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パリ軟禁日記

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2020年3月17日、今日から僕らが当たり前に享受していた移動の自由が奪われる。ここ、自由の国フランスで。外出禁止令が施行されたのは、時が真昼を告げる刻だった。 軟禁状態にある…
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2020年4月の記事一覧

パリ軟禁日記 43日目 「ウイルスと共に生きる」〜外出制限緩和プラン〜(フランスver.)

2020/4/28(火) 本日15時、国民議会にてエドゥアール・フィリップ首相による外出制限緩和についての計画発表があった。僕たちの今後数ヶ月に大きな影響を持つ談話だ。 そういうわけで、僕は仕事をそっちのけでTVをつけた。同僚とのグループチャットを見る限り、皆この時間はテレビかラジオに耳を傾けていたようだ。 以下、要約: ========================== 基本方針として「ウイルスと共に生きる。」 これを前提に地方ごと、段階的に、外出制限を緩和していく

パリ軟禁日記 42日目 春の雨に僕は髪を切った。

2020/4/27(月) 昼過ぎから滝のような雨が降り注ぐ天気だった。 空には少し晴れ間が見えつつも、半刻ほどだろうか、容赦なく大粒の雨が降りつけた。みぞれも少し混じっていた。雨が止んだ後、開けっ放しの窓からは濡れた街の雨の匂いがした。久方ぶりのこの匂いが懐かしくて、少し心が落ち着いた。 Le mariage des renards – キツネの嫁入りという単語をフランス語にするとこうなるだろうか。なんだか香水のような名前だ。もしそんなものがあるとしたら、雨後の街や草木の

パリ軟禁日記 41日目 それでも、ハラは減る

2020/4/26(日) 街中を駆けていると、春から夏にむけて少しずつ季節が動いていることがわかる。 2週間前は葉がまばらだった街路樹は、今や青々とした葉を繁らせている。公園の近くの花壇には色とりどりの花が咲く。速度が遅くなっているのは人間が営む経済活動だけで、地球は回れば他の生物たちの営みは変わることがない。 僕の生活の速度も今遅くなっている。ここ数日は特にやる気が出ない。そういう日は生きていれば、どうしたってやって来る。避けられないことは知っていながらも、毎回「来た

パリ軟禁日記 40日目 映画についての問い

2020/4/25(土) 好きな映画はなんですか? この問いに答えるのは、簡単なようでとても難しい。付き合って日が浅い人からの場合は特に。 まず、好きな映画の数が多い。基本的には好き嫌いせずになんでも見るタイプだし、見る本数も普通の人より多い自覚がある。それが毎年続いているのでどんどん好きな映画が増えていく。(ある意味、とても幸せなことではある!) 例えば、「ニュー・シネマ・パラダイスです!」と好きな映画を答えたとしよう。すると、この答えを聞いた人は往々にして「この人は

パリ軟禁日記 39日目 呼吸と春

2020/4/24(金) すってーはいてー 呼吸。それは、僕たちが特段意識をする必要もなく、無自覚に行われる営み。燃料がなければエンジンは動かないように、僕たちも酸素や栄養を入れなければ身体を動かすことができない。外出禁止中の街の空気は、以前と比べてきれいで、澄みわたっている。鼻腔で感じる空気の匂いと、気管を流れる「管触り」がいい。 すーっ、はーっ インとアウト。それは内と外の均衡をとることであり、境界を定めること。遡れば、古代中国の陰陽五行であり、ゾロアスター教の光と闇

パリ軟禁日記 38日目 奇妙でありふれた体験

2020/4/23(木) 日常におこる、奇妙でいて、ありふれた体験。 ランニングの後は浴室に直行する。シャンプーをした後、泡立てた洗顔料で顔を洗う。そのまま髭を剃って、流す。今日はどんなことがあったかな…。自分は今ぼんやり考え事をしているな、と思った次の瞬間、僕はバスタオルを持って身体を拭こうとしていた。 あれ、身体は洗ったっけ?? まったく記憶がなかった。頭→顔→身体→流す→拭く、のルーチンに突然入った断絶。いつも使う合成繊維のオレンジのボディタオルは濡れており、シャ

パリ軟禁日記 37日目 短編映画と光

2020/4/22(水) 短編映画は、一般的ないわゆる長編映画とは違った楽しみ方がある。長い尺はもたないけれどもパンチの効いたひねりがあるもの。実験的で尖った意欲作。音楽のPVのように、世界観を提示することのみに特化した作品。起承転結やメッセージがコンパクトにまとまっていて、CMに近い作品もある。その形は実に多様だ。何の予習もなしで見るとき、僕たちは冒頭のタイトルからどのように話が進むのか、数分間ワクワクして見ることになる。この「展開の読めなさ」が面白い。 世界でいち早く

パリ軟禁日記 36日目 祖母と紫雨

2020/4/21(火) 今日は祖母の命日なので、祖母を偲ぶ。 大正8年生まれ、昭和を生き抜き、平成28年に亡くなった。祖父に嫁いでから福岡県八幡に移り住んだ。そこでは、製鉄所で働く人々を相手に日用品等を売る店をやっていたと聞いたことがある。「八幡のおばあちゃん」は祖父が亡くなった後も、一人でそこに住み続けた。70歳を越えて、娘家族(僕の両親)と住みはじめるまでに50年が経っていた。 僕が小学1年生の頃、当時八幡にあったスペースワールドというテーマパークに兄弟と連れて行っ

パリ軟禁日記 35日目 日記とは

2020/4/20(月) マラソンを走るたびに、途中必ず脳裏に浮かぶ質問がある。「どうして、こんなことをやってるんだっけ。」一時の思い付きで参加した自らを呪う瞬間。なぜ日記を書くのだろうか。僕は今その問いを自らに向ける地点に差し掛かっている。 一時の思い付きで参加した自らを呪う瞬間。なぜ日記を書くのだろうか。僕は今その問いを自らに向ける地点に差し掛かっている。 改めて日記とは何か。辞典の定義を要約すると「日々の出来事や行動を記録したもの」であり、それは公私様々な目的にお

パリ軟禁日記 34日目 世界を一つに

2020/4/19(日) 日付が変わった頃、風呂から上がったらリビングがダンスフロアになっていた。 暗闇の中、部屋をチカチカと照らし出すのはテレビの明かり。画面の中にはデヴィッド・ゲッタのライブ中継がフロリダから届いていた。高層マンションの中階にあるプールサイドにDJブースを置き、大音量でマンションのバルコニーにいるクラウドを沸かせていた。中には明らかに友だち全員呼んだんじゃないか、というほど密集しているバルコニーもあった。命を賭してでも見たいということなのだろう。僕も妻

パリ軟禁日記 33日目 安心と安全

2020/4/18(土) どこまでが安全で、どこまでが安心で、どこからが危険か。 ことヤツについては、妻の方が危険度を判定するセンサーの感度が良い。免疫力を高めるためにビタミンCを摂る、外出後は風呂場に直行してシャワーを浴びる。外出時に身につけたものは洗濯機にダイブ。外出禁止令が施行される以前の僕は、正直そこまで徹底していなかったけれども、ここ1ヶ月で行いを改めた。妻のやり方に合わせておく方が、どうしたって僕たちの生存確率は上がる。 例えば本日、ネットで注文した中華系食材

パリ軟禁日記 32日目 髪の毛と精神

2020/4/17(金) 髪が伸びた。生命活動が維持されていながら、髪を切ってもらうことができない状態にあるので当然である。最後に切ったのは2月14日。もう2ヶ月も経ってしまった。いつも短く切ってもらうので今でもなんとか持ちこたえている(?)けれども、正直どうしたものかと思う。 同様の悩みを抱える人が多いようで、今バリカンがとてもよく売れているらしい。これを機会に坊主頭になるのも悪くない。高校生の時に一度経験したことがある。洗髪は楽だし、普段感じることがなかった空気のブレ

パリ軟禁日記 31日目 僕たちを連れて帰って

2020/4/16(木) 誰かのために置かれた、誰かの本。 それは段ボールに入れられた捨て猫のように、主人が来るのをじっと待ちわびていた。プラタナス が立ち並ぶ通り沿いに、ぽつぽつと設置されたベンチの一つにそれはあった。僕はそれをランニング中にたまたま見かけ、一瞬何なのかわからず、一度通り過ぎてから戻って何なのかを確かめた。 大きめのジップロックの透明な袋に何かが入っている。手紙のメモのような紙が上にあり、その下に本が3冊入っていた。僕は家路を急いでいた。外出禁止令のため

パリ軟禁日記 30日目 豆富と思い出

2020/4/15(水) 冷蔵庫の2段目に鎮座する豆富のパック。外出禁止令の前に買ったものだった。海外生活において、豆富はそもそもにおいて貴重だけれども、昨今の状況においては更に手に入れるのが難しい代物になっている。アジア系スーパーまでは約2kmの道のり。リスクを冒して行ったとしても、必ず置いてあるわけではなかった。日本人含むアジア系が多く住むタワーマンションの近くにあるため、入荷したとしても近隣住民がまず買ってしまうのだろう。 この豆富がなくなってしまうと、当分食べら