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勉強しなさいって言わなくても勉強する子にどうやって育てたの?(6)

●子どもを認めること

私が小学2年生の学校での音楽会の時のことです。ピアノ、エレクトーン、ピアニカ、木琴、鉄琴、タンバリンに鈴など、様々な楽器の担当を決めることになりました。

私は、その時初めてトライアングルという楽器を知りました。初めて見た三角形のその楽器の澄んだきれいな音色に引き付けられ、「トライアングルがしたい」と思いました。積極的に自分の思いを学校で主張する子どもではなかったのですが、先生が「トライアングルがしたい人」と聞いた時に手をあげました。希望者が他に何人いたのかとか、そのあたりはよく覚えていないのですが、希望どおりトライアングルの担当になって喜んで家に帰りました。

夕食の時にトライアングルに決まったことを話すと、父に「なんや、叩くだけ?」と言われて、とても悲しい気持ちになったことをはっきりと覚えています。そのとき母は「音がきれいで、それがよかったのよね?」と私の気持ちを察してくれましたが、一度発せられた「なんや」の言葉はもう消えません。

当時、エレクトーンを習っていたので、楽譜も読めるしピアニカなどの鍵盤楽器でも問題なく弾けました。父親にしたら「せっかくエレクトーンを習わせているのに」という気持ちだったのかと今なら想像できます。でも小学2年生の女の子には、悲しい気持ちしか残りませんでした。

だから、私の子育てのもう一つの主軸は「子どもの興味を大人の価値観で判断しないで全面的に認めること」でした。


息子は幼い頃から数字に絶大な興味を示し、そこから算数、数学の世界へと彼の興味は広がっていきました。図形パズルに熱中し、ルービックキューブにはまり、理科全般にも深い興味を示し、宇宙にも関心を持ちました。天体望遠鏡で星を見ることも好きでしたし、皆既月食を一緒に観察したのも、私にとって大切な思い出です。

(「●子どもの果てしない興味」はこちら)

娘は様々なことに対して好奇心旺盛な子でした。彼女が「おもしろい!」と感動する観点は、私の理解を超えるようなところもあって、この感受性はどこから来るのだろうかと思ったりしました。

娘が「これおもしろい」と喜々としてそのおもしろさの説明をするのを興味深く聞きながら、あとで息子と「Kちゃんすごいね」と、何がすごいのかよくわからないのですが、その好奇心にただただ感心することもありました。

そんな娘が小学生の頃、マジック(手品)に興味を持ちました。テレビで見るマジシャンのマジックはもちろんのこと、おもちゃ売り場でマジックの道具を見つけてからは、自分でもマジックを練習するようになりました。

図書館ではマジックの本を借りて、家にあるものでできるマジックも練習しました。新しいマジックを習得すると何度も見せられましたが、ほとんどのマジックについて私は種を見破ることはできませんでした。これ、と思ったものに対する向上心というか何というか、感心するものがありました。

小学校を卒業するときに「将来の夢」を寄せ書きにしたりしますが、娘の学校でもこれをすることになりました。娘は何と書こうか迷っていたようでしたが、迷った末に「ママ、マジシャンになりたいって書いたら恥ずかしい?」と聞いてきました。

クラスの友だちは、スポーツ選手や保育士、パティシエ、なかには薬剤師などと書く子もいるようで、そんな中で「マジシャン」と書くことが、普通とかなり違うということは、クラスの中でも比較的「普通の子」である娘にはよくわかっているようでした。

私は「全然恥ずかしくないよ。だってマジシャンになりたいと思うんでしょ?ママは小学生のときになりたいものなんてなかったから、なりたいものがあるってことがすごいと思うよ。Kちゃんがマジシャンになりたいって書いても、ママは全然恥ずかしくないし、Kちゃんも恥ずかしくないよ。」と言いました。

娘は卒業文集の寄せ書きに「マジシャンになりたい」と書きました。自分の気持ちを親に反対されることは、大人が思うよりずっと子どもの心を傷つけ不安にするのだと私は思っています。マジシャンになることなんてごく普通の仕事に就くことよりもずっと難しいのですから、小学生に目くじら立てて反対しなくても、まずは気持ちを認めてあげることのほうが、子どものやる気を育てるのではないでしょうか。

(次回は「●まずは生活習慣から」)


勉強しなさいって言わなくても勉強する子にどうやって育てたの?(1)

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