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ギフテット -才能とはなにか-

才能とは「ギフト」なのか、「義務」なのか。

あらすじ

 フロリダの小さな町で暮らす一人の男フランクと片目の猫フレッド、そして天才的な数学的頭脳を持つ7歳の姪メアリーの話。しかし、彼女の才能が明らかになるにつれその生活が脅かされていく。メアリーの特別扱いを頑なに拒むフランクに対し、彼の母エブリンは、英才教育を受けさせるために彼とメアリーを引き離そうと対立する。奇妙な「親子関係」の行方はいかに。幸せな生活とは何なのだろうか。

 才能を持つ人はそれを使うことが幸せなのか、それとも「普通」の人間として生きることが幸せなのか。才能があると周りは羨望したり、使わなくてはもったいないと考えてしまう。しかし、本人からすると才能と幸福が必ずしも一致するわけではなく、他人同様多様なことに興味を持つ。幸福に生きるにはどうするのか、そもそも幸福とは何なのか。才能を伸ばすことなのか、心理的に楽しいことなのか。

 メアリーは小学校1年生だが既に大学生以上の数学的頭脳を持ち、その頭の良さも彼女のセリフからよく伝わってくる。しかし、口は達者でも彼女のアクションは7歳そのものなのだ。フランクに甘えてよじ登ったり、友達と手遊びを楽しんだり、すぐ寝てしまう。数学を解く時の彼女はフランクを無視するほど熱中し凄く楽しそうである。しかし、フランクのいない生活には非常に反発し不幸を感じる。7歳の子供にはなにが自分の幸せになるのかはわからず、決定することさえできない。大人たちに翻弄される彼女をみてやはり普通の子供なんだなと思わされる。

 フランクはメアリーに対し、「普通」に生きてほしいと願い、教授(哲学)の仕事を辞めてまで静かに暮らそうとする。英才教育を受けて自殺した天才、彼の姉を半面教師にしているのだ。才能を使うことは人を不幸にする、そんな否定的な影響を感じる。しかし、彼は彼女を普通に生かせることが本当に彼女の幸せなのか、自己満足ではないのか、と常に疑問を抱いている。その葛藤は、解決することはなくラストシーンでメアリーが大學にも小学校にも通うことになる。しかし彼は、メアリーは自分といるべきだ、という決心のみ譲ることはなかった。

 フランクの母エブリンは物語を通して批判的に描かれる。映画はほとんどがフランクの視点で描かれており、彼女はその「対立相手」として存在する。才能に対する行き過ぎた使命感を持ち、その他の人間的な側面にはみむきをしない。その使命感は彼女の娘を殺してしまうことも描かれている。その失敗を経てなお、功績を欲しがるのである。精神的な、人間としての幸福の対偶として強く描かれている。

 ラストシーンはメアリーは大学へも小学校へも通う、人間として生きるべきだが才能も大切だという中途半端な終わり方をする。しかし、本質的なのはメアリーとフランクとフレッドがともに暮らし続けることだ。人の幸福は才能や環境ではなく親しい人間関係で決まる、そう結論したのではないかと思う。

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