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100.福祉の御勉強

“この子らを世の光に”

糸賀一雄さんのお言葉です。

知的障がい児や戦争孤児の為の近江学園や重度心身障がい児の為のびわこ学園を設立するなど、その一生を社会福祉活動に捧げた人物です。

“社会福祉の父”とも呼ばれています。

糸賀さんの言葉は“この子らに世の光を”としていないところがとても重要です。

つまり、当事者である障がい児こそが、社会の内側から新しい社会を形成していく主体であるということです。

この糸賀さんの思想は、現在でも社会福祉に携わる人に多大な影響を与え続けています。

戦後間もない時期に、人間の新しい価値観の創造を目指した人権尊重の福祉の取組を展開し、その精神は、現在も世界の多くの福祉関係者に受け継がれています。

“この子らはどんな重い障害を持っていても、誰と取り替えることもできない個性的な自己実現をしているものである。

人として生まれて、その人なりに人間となっていくのである。

その自己実現こそが創造であり、生産である。

私たちの願いは、重症な障害を持ったこの子たちも立派な生産者であるということを、認め合える社会を造ろうということである。

この子らに世の光を当ててやろうという哀れみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよ磨きをかけて輝かそうというのである。

この子らを世の光に…である。

この子らが、生まれながらにして持っている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。”

人間の本当の平等や自由は、この光を光としてお互いに認め合うところに初めて成り立つということです。

人間がお互いに理解し、認め合い、そして、愛情によって支え合う共生社会の実現は、この糸賀一雄さんの“この子らを世の光に”の精神の積み重ねで成り立つわけです。

今の時代となっては、障害の有無とか年齢とか性別とか…そんなことは関係ありません。

“一に人、二に人、三に人。”

これは、この世界を作っていくのは“人”であるという考えから優秀な人材…人財を生かしていくことに尽力された明治~大正時代に活躍された医師であり政治家の後藤新平さんのお言葉です。

“財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上。されど財なくんば事業保ち難く、事業なくんば人は育たず。”

…と仰られています。

人を育てることは最も大事なことですが、その為には事業を通じて人を育てる必要があり、事業を保つには財も必要であるということです。

少子高齢化で労働人口が減少し、人材不足が慢性的に続く中で、日本企業に求められるのは、“人材ありきの適材適所” ではなく、“求められる役割にふさわしい人材を充てる適所適材” への転換です。

でも、なかなか適所適材は難しいのが現実です。

そもそも日本では形式とか様式に拘り過ぎることから、適材適所すらできていないことが多かった過去があります。

でも、限られた人材…人財でこれからの社会を動かしていくには適所適材は絶対に欠かせません。

そこで必要になってくるのが、エンパワーメントです。

エンパワーメントは、否定的な評価を受けるなどして生活力を失っている人に対して、無力感の克服、自身の問題の解決、生活をコントロールしていけるようになる為のサポートをすることをいいます。

言い換えると、“その人らしく生きる”、“自分の持っている能力やスキルを自覚して社会と関わる中で成長させていく”為に行うものです。

1960年代のアメリカで、黒人問題やジェンダーに関わるソーシャルワークの実践から生まれました。

エンパワーメントの最大の特徴は、“個人の持つ能力を尊重する”ということです。

人それぞれに違う個性や能力、可能性を持っているものですが、社会的な制約によって発揮できていないという場合が多くあります。

エンパワーメントをすることによって、自分に対する自信を取り戻したり、QOL(生活の質)が向上するという恩恵があることから、今では教育やビジネスなど幅広い領域で採用されるようになってきています。

私には福祉系の講習とか研修費を集めるのが難しかったことから、独学でお勉強をし始めたことがキッカケで始まった ふくしのおべんきょう です。

ようやく、100項目に辿り着きました。

1つの目標を達成です。

始めた時点で100項目やったらこのnoteを消そうと思ってましたが…、いざ100項目に来るとまだまだ書きたいことはあるな…と感じています。

今後、どうするかは気まぐれで決まると思いますが、準備を含めると2年の期間でしたが、この間は有意義な時間となりました。

最後は私の本質でもあり、子どもの頃から変わらず永遠の憧れである雲のジュウザさんのお言葉で締め括ろうと思います。

“雲ゆえの 気まぐれよ。”

“わが拳は我流。
我流は無型。
無型ゆえに、誰にも読めぬ。”

写真はいつの日か…札幌市内で撮影したものです。

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