製造設計から変更していきましょうという社会になっていますよ、ということに警告の声を発信させてもらっています。全体バランスというところが本当に重要だなあって、常に思っているんですけど、あらためてそういう感覚というか、社会を考える機会にも、このツルツルとザラザラで表現していくっていうのはすごくわかりやすいですし、もっとこういう視点から、私たちはどういう方向感を選択していくのかっていうことを考える機会になってくれたら、すごく良いなあと思っています。

「自然と美しく生きる、つぎの暮らしをつくる」という、ちょっと大きなミッションみたいなものを会社の中で掲げているんですけど、加藤さんから見た時の、美しい社会って、どういう形がこれから求められるかを、是非お話聞きたいです。
   
<加藤> 
それはね、最後に聞くことになってるんです。(笑)
これは自分では、全く実行できてないんですけど、考えてみると、美しいっていうのか、幸せっていうのか、どう言うんでしょうね。

まあまあ良い人生だったなっていうことなのか、やっぱりね。

朝起きて、顔洗って、ご飯食べて、仕事をして、人によっていろんなものがある。それを一個一個を丁寧に、丁寧にやって、それを毎日続けて、できればそこに時々いろんな刺激、楽しみもある、まあ大変なこともある、でまあ、なんとなく、『まぁ良かったかな』っていうのが幸せだったりとか、美しかったりとかするのかなあと思うんですよね。

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