紙飛行機を飛ばすには二度の卒業が必要だった〜企画メシ2022卒業〜
ここ数日間『書きたかったけど書けていなかった』企画メシの記事を連続投稿しました。
私はこの連続講座を2021年に現役生として卒業後、
縁あって2022年の途中から合流させていただき二度の卒業をしました。
区切りをつけて次に進むために。
どうしても「書きたい」という想いが強くあったので、もらった熱量の持続期間を延長しまして…。
最初にエントリーをした、2021年5月から、2度目の卒業を迎えた2022年12月まで。いいや、今この記事を書いている2月末まで。
約2年近くに及ぶ連続講座を通して、自分自身が学んだこと、そして未来のことを書き残しておこうと思います。
わたしを支えてくれた全ての皆さんと、未来で「企画メシ」に興味を持っていただいた”あなた”に向けて。
こんな企画生もいたんだよを残しておきたいと思います。そして、卒業は一年でしなければならないってこともまた「勝手な決めつけ」なんだよと。
そんな想いを込めてこの記事を残します。
2021年
エントリー
「もうこの仕事はできないな」
前職の税理士業に限界を感じていた時に、家にあった本が目に止まりました。
そうか!書くこと、多分好きな気がする!と思い立ち、コピーライターという仕事を調べる中で、阿部広太郎さんを知り、本を読み、感想を呟き、noteを書き、阿部さんをフォローするという怒涛の一週間を過ごしました(これが2021年5月3週目の出来事)
ギリギリでエントリーに間に合い、滑り込んで講座に参加することになりました。
阿部さんから最初にいただいた紙飛行機は講座に通っていた1年間待ち受けでした。
講座スタート
自分の広告が一番難しい。
と、書いた企画書が今でも懐かしいです笑
当時の私は代理店がなんなのかすらわからなくて、クリエイティブ?What?みたいな。
そもそもコピーライターになるために講座に来たのに…ここはどこだ…とも(相変わらずトンチンカン)
とはいえ『いやだ!』『やめた!』と言う勇気もなく。
場違い、やってしまった…を抱えたまま講座を進めていくことになりました。(勢いって怖い)
当時の自分は劣等感の塊。
そんなわたしを選んでくれている人なんているわけない、怖い…と。
感動メモも怖くて読めなかったです。(本当に2回までに選んでいただいた皆様ごめんなさい)
今思うと、「怖い」という感覚もまた始めた当初でしか味わえない宝物のような感覚。いつまでも大切にしたいなと思います。
転職
第3回・チームの企画が終わるころ(8月末)に突然転職が決まりました。
企画メシに入って企画を言葉を学んで転職するんじゃ!と思っていたはずなのに、青天の霹靂。
自分にとって講座に参加する理由が、転職活動ではなくなってしまいました。
なので、「思いっきり、ここで出会った人たちと仲良くなるんだ!」と気持ちを切り替えて講座に挑むようになりました。
キカクの夜市・朝活チャンネル
同期の企画生・はるち(@f21Uruu)が立ち上げた企画メシ2021の交流スペース『キカクの夜市』
第一回が終わった後に残っていたメンバーと雑談する中で、『朝強い』と話すと、朝活隊長として毎朝企画生のおはようと行ってらっしゃいを言う交流スペースをさせていただくことになりました。
このチャンネルで『読書会』や、自分が得意としている『ふるさと納税の勉強会』など、さまざまな交流をさせていただきました。
同期の企画生だけでなく先輩(むしろ先輩の方がレギュラー率高め)との交流をすることができ、自分が居た場所(税理士)が特殊な世界であることや、自分が知らない世界がまだまだ沢山あるということを学びました。
自主企画で行っていたふるさと納税勉強会は、皆さんによろこんでいただけてすごく嬉しかったです。
本の企画
自分が企画メシに参加する理由に大きく寄与した本を創られたライツ社のことが、昔から大好きでした。
あまりにも勢いよくエントリーしてしまい、講師を見ていなかったのですが、偶然にもライツ社の社長である大塚さんの講義がありました。
どうしても大塚さんと喋りたく(笑)
本当に必死で課題と向き合う中で、自分が大切にしていたことはなんだったのか?と向き合いました。
それが、『高卒へのコンプレックス』
歪な形ではあったけれど、一社のキャリアプランを開拓し、自分自身はそれでよかったけれど、それって根本的な解決ができていないな…と思ったんです。
結果として選ばれることはありませんでしたが、自分の根っこにあった『怒り』と向き合うことができました。
余談
大塚さんと喋りたかったのに、企画を指してもらえず手も上げられずで話せず講義後泣いていた後の夜。
『ひがしがライツ社好きですって講義止めても誰も怒らなかったから手を挙げたらよかったのに!』と言っていただきました。なんていい人たちばかりなんだ…。
1度目の卒業
『終わったぞー!』
という感覚が強かった2021年末。
仕事を終え新しい世界へ。
講座でも本当に素敵な同期の皆さんや先輩企画生に出会えてとにかく『終』という言葉がよく似合う2021年の卒業でした。
(実はnoteを書いていなかったことに今更気づいて悲しんでいます。でも沢山ソラメイシを配ってみんなと交流をしました笑)
2022年
転職と退職
ドラマチックな転職をしたものの、すぐに危ない橋を渡っていることに気がつきました。
自分がどんどん黒くなっていくこと、人間らしさを失っていることに気が付きつつも、目を背けひたすら逃げていました。
そんな時助けてくれたのは、2021年出会った企画生でした。
特に朝活チャンネルをしていたDiscordでは何度もお話しさせてもらって、目を覚まさせてもらいました。
最後は自分が引いてはいけない引き金を引き掛けてしまったため、結局半年に満たない挑戦で、退職することになりました。
なんとかしたいの企画
退職が決まってから体調を崩したりでかなり心がグラグラしていた時に話の流れからDiscordへ行くと、背中を強く押してくれる人と再会しました。
「ひがし、自分のなんとかしたいを出したら?」と。
あの日Discordに居た皆さんは、今思うと、自分を支えてくれた皆さんばかり。本当に優しい人たちばかりの空間に自分が存在できて幸せだな、と思いました。
「スナック夢未満」での再会
8月のとある日。
たまたまが重なり東京へ行く日が先輩企画生の一人maiさん・瑛子さん・ユースケさんが開催する不定期スナックに参加することができました。
(今はいろいろな理由から下げているものもありますが)
あの頃の痛いnoteを読んでくださっていた先輩たちの言葉が優しくて、
よく頑張ったね、って言葉に泣きそうになりました。
帰り際に、
『ひがし、また日本中のどこかで会おうね』
と言ってくれた先輩企画生の一言がすごく嬉しくて。
また、この人たちと一緒にお酒を飲みたい。
そう思ったら、不思議と泣いている暇はない、と転職活動に踏み切ることができました。
Bubble Halloween
なんとかしたい課題の中で、同期が出していた企画に相乗りさせていただく形で参加したバブハロ。
自分が当たり前だと思っていたことで、大好きな人たちが喜んでくれるなんて思いもしませんでした。
1番最初に声を上げることも企画だし、一緒に相乗りしていくことも、実行していくための力も全部合わせて「企画」なんだと、この経験で知ることができました。
講座に参加したころの自分はきっと驚くだろうな、こんなことになるなんて笑
レポートライターへの挑戦
運命はどこに落ちているかわかりません。
たまたまお声がけいただいた「チームの企画のレポートライター」が2022生をつないでくれました。
初めて「書く」ことに携わって。
大変だったけれど、「やってよかった」と心の底から思いましたし、
もっと「書く」を勉強していきたいと思うきっかけにもなりました。
チームの企画
この人たちのためならなんだってできる。
そう思えたメンバーに出会えたことが一番幸せなことでした。
ありがたいことにチームの企画で生まれた「とりあえず飲もう!」に便乗して笑私自身も2022の企画生と交流を深めることになりました。
そして、一緒に2022の企画生と課題へ向き合う中で(文化の企画も参加しました)「創るよりも支える人になりたい」と気づくこともできました。
2度目の卒業
と同期が言うくらい、あまりにも自然に2022も企画メシに向き合い、仲間たちと過ごして卒業をさせていただきました。
「一年前よりいい顔してますね」
と同期に言っていただけたことがすごく嬉しかったです。
企画生の宣言を聞きながら、私にとっての「企画」って何だろう?と考えました。
私は、0から1を創るよりも、大好きな人が喜ぶ顔を見ることが一番幸せだと思いました。そして「創る人の痒い所に手が届く人になりたい」と思いました。
講義が終わってから、メモに書いていた言葉です。
今、その想いが「新しいことを勉強したい!」と思う一番の原動力になっています。
どうかこの言葉が伏線になりますように。
いつかまたみんなと一緒に企画できるように、私も頑張りたいです。
卒業後
現実世界との戦い
夢のような時間を終えて、ふと名古屋のデスクに戻ってきたところ、
全然現実が変わっていなくて笑いました。
前向きになっていたのは、自分だけだった(当たり前)ということに気がつきました。
他にもいろいろとエラーになることが重なってしまい、
自分が棚に上げていた、「現実」という課題と向き合うしかない期間が始まりました。
戦っても戦っても答えが出ない日々と、また会社の罠に巻き込まれていく毎日と。
隣り合わせで過ごしながら、前向きになれない自分をまた責めてよくない循環を進んでいました。
新しい出会い
とはいえ止まるわけにはいかないので、前ではないどこかへ動き続けました。
動き続けている中で「やっぱり自分はエンタメが好きだ」と気が付くことができました。
そして出会う人たちがいい人たちばかりすぎて…。
自分が一緒に居たい人は、こういう人たちだ!と気が付いたら、体が勝手に一緒に居たい人を求めて動き出していました。
再始動
そして、ようやく。
胸にあったわだかまりを吹っ切ることができました。
自分の中での分岐点に立ち返り、まだ普通科に進学することを疑っていなかったころの私が思い描いていた夢は「人生で一度は海外で働きたい」でした。
どのような未来になるか今は全く描けていませんが、
まずは今年の秋に一年ほど日本を離れる予定です。
しいたけ占いさん曰く、今年は今までの10年から次の10年に移行する年のようです。
「占いかい!」となりそうですが、
自分が数字を選んでちょうど10年。
こういう時に、背中を押してもらうために占いを使うのはアリかな?なんて思いながら、次の旅へと出発していきたいと思います。
(ちなみに英語は現在勉強中です、しゃべれないのでお手柔らかに笑)
(2023.6月現在)
海外にはいきません笑
まだまだ日本でやりたいことを追いかけ続けていきます!
終わりにという名の「つづく」
もしも、「コピーライター」と検索して、この記事を見つけることができなかったら、今ここにはいません。
阿部さんが言う「そっち側」ってどんな世界なんだろう。
頭の中で描いてみても、まったく形にならないものばかりでした。
見て見ぬふりをできていた時もあるし、
考えて苦しかった時もありました。
両方の時間を経験した今言えることは、
「私には2回の卒業が必要だった」です。
2022の企画生と現在企画が続いているのは、2022に参加したから他なりません。
そして、2021年に出会った仲間がいたから、背中を押してくれた人たちがいたから、2022に参加することができました。
多分、一回目として2022に参加していたら、圧倒されて2021年と同じ轍を踏んでいたでしょう(絶対そう)
2022年が2回目の企画生だったから、同期のクリエイティブな皆様にも声を掛けられたんだと思います。
どちらが欠けていても今の自分はありません。
そう思うと、本当に縁と運に助けられているなと感じます。
そして企画生と出会い、同期だけでなく先輩や後輩とのつながりが、次の出会いを呼び込み、どんどん世界が広がりました。
今までとはくらべものにならないくらい速いスピードで駆け抜けていった2年弱。昨日決まったことが、急にくるっと変わってしまうこともたくさんありました。
それでも今日笑っていられるのは、「大好きな人たちに出会えたから」に尽きます。
この先のことは全くわからないけれど、
未来でも企画生と楽しい時間を過ごしていたいです。
なによりこの記事を見つけてくれたあなたと、未来で待ち合わせできたらうれしいです。
読んでいただきありがとうございました!
noteを書くためのネタ体験代(記事諸経費)に充てさせていただきます。無駄遣いしないよう是非見ていてください…ありがとうございます!