見出し画像

私らしく生きる。

→自己紹介

chari(ちゃり)です。
たくさんの葛藤だらけの学生時代。組織のコマになるまいと、上司にキャンキャンいいながら、奮闘していた会社員時代。
今となっては、1歳3ヶ月差の年子を育てながら、保育士をしたり、カウンセラーをしたり星よみしたりブログを書いたりしながらヘロヘロな毎日を送っている平凡な主婦です。

世の中の母親と自分を比べては、落ち込みすぎていたあの日から、
気づけば6年も経っている今日この頃。

いまのままでじゅうぶん。私らしさ100%で生きようじゃないか!と奮い立ち、他の人とわざわざ比較をして自分を苦しめる人生をやめて、今の自分をまるっと愛して、自分にとっていちばんのHEROになろうと思い、自分なりのペースでやりたいことをしたり、今と向き合ったり、ゆるい毎日を送っています。

→noteを始めた理由

これまでの自分自身のこと、育児のこと、ゆるっと生きる毎日を送ろうと思うまでの葛藤、学生時代や会社員時代の体験などなど
記録として残すことで自分自身への励みにしよう、あわよくば誰かの力になれたら嬉しいな、と思いnoteをはじめてみました。

→保育士だけど育児がマジで辛かった

小さい頃から子どもが大好きで、子どもと関わる仕事がしたいと思って福祉系の大学に進みました。

保育士の資格も取り、福祉資格も取り、その職にも就いたので、子育てに対しては、正直なところ、人と関わったりすることにも慣れているし、専門職だから知識もあるし、大変さはわかってるいるから楽しむだけかな〜!!

そう思っていました。が、それは大変甘い考えでした。苦笑

確かに、大変さを分かった上での楽しむこと、というのは大正解だった。だけど、そう感じるためには、自分自身のこともちゃんと大切にする。ということがあわせて大事、とは思っていませんでした。

→子育てって当たり前が当たり前じゃなくなること

自分の好きなタイミングでトイレに行ったり、お出かけしたり、眠ったり、好きなテレビを見たり、家事したり・・・当たり前にできることが当たり前にできなくなる。

イラっとしたり、ストレスを感じたときに気軽に作れた一人の時間が
”誰かにお願いをしないと”作ることができなくなる。(ほぼない)

毎日自分以外のことで、やることが山積みになる。

当たり前に色々できた日常はどれほど貴重なことだったのか。

『母親になったのだから仕方がない。それを覚悟で産んだんでしょ?文句を言うんじゃない。』

そんな声がどこかから聞こえてくる気がして、少しでも弱音を吐こうものなら、そんな世間様からの声を想像してしまい、もっと頑張らなくちゃいけないと思い込み、憂鬱になり、余計に”助けてほしい”と言えない毎日だったと思います。


そんないっぱいいっぱいな自分に今の私が出会ったら。強く抱きしめて大丈夫だよって声をかけてあげたいし、気分転換する時間、最優先事項で作りなさいって伝えていると思います。

どこかから聞こえてくる声よりも、自分の中で必死に叫んでいるその声に耳を傾けるんだよ。

子どものことを大事に思う気持ちやそれに伴う行動と同じくらい、自分のこともちゃんと大事にしてあげて。

これが結果的に、子育てや家事への向き合い方に疲弊して、自分を追い詰めちゃう、そんな私を救い出してあげることができた方法だったかなと今となっては思います。

→自分の調子次第で見え方が変わる

育児をしているとき、「楽しい!」「幸せ!」「面白い!」「愛おしい!」「かわいい」「かわいい」「愛」という気持ちであふれています。

でもそれと同じくらい?「疲れた」「イライラ」「一人になりたい」「朝まで寝たい」「おい、夫!」「泣き声やめて」「うおぉー!!!!!!」という気持ちも繰り返しています。よね?笑

自分の調子次第で、同じ出来事への受け取り方が180度変わる毎日なのです。(ホルモンバランスも乱れているしなおさらね)

例えば、
部屋を散らかされても「平気な日」と「ダメな日」があったり、、、

夜泣き対応を
「優しくできる日」と「もう無理限界ダメな日」があったり、、、

こういう、自分の調子次第で対応が変わってしまうこと、
すごくすごくわたしは嫌だったし、今もそんな自分が出てくると嫌になります。

そしてさらに、睡眠不足なのも、ストレス蓄積するのも、常に子どもたちと一緒にいる生活なのも、子ども中心に過ごすのも、すべて当たり前。世の中の母親たちはみんな当たり前に頑張っているんだから、私も頑張らなければならない

と比較ばかりして、自分を追い込む毎日でした。

そんな自分を変えてやりたいと思って気合いで、一時的に回復!!
でも続かない、、、そしてイライラする、、、という毎日を繰り返し過ごしていたと思います。

→感動のひとり時間で気づけたこと

ある時、数年ぶりに自分のためだけに好きなことができる数時間を手に入れた私。その時の開放感を今でも忘れられません。それと同時に、子どもは大丈夫かな。今何しているかな。泣いていないかな。というソワソワしたあのみょうな感覚も忘れられやしません。

限られたひとり時間に私がしたことは、大好きなカフェに行って、美味しいコーヒーを飲みながら、ノートとペンを持って、かっこつけていえば自分と向き合うことをしました。笑

そこで気がついたのは、
自分への労わりがなかったこと、心のSOSに耳を傾けてこなかったこと、自分の気持ちや体調は後回しにしていたこと、弱音を吐いてはいけないと思っていたこと、他人と比較して自分を追い詰めていたこと、など

自分がいっぱいいっぱいだったということがようやくわかりました。

→誰かと比べた自分ではなく

これまでも人と比較してしまう自分はいました。ですが、私の場合は、母親になったことによってさらに、世の中の母親と比較してしまうことが多くなったと思います。

今の社会って、母親に求められることが本当に多すぎるし、時代錯誤かよ!というくらいおかしなことで溢れていると私は思います。女性は本当に強い。だからやりきれるかたもいるわけです。私はやりきれない方でした。

SNSが普及し、いろんなことが見えるようになってさらに人と比較できてしまう機会も多い。できない自分はダメな母親なんじゃないかって思う機会なんていっぱいある。ホルモンバランスも乱れまくりで、不安定な心は本当にSNSにゆさぶられてしまうことが本当に多い。

そんな中で自分と向き合うことをしてみたら、比較しているからいっぱいいっぱいだったことに気付くことができました。

そして、自分の基準だったらどうかと言う視点で考えてみたら、ここは頑張りすぎなくてもいいんじゃないかという落とし所が見えてきたし、同時に私は私の中でとても頑張ってきたんだなと認めてあげることもできて、ぎゅっとなっていた心が緩んだ気がしました。


→私らしく生きよう

世の中の母親像にハマろうとするから苦しくなるんだ。子育ての正解なんてないはずなのに、溢れる子育て理論にあたふたして、正しさやちゃんとしたものを求めようとしていたのではないか。いつだってそこには自分自身がどうありたいかよりも、他者や自分以外からの何かによるこうあるべき正解像に照らし合わせて考えることを率先して選んでいたんだろう。

私はどう思うんだろう。私は?????


私が考えて思うこと感じることが全てなんだと気づき、私らしく生きようとゆるゆるヘロヘロになりながらも、マイペースに生きようときめました。

色々思うことはありながらも発信をすることが苦手なのでかめのペースにはなりますが、いろんな方とのつながりを楽しみにこれからも発信していこうと思います!どうぞよろしくお願いします😌


chari

この記事が参加している募集

サポートしていただけるととても嬉しいです♡夢を実現させます!