見出し画像

日本人で初めてピアノ曲を作曲した滝廉太郎|滝の遺した鮮烈な2作品を聴く

1900年に作曲された「メヌエット」というピアノ曲。滝廉太郎(1879〜1903)による日本人が初めて作曲したピアノ曲です。滝廉太郎は、「荒城の月」や「花」など唱歌の作曲者としてよく知られています。

日本人作曲による初のピアノ曲|メヌエット

まずは作品を聴いてみましょう。2分ほどの短い作品です。無理やり西洋音楽史と比較するなら、古典派(ハイドン、モーツァルトあたり)の雰囲気を感じます。

シンプルな構成の曲で、A-A’-B-C-B-A-A''に分解できます。Aの主題の旋律とCに日本風のメロディが取り入れられています。特にCは1度しか登場しないパートですが、日本風の旋律が曲の盛り上げに貢献しています。よくできてはいますが、歴史的名作といえるような作品ではありません。

ただ、西洋音楽を懸命に学び、理論的にも破綻のない作品を作り上げたこと。そして日本らしさを上手くエッセンスとして活用している点は、見事です。日本人初のピアノ曲ということは、当然滝廉太郎にとっても初のピアノ作品であるわけです。非凡な作曲家であることは、十分伝わります

滝廉太郎は、1894年から1900年まで東京音楽学校で学びました。1901年からライブツィヒに留学しますが、結核のため翌年帰国。翌年、1903年に23年の生涯を終えます

彼が健康なまま、ライプツィヒで研鑽を続けていたら、その後もピアノ曲やその他の器楽曲にも着手していたらと考えると残念でなりません。

滝廉太郎の遺作|憾み(Regret)

病床で苦しみながら、滝廉太郎が取り組んだ遺作もピアノ曲。遺憾の憾の字をあてて「憾み(うらみ)」といいます。遺憾とは残念に思うということ。音楽創作の道を途中で閉ざされてしまう、彼の無念さがひしひしと伝わってくる作品です。

滝廉太郎のピアノ作品はこの2曲しかありません。シンプルなメヌエットよりも、遺作となった憾みの方が演奏される機会も多いのでしょう。Youtubeでも憾みはいくつかの動画を見つけることができました。

メヌエット同様に曲の構成を記してみました。基本的にシンプルな構成である点はメヌエット同様です。

A-A'-A-A'-B-B’-C-A-A'-Coda

メヌエットとの大きな違いは2点。特に日本調を意識していないこと。コーダというテーマから独立したエンディングパートを採用していることです。

実際に楽譜を見ていないので、ここは推測ですが演奏指示もかなり細やかに描かれているのでないかと思います。(少し遅めにとか、強い音でとか、ペダルの踏む箇所、離す箇所など)

細かな演奏指示が、後世のピアニストに滝の意図を的確に伝えられたのが、どの演奏も非常にドラマティックな仕上がりになっている一因だと思います。

コーダでは、滝の想いを乗せたように激しく上昇する旋律。そして急降下する旋律が続きます。その勢いと激しさに、聴衆は思わす息を飲むことでしょう。会場を支配するわずかの静寂のあと、厳かに響くD1(レの一番低い音)が全ての終焉を告げます。

もっと演奏してほしい滝廉太郎の2つのピアノ曲

滝廉太郎にしても山田耕筰にしても、唱歌の作曲家としてはそれなりに親しまれていますが、それ以外の作品を耳にする機会はほとんどありません

近代の日本人の作曲家の功績、作品にもっと目を向けること。それは純粋に多くの曲と触れ合う喜びを与えてくれるとともに、今を生きる作曲家や作曲家志望の若い芽にもチャンスも広がることを意味します。

わたしも近代日本人作曲家の作品の全てを知っているわけではありません。しかし、中には親しみやすいメロディの作品やアマチュア音楽家でも気軽に演奏に参加できる作品も埋もれてはいないかと思うのです。

そのような作品があれば、年末の第9のようにような時節や行事の定番曲に育てられるかもしれません。様々な節目を日本人作曲家の曲で飾りたい、とも思うのです。

最後までおつきあいありがとうございました。音楽は生活を豊かに楽しくしてくれます。今回は少々重い曲の紹介になりましたが、新しいジャンルを聴いてみるきっかけになれば幸いです。

わたしのサイトマップ

スキ、フォローももちろん大喜びです。お返しフォローに伺いますよ。

本質的に内向的で自分勝手なわたしですが、世の中には奇人もいるものだなぁーと面白がってもらえると、ちょっとうれしい。 お布施(サポート)遠慮しません。必ずや明日への活力につなげてみせます!