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92.揺り籠から墓場まで ’24
まずは、ウィンストン・チャーチルさんの御言葉から…、
“現在我々は悪い時期を通過している。
事態は良くなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。
しかし我々が忍耐し、我慢しさえすれば、やがて良くなることを私は全く疑わない。”
日本では少子化が突き進んでいて、 厚生労働省が公表した最新の人口動態統計では、2024年1~3月の出生数は、前年同期比で6.4%も減少しました。
2023年の年間出生数が前年から4万3482人減って75万8631人と統計開始以来最低でしたが、今年はもっと少なくなると予想されています。
女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率は過去最低の1.20まで低下しています。
北海道は1.06で、東京の0.99に次いで全国で2番目に低い状態です。
出生数が150万人を超えていた1983年から、その半分の75万人まで減少するのには40年かかりました。
しかし、年間6.4%減で少子化が続くと、半減するまではたった10年しかかからない計算になるようです。
要するに、少子化がこれまでの4倍の速さで進行する可能性があります。
20代の正社員の男女のうち25.5%が子どもは欲しくないと回答しているそうで…。
欲しくない理由については…、“お金が足りない”、“増税・物価高の中、自分のことで精一杯で育てる責任が持てない”など、金銭面の不安を挙げる人が多い状況です。
これは比較的収入が安定しているとされる正社員を対象にした調査結果です。
結婚しないで出産する人が少ない日本では、婚姻数の増減が出生数に直結するので、結婚に踏み切れない人たちに対する直接的な経済支援と言うか、仕事をすれば生活が安定できる社会造りが必要と考えられます。
このように少子化が突き進む裏で高齢化が進行します。
5月の経済財政諮問会議で、全世代を対象としたリスキリング(学び直し)の強化に向けた柱の1つとして、“高齢者の健康寿命が延びる中で高齢者の定義を5歳延ばすことの検討”が提言されました。
身も心も満たされた、誰もが活躍できる社会…、ウェルビーイングの高い社会をどのようにして実現するのか…というテーマで、全ての世代でリスキリングを推進すべきという文脈の中で出されたものです。
世界保健機関(WHO)は、国際標準の高齢者を65歳以上と定義していますが、日本では60歳時点の健康余命(健康上の問題で制限されずに生活できる期間)が、男女平均で20.4年(2019年)と、米国の16.4年と比べても世界のトップ水準になっています。
このことから、日本老年学会などでは、すでに2017年に、75歳以上をより手厚い医療や介護の施策を行うべき高齢者と定義することを提言していました。
また65歳から74歳までは、ある程度の疾患を抱えていても自立は可能であり、その自立度を維持する方向に対策するべきとしていましたが、これまで具体的な政策に結びつけられることはありませんでした。
現在の年金制度は将来世代の負担が重くなり過ぎないように2004年の改正で保険料の上限を固定した上でその範囲内で給付水準を調整するマクロ経済スライドを既に導入していて、現段階では高齢者の定義に関係なく、年金の支給開始の年齢の引き上げを行うことはないようです。
でも、いずれは…どうでしょうか。
そして、原則65歳以上で要介護認定を受けた人がサービスを利用する介護保険制度についても現段階ではその範囲を見直すことは考えていないようです。
ただ、高齢者を人手不足の補完勢力として、それを当然のものという価値観を作り上げるのはどうだろう…とも思ってしまいます。
高齢者の年金や健康保険などを若い世代が負担してきたのに、自分が高齢者になった時に、もらえる期間が短くなるのではないか…という不安を抱かせてしまいそうです。
苦労はしてきたけど、見返りがない国…後に生まれてきた人が苦しむ国…長生きすればしただけ損をする国…そんな場所で誰が希望を持てるのでしょうか…。
日本の総人口は2070年には2020年と比べて3割減の8070万人になると推測されています。
その中で65歳以上は全体の4割程度になると言われています。
画期的だった制度やサービスも、時代の変遷につれて、制度疲労や不適応を引き起こします。
このままの制度の延長線上での対応しか方法はないのでしょうか…。
そうだとすると、希望の持てない国の状況はもっともっと悪化するのではないか…と思います。
増税や増税みたいなことでの対応しかないのですから…。
北欧のように国民が見返りがあることを身を持って体感し納得した上で高い税を払う…という方法は素晴らしいと思います。
でも、それが日本でシックリくるかは不明です。
まぁ、私は頭が悪いのでさっぱりわかりません。
ですが、学識者とか有識者とか呼ばれる学歴社会の勝ち組の人たちなら何とかできるのではないか…新しい仕組み造りをです。
そんな厳しい状況ですが、過去にヒントがあるのかもしれません。
…と言うことで、歴史を少し振り返ってみます。
現在の日本人は、0歳児から“健康(医療)保険”に加入し、生涯に渡って保険証を持ちます。
これは、スイッチを押すと電気がついたり、蛇口をひねると水が出る…これらのことと同じように、当たり前のことになっています。
でも、この電気にしても、水にしても、保険にしても…、現在、当たり前になっていることは、生きる上で最も大切なことであり、これがないと生活はかなり不便になります。
本来ならば、心から感謝しなければ、罰が当たるような重大な事です。
国民皆年金、国民皆保険は、1961年4月から始まりました。
それまでは、農林水産業者や商工業者の人たちにとっては、医療保障は無縁のものでした。
この頃、自営業者などの無保険者は2000万人、被用者(勤め人)保険に入れない零細事業所従業員らも1000万人いたとされています。
当時の総人口の3分の1が健康保険証を持ってない時代でした。
元々、日本の医療保険制度は、1927年施行の健康保険法から始まりました。
職場の仲間で作る“職域(被用者)保険”が出発点でした。
一方で“地域保険”は、主に自営業対象の為、仕事も収入もバラバラで、保険料の給与天引きもできません。
その壁に阻まれながら1938年の国民健康保険法でやっと地域保険の実現への目途が付きました。
ただし、これは戦時下で頑健な兵士を確保する“強兵”政策の一環でした。
更に、組合方式、任意設立、任意加入の緩やか制度設計の為、一部の地域での実施に留まりました。
戦後は、組合ではなく市町村運営にされましたが、任意設立のままで、特に保険料徴収が難しい大都市部での設立はなかなか進みませんでした。
1956年、当時の総理大臣である鳩山一郎さんは“全国民を包含する総合的な医療保障の実現”を施政方針で宣言しました。
次に、石橋湛山内閣は翌年度から市町村の国民健康保険(市町村国保)の普及を促す4カ年計画に着手しました。
その上で、すべての市町村に新たな“国民健康保険”という地域保険の設立が義務付けられ、国民は自分の住む市町村国保への強制加入が原則にされました。
ただし、勤め人と家族は職域(被用者)保険に加入しても良い(適用除外)という棲み分けでした。
既存の大企業従業員らの健保組合、中小企業従業員らの政府管掌健康保険(現在の全国健康保険協会…通称「協会けんぽ」)、公務員らの共済組合を温存しながら、各地で育ちつつあった地域保険を列島の隅々まで広げていきました。
日本では独特の市町村国保という地域保険を基盤に、完全な皆保険体制を築きました(保険料の支払い能力がない生活保護世帯は除外され、公費による医療扶助を受けます)。
この枠組は、発足から60年以上経った現在も基本的には変わりません。
発足時と異なるのは、2008年度に75歳以上の全員が加入する独立型の後期高齢者医療制度が創設され、国保の加入者が75歳未満までは運営が市町村と都道府県が共同で担うようになったことです。
当初の市町村国保の給付率は5割にすぎませんでした。
つまり医療費が1000円なら窓口負担(一部負担金)は5割の500円を払う、保険制度としては不充分な内容です。
更に、大難問だったのは、全国的に病院や診療所が絶対的に不足していたことでした。
誰でも、いつでも、どこででも、健康保険証を手に医療サービスを受けられる現在では当たり前の枠組や仕組も、始まりはとても大変だったことがわかります。
国民皆保険が1961年度から始まる前、既に、当時の日本医師会の中心にいた武見太郎さんは、警告していました。
“今の医療制度で皆保険をやるのは、軽便鉄道のレールを全国に広げ、そこに特急列車を走らせるようなものだ。”
医療機関の状況を、貨物を運ぶ程度の鉄道に例えて、高速の大量輸送列車を走らせると、脱線してしまう……ということです。
確かに、皆保険によって市町村運営の国民健康保険(市町村国保)は当時の3670市町村全域に広がり、加入者は約4900万人に膨れ上がりました。
一方、地域の中心部から半径4㎞以内、人口300人以上で診療所もない“無医地区”が全国に1489もありました(1960年度)。
保険証を手にしても、医者がいない、病院がないという状況です。
しかし、国民全員が保険証を持つことは、医療機関の確実な収入源になります。
国民の所得も、1964年の東京オリンピック開催へ向かう高度経済成長で着実に増え続けていました。
当時の統計では、1955年末~65年末の10年間で、病院は年間平均200か所、診療所は同1300か所ずつ増え続けました。
公的な医療保険と医療供給体制とは二人三脚で普及していきます。
それは、近年も“介護保険”創設と、介護サービスの飛躍的な拡充で再現されています。
当然のことですが、医療費は急増します。
医療技術、医薬品の高度化、薬づけ、検査づけの傾向、保険給付率の改善(市町村国保で62年10月…、世帯主7割・窓口負担3割、65年から段階的に世帯員も同様)、やがて迎える高齢化などによる複合的な医療費の膨張です。
当時は“健保”に加えて“国鉄(民営化前の国有鉄道)”、“米(国が米を買い上げた食糧管理制度)”は、国の財政上の大きな問題となって“3K赤字”と呼ばれました。
保険料率の引き上げ、大幅な公費補助の投入、診療報酬の抑制、職域(被用者)保険の給付率引き下げなどと対策も複合的に繰り返されました。
画期的な制度やサービスも、時代の変遷につれて、制度疲労や不適応を引き起こします。
その代表が、皆保険の基盤である“市町村国保の変貌”と“病院頼み”の体制です。
市町村国保の加入者の職業別構成は、皆保険から半世紀で劇的に変わりました。
発足間もない1965年、加入者総数に占める農林水産業者は38.9%、商工業者らは23.5%を占めました。
それが2018年には2.3%と15.8%まで落ち込みました(2008年度に国保加入の75歳以上は全員が新設の後期高齢者医療制度へ移り、国保は75歳未満の保険に変わりました)。
この激変は、農林水産業と零細な商工業の衰退、高齢化に伴う年金生活者(無職)の急増、正社員数を抑える企業運営が生み出す非正規労働者の大量出現等を反映しています。
それらが、市町村国保に高齢化、低所得化、疾病多発の三重苦を引き起こします。
同時に、市町村合併もあって国保は1700余に集約され、加入者総数は発足時の約4900万人から約3100万人に激減、特に地方の過疎化に伴い加入者3000人未満の市町村国保が全体の3割強に達しました。
そして、医療機関の整備や拡充も日本独自の道を歩みました。
欧州主要国では、自治体やキリスト教会によって公的な病院が建設されましたが、日本では病院も診療所も“自由開業制”で、大半は民間の力で整えられました。
その為、政府や行政が病院数やその配置、ベッド数や治療内容に対して強制的な規制を行うのは極めて難しい状況です。
しかも、患者が自由に医療機関を選べる“フリーアクセス”が当初から認められました。
欧米の病院は原則的に入院専門ですが、日本では外来(通院)の患者も受け付けます。
欧州主要国のように、自分の“家庭医(かかりつけ医)”を定めて、まず受診した上で、必要なら病院を推薦してもらう制度もありません。
必然的に大病院志向が強まっていきます。
日本では人口1000人当たりの病床数が13.1床で、フランスの2倍以上、イギリスやアメリカの5倍前後の多さです。
しかも、平均入院期間は飛び抜けて長く、その為、病床当たりの医師数や看護師数は比較にならないほど手薄になり、更に外来患者も引き受けています。
2020年1月からのコロナ禍で、先進国の中では人口当たりの感染者数が桁違いに少ないにも関わらず、日本の病床は逼迫しました。
その一因は、この病床当たりの医療職の絶対的不足にあります。
1977年には早くも病院での看取り数が、自宅での死者数を超えていました。
今では、総死亡数の72%が“病院死”です。
超高齢社会は大量死の時代を意味し、自宅や福祉施設での療養、看取りの拡充が望まれます。
国民皆保険体制の再構築へ向けて、まずは医療費が集中する75歳以上の全員を新設の“後期高齢者医療制度”に移し、医療費の分担が明確化されました。
次いで2018年度から国保は、長年の市町村運営から都道府県との共同運営に切り替えられました。
そして、“かかりつけ医”を軸に在宅医療、在宅介護の大事さが提唱され、医療、介護、生活支援、住宅確保の連携…、一元化を目指し、地域ぐるみの支え合いと言える“地域包括ケアシステム”が推進されています。
医療サービスは、他の商品やサービスとは異なる特性を持っています。
まず、健康と命を守る為に求めざるを得ないサービスであること(強制的消費)。
そして、病気や負傷が治るまでの期間、費用を予測しにくいこと(予測困難性)。
3つ目は、医師らが圧倒的な知識を持ち、患者や家族は知識に乏しいこと(情報の非対称性)です。
米やパンは買わざるを得ませんが、値段や品質は分かります。
教育や習い事はゴールがないに等しいサービスですが、個々人の判断で止められます。
美術品、骨董品の値打ちは見極めにくいものですが、買うかどうかは自由です。
3つの特性が揃うのは医療だけです。
その特性に応じて、“国民皆保険”は補強を重ねてきました。
日本人は生涯にどれぐらい医療費を使うのかというと、丈夫な人も病気がちな人もいますが、男女平均2724万円です。
そんな高額な“強制的消費”に耐えられる人は少ないので、みんなが支払い能力に応じて毎月保険料を納め、病気や怪我に備えています。
そして、忘れないでおきたいのが、その多くは70歳以上になってから使う頻度が一気に上がる傾向にあります。
“ゆりかごから墓場まで”
ベヴァリッジ報告書について、ウィンストン・チャーチルさんが行った演説の際に、一言で説明しようとした時に言った言葉です。
この精神は福祉先進国の北欧諸国にはもちろん、そうではない日本でも影響を受けています。
イギリスだって、国主体では諦めても国民全体でこの精神は維持しています。
健康で文化的な最低限度の生活ができるように、日本には社会保障があります。
厚生労働白書によると、
“社会保障の目的は、国民の生活の安定が損なわれた場合に、国民に健やかで安心できる生活を保障すること”
…と謳われています。
つまり、社会保障制度は、国民の安心や生活の安定を支えるセーフティネットです。
社会保障制度は、3つの機能があります。
①将来起こるかもしれないリスクに対応して、国民の生活の安定をもたらす機能(生活安定・向上機能)
②社会全体で所得の少ない人を支える機能(所得再分配機能)
③景気の変動を緩和して経済成長を支える機能(経済安定機能)
そして、これら3つを機能させる為に、社会保障制度には、4つの制度があります。
①社会保険
②社会福祉
③公的扶助
④保険医療と公衆衛生
このうち、社会保険以外は国の財源のみにより国民に提供されるものです。
①社会保険には、“年金”、“医療”、“介護”があります。
対象となるのは、病気、怪我、出産、死亡、老齢、障害、失業です。
会社員には馴染みが深い労災保険や雇用保険もこの括りに入ります。
社会保険は、国民が様々な障害によって生活が立ち行かなくなることを想定しています。
そのリスクに対応する為に、あらかじめ強制的に社会保険に加入させておき、病気、怪我、出産、死亡、老齢、障害、失業が起こったら国が生活を保障する制度です。
強制加入である為、保険料も比較的安価です。
なぜなら、財源のすべてを国民から徴収している保険料に負っているわけではなく、租税財源による国や地方自治体の負担分も少なくないからです。
また、収入が低ければ低いほど優遇されます。
たとえば、国の年金制度は2分の1が国庫負担です。
また、本当に保険料が支払えない人には免除制度もあります。
まったく収入がなく、生活保護も貰わずに預貯金で生活している人がいるとします。
その人は、全額免除を申請すれば、保険料を支払うことなく、将来、本来もらうべき年金額の半分の年金がもらえます。
②社会福祉は、子どもの保育や障がい者への福祉サービスで、保育所の提供や児童手当の給付、障がい者への自立支援が含まれます。
社会福祉は、社会保険と公的扶助の間に位置する制度と言われています。
社会保険は国民が保険料を納める制度であるのに対し、社会福祉は税金を財源として政府が給付を行う制度です。
社会保険の1つである医療保険で受診する医療機関を選べるのと同様に、保育所などを利用者が選べます。
公的扶助との共通点は、税金を財源にしていることです。
相違点は、公的扶助は所得制限がありますが、社会福祉は所得があっても社会福祉のサービスが受けられることです。
③公的扶助は、社会保障の“最後のセーフティネット”とも言われ、社会保障制度の一番底辺を支えている制度です。
経済的に生活が立ち行かなくなっている人たちに、必要な保護を行い、自立を助けることです。
つまり、生活保護制度です。
生活保護は、世帯の人数や住所、困窮の度合いなどで給付の額が変わります。
給付を受けると、住民税や国民年金の保険料などが免除されます。
④保険医療・公衆衛生は、国民が健康な生活を送ることを目的として、予防や衛生について定めた制度です。
健康全般に関する制度で、カバーする範囲が広いです。
例えば、各種医療サービスや伝染病の対策、下水道の整備などが含まれます。
保健所などは、この制度に基づいて運営されています。
海外から感染症が国内に入ってくることを防ぐ、“検疫”もこの分野に含まれます。
このように、目に見えない“衛生”という部分においても社会保障の恩恵を受けています。
このように、イギリスから始まった社会保障制度の“ゆりかごから墓場まで”を参考に、日本の社会保障制度も生まれてから死ぬまで、国民の生活を支える制度になっています。
しかし、保障の対象となった場合でも、国から自動的に給付されるわけではありません。
申請しないともらえないという大原則があります。
それぞれの制度の仕組をしっかりと理解して、申請漏れがないようにする必要があります。
また、日本の少子高齢化の問題が、今後、一段と進んでいくと、国民所得に対する租税、社会保険料の割合を示す“国民負担率”の上昇を招くことになり、社会保険の給付と負担のバランスが崩れていくと予想されます。
国や企業に社会保障の全てを依存するのではなく、並行して自助努力をする意識が大切になります。
画期的な制度やサービスも、時代の変遷につれて、制度疲労や不適応を引き起こします。
おそらく、これからの50年を見据えて、現在は、その時期に来ています。
新しいことを始めたら、すぐに良い生活になるわけではありません。
どんなことでも段階を踏まなければなりません。
時には、犠牲にならなければいけないこともあると思います。
その覚悟を持って、時代の変化に適応していく努力も大切になるのかなと思いました。
“未来のことはわからない。
しかし、我々が生きてきた過去が未来を照らしてくれるはずだ。”
最後、ウィンストン・チャーチルさんの名言で締め括らせていただきました。
写真はいつの日か…札幌市内で撮影したものです。
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