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勉強しなさいって言わなくても勉強する子にどうやって育てたの?(14)

●おわりに

子育てについての話になると、それを「成功」とか「失敗」とかいう言葉で分けようとする人がいます。

私の子育てを「成功」と評した人がいました。娘が阪大、息子が東大、二人とも現役で合格、塾にも行っていない、それを子育て「成功」と言うのでしょうか。

私は、子育てを「成功」させようなんて思って子育てをしたことはありません。子どもには子どもの人生がある、同じように、私にも私の人生がある、そう思っていました。

だから、子どもの人生を私がどうにかしようなどとは考えてもいませんでした。子どもにどんな大人になってほしいとか、どんな職業についてほしいとか、どこの大学に入ってほしいとか、そんなことを言ったことも望んだこともありません。

子どもに何か望んだとすれば、「自分の好きなことがあって、やりたいことがあって、もしも叶うなら、そのことが職業になれば、そんな嬉しいことはない。」そう思っていました。

だから、小さい頃からいろんな話をしました。普通はそんなに小さな子どもには親が語らないかもしれないことも、真剣に語ってきました。

私には幼い頃の記憶が異様に鮮明にあるのに、なぜかうちの子どもたちは、それらの記憶がほぼ皆無のようです。でも、その時々に聞いた話は、その場その場で子どもたちの心に届いていたのだと信じています。母親から聞いたことをちゃんと受け止めて、彼らが実行したことは「自分のために勉強する」ということだったと思うからです。


先日、ロボットの研究で有名なある大学教授がテレビでこう話していました。「子どもは夢なんて持たない方がいい。」えっ?と思って、たまたまついていたテレビの方に向き直りました。

「こんなふうになりたいなぁくらいは思ったらいいと思うんですよ。でもね、こんな職業に就くとか、決めすぎない方がいいと思うんです。決めてしまったら、そうなれなかったときに夢は叶わなかった、ってことになりますよね。失敗した、って。夢なんて持たなくても、勉強すればするほど目の前の可能性はどんどん開けていくんですから。」

私が口を開こうとした瞬間、お風呂上がりでリビングに入ってきて、立ったままその言葉を聞いていた娘が「いいこと言うなぁ~」と言いました。

私が言おうと思ったのと同じことを、先に言われてしまいました。

「夢を書け、とかあれやめてほしいわ。そんなの簡単に決められるわけがないわ。」

「そうそう、ママもあれすごく嫌やった。だいたい世の中にどんな職業があるかもよくわからないときに夢を書けとか言われてもね~。夢を書かせるより、勉強すればするほど将来の可能性はどんどん広がって、選択肢は増えていくってことを、大人はもっと子どもに教えるべきだと思うわ。」

珍しく娘と意見がぴったり合いました。ちょっと変わった人かなと思っていた、その大学教授にも妙に親近感がわきました。

わずか12年やそこらしか生きていない小学生が、いったいいくつの職業について知っているというのでしょう。高校生でも同じです。

自分の身近な人の職業やテレビで見るような華やかな職業、あるいは街で出会う可能性のある職業くらいしか知らないと思うのです。身近な人の職業であっても、おそらくその職場を実際に見たわけではなく、仕事の中身をすべて知っているはずもありません。

そんなわずかな選択肢の中から、「夢」を見つけるなんて至難の業です。

自分自身が小6の時にもそう思っていました。それなのに、卒業アルバムに「将来の夢」などという寄せ書きをすることになって、「みんなどうして夢があるの?」と不思議に思いながら、周りの女の子たちの書いていることを見回しました。

「なんだか保育士(当時は保母さんという名称でしたが)が多そう。じゃあ無難にそう書いておこうっと。」と思い、まったく望んでもいないのに、そう書くことにしました。

12歳の子どもにとっては、10年後なんて遥か遠い未来のことのようで私には想像もつかなかったのですが、それと同時に、今知っている、いえ、聞いたことがある、というレベルでしかない、わずかな選択肢の中から、「夢」を語るということに大きな抵抗がありました。

娘が高校2年生の三者面談でのことです。担任の女性の先生が「将来の夢を決めて、その目標を実現するための進路を選びなさい。」という内容のことを話されました。

将来の夢さえ決められれば、それはもっともなお話です。でも、決めなさいと言われかからといって決められるものではないと思うのです。これだ、と思うものにまだ出会えていない高校生だってたくさんいると思います。

「そんなこと言われても、まだわからない」という娘に、私は言いました。

「あの先生はね、きっと小学生の時から『学校の先生になりたい』って夢があって、その夢を実現した人なんだと思う。何となく先生になった人じゃなくて、なりたくて先生になった人なんだろうなって思う。でも、まだ夢がない人だっているよ。今まで出会った職業の中に、これだって思うものがなかったんだからしょうがないよ。まだよくわからないのに、無理やり『これになる』って決めて、そのために進路を選択するのなんて、ママは馬鹿げてると思う。よくね、親に洗脳されたように『薬剤師になる』って言う子がいるけど、ママはそういうのは嫌い。何かきっかけがあって『薬剤師になりたい』って心から思って、それを実現した薬剤師さんの方がママは安心する。なりたいものが今の時点で見つからないなら、自分が一番興味があって好きなことを勉強すればいいんじゃないの?せっかく大学に行くのに、自分が望んでもいない、興味もない勉強を4年間もするなんて、もったいない。」

娘は、興味のあることはたくさんあったので、将来の目標など決めないまま、自分の好きなことを勉強するために学部を選びました。

毎年、授業を選択する時期には、シラバスを読みあさり「さぁ、どの授業を取ろう」と、とても楽しそうです。授業に出てそれがおもしろかったときには「今日の授業、めっちゃおもしろかったよ。」と私や弟に話します。

私はそんな娘を見ていて、好きなことを勉強できるって幸せだなぁと嬉しくなります。早い時期から夢なんて持たなくても、勉強すればするほど目の前の可能性はどんどん開けていくのです。反対に、勉強しなければしないほど、未来の可能性は一つずつ消えていってしまうのです。

以前行っていた美容院に、新人の若い男の子が入ってきました。18歳でした。シャンプーをしてもらい、髪を乾かしながら他愛もない会話をしていたのですが、「僕、アホなんで勉強できなかったんですよ」と言います。

おそらく自分のお母さんと同じような年代の大人相手に無難に会話をこなしていて、聞けば本が好きで、かなりたくさんの本を読んでいます。昔は読まなかったけど最近読むようになったらおもしろくて、と。決して「アホ」ではありません。

なぜかその「アホ」の話から英語の話になって、私の友人で大人になってから英語を勉強しなおして、今では子どもに英語を教える先生をしている人の話をしたら「中学2年まで英語は好きだったんですけどね。」と言います。

どうして嫌いになったかというと、そのあとの先生が嫌いで、勉強しなくなってしまった、と。こんな子に出会うと、すごく残念に思います。

あなたは「アホ」ではないよ、中学生の時に勉強することをやめてしまっただけ。普通に勉強すれば、きっときっとちゃんと理解できて、もっと新しい世界が知りたくなったはずなのに。

よけいなおせっかいだと思いつつ、彼に言いました。

「英語が好きなら今からでも勉強すればいいのに。NHKの基礎英語からやり直してみたら?さっき話した先生、最初は『基礎英語』で英語の勉強をやり直したんだから。毎日欠かさず勉強して10年続けたら、きっとペラペラに話せるようになっていると思うよ。」

「10年ですか?長いですね~」

「頑張っていたら10年なんてすぐよ」

何でもきっかけが大事。英語の勉強を続けたら、あなたならきっともっと他のことも勉強したくなるんじゃないかな、頑張って、と心の中で応援しました。

勉強なんて、やらなければ当然わからなくなってしまいます。わからなくなると、当然面白くなくなるので、もっとやらなくなります。もっとやらなくなると、ますます面白くなくなります。負のスパイラルからは簡単に抜け出せなくなってしまいます。

小学校の勉強をちゃんとやっていないまま中学生になっても、急に勉強ができるようになるはずがない、という当たり前のことに、小学生のうちに気づかせてあげないといけないと思うのです。

自分にとってやりがいを感じられる仕事に就ける可能性を、一歩一歩着実に広げていくために、人は勉強しているのだと思うのです。


私は現在、社会保険労務士会に所属しています。少子高齢化が急速に進んでおり、これからの労働社会保険制度を支える世代に対し、「働くこと」や「社会全体で支えあうこと」の意義を伝えることは、大変重要であると社会保険労務士会は考えています。

各都道府県の社会保険労務士会では、地域ごとに教育機関との連携を図り、中学校から大学まで、それぞれの段階に応じた労働社会保険に関する教育活動に取り組んでいて、社会保険労務士が学校教育の場などへ出向き、学生が社会に出る前に知っておくべき労働および社会保険に関する基礎知識を伝えるための活動(出前授業)を行っています。

社会保険労務士になって間もなくこの活動を知ったとき、私は「この活動がしたい」と思いました。

幼い頃、人前に出て何かをするということがとてつもなく苦手であった私がその苦手なことをやりたいと思うだなんて、自分自身が信じられない思いでしたが、私は働くことを考える前に、子どもたちに「勉強することの意味」を知ってほしいと思っていました。

社会保険労務士として、初めて市立中学校で「働くことをいっしょに考えよう」というテーマで出前授業をする機会をいただいたときのことです。

講演の事前打ち合わせの際に、学年主任の先生から次のようなお願いがありました。

「今の二年生は、全体的に勉強しないんです。真面目な子もいるのですが、楽な方に流れていく勢力に学年全体が流されているというか。何とかあの子たちが勉強する気になるようなお話をしていただけるとありがたい。」

私が話したいと思っていたことを望んでいてくださると思い、初めての講演に緊張が高まる中、さらに意欲が増しました。

内容としては、働く意義と役割、様々な働き方について、また、働くことに関する法律や社会保険関係の内容についても、中学生が理解できる程度に触れていく中で、勉強すればするほど自分の将来の可能性や選択肢は広がっていくのだということについてお話しさせていただきました。

会場の体育館の生徒たちの中に、じっと見つめて聞いてくれている眼鏡をかけた男の子がいました。時折メモを取ってくれています。1年生から3年生の生徒さんたちは、終始静かに真剣に聞いてくれているように見えました。

どのくらい心に響いたのかは定かではありませんが、後日いただいた作文を読ませていただくと、感じたものは様々であれ、何か少しは感じてくれるものがあったのではないかと少しほっとしました。

子どもたちの心に届いてほしいと願いながら、精一杯話した60分の講演の最中、終始一生懸命聞いてくれていた眼鏡の男の子の存在は私を支えてくれました。そして、今さらながら知りました。壇上からは一人一人の顔や様子がこんなにもよく見えるものなのだと。

「勉強しなさいって言わなくても勉強する子にどうやって育てたの?」この問いに一言で説明できる答えなんて当然ありません。娘にこう聞かれた母が、自身の子育てを振り返って語るとすると、これまで書いてきたようなことかなぁと思います。

私自身、子育てで後悔していることが無いわけではありません。忙しさに追われる日々の中で、この長い子育てのトンネルからいったいいつ抜け出すことができるのかと、焦りや苛立ちを覚えたことも多々ありました。

トンネルは思ったよりも短いのだと、もっと早く気づけば、もっともっと子育てを楽しめたのにと思ったりもします。

だから、子育て真っ只中のママたちをみるといつも思います。
トンネルの出口は、あなたが思っているよりもずっと近くにあるから、焦らないで、苛立たないで、子どもと一緒に自分自身を成長させてほしいなぁーと。


勉強しなさいって言わなくても勉強する子にどうやって育てたの?(1)

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