ド庶民がヨーロッパに行った2000年
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
我が国では失われた事になっている世代が、
存在を誇れる唯一の要素かもしれない。
(文字数:約1600文字)
もちろん個人に属するものではないが、
人類史上においては稀に見る強運の持ち主だ。
10年単位に50年単位ならともかく、
100年単位までは努力次第で叶うにしても、
1000年単位の節目を、
明瞭な意識を有した状態で目撃できた事実は。
2000年を迎えて、
それほど日数も経たない1月下旬から、
二週間近くみっちりかけて、
私はヨーロッパを旅していた。
より正確に言えば、
フランス:
ロワール川流域とヴェルサイユ
パリ(凱旋門)
パリ(シテ島)
プロヴァンス(アルル)
イタリア:
ローマとバチカン市国
イギリス:
ロンドン
(帰りの飛行機内とその後)
を巡ったわけだ。
表向きは私が所属していた、
地方国立四年生大学における、
フランス語研修。
ここにまず着目して頂きたいのだが、
私はフランス語専攻ではなかった。
フランス語専攻の学生達に混じって、
一人だけドイツ語専攻の学生が、
裏側に強烈な情念と、
とんでもない野望を隠れ潜ませながら、
紛れ込んでいたのである。
当初はこの記事のタイトルも、
その野望を明示させていたのだが、
ネタバレ度合いが甚だしいのでやめた。
このような旅行ができると話してくれたのは、
中学時代からの私の友人だ。
仮にフランス風の「マリー嬢」としておこう。
「また来年も行きたいんだけど、
一緒に行ってくれる人いないかなぁ」
約一年前にそう聞かされた時の私は、
羨ましいし行けるものなら行きたいが、
私には行けるはずがない、
と思い込んでいた。
なぜなら私は、
無利子の奨学金を受け取りつつ、
キャンパスまで自宅から徒歩で通い続け、
さらには授業料免除も維持するために、
全ての講義を皆勤、
評価もなるべくA(優)を、
取り続けなければならなかった、
実家の家計が相当に厳しい、
はっきり言って苦学生だったからだ。
ちなみにマリー嬢とて、
裕福というわけではない。
暮らし向きに不都合はないくらいの、
当時の一般平均的大学生レベルだ。
そこから一年の間に、
私に火を点ける出来事が勃発し、
まずはマリー嬢に、
「来年はぜひ行きたい。
いや行かせてくれ。
私はあの場所に行かなければならない」
と宣言し、
それまでのお年玉にお小遣いを、
ひたすら溜め込んできた貯金額を、
全てはたき込んだばかりか、
それで参加自体は出来ても、
現地での行動が制限されそうだったので、
講義には支障が無い長期休暇の間に、
時間は拘束されるが割りの良い、
官公庁系の短期バイトを入れまくり、
それらで得た金も全て注ぎ込んだ。
もちろん昼飯なんかは、
学食の120円素うどんで済ませている。
「誘った事を申し訳なく感じたくらい、
鬼気迫る様相だった」
と旅行後にマリー嬢からは言われたが、
「それはすまなかったが、
生涯忘れがたい旅になっただろう」
「確かに。
普通ならやらない事が色々と出来た。
それは有難う」
マリー嬢は私と話す時は特に、
私に引きずられるのか男しゃべりになる。
そうした次第でこの記事は、
「#忘れられない旅 with JTB」
に応募した上で、
無料マガジン『偏光観光』に所蔵し、
記事を公開する都度、
上記の行き先リストにリンクを貼っていく。
誰の何の参考にもならず、
羨ましくも感じないと思うが、
とにかく情念だけは計り知れないので、
気になる方はどうぞ。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
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