ロワール川流域とヴェルサイユ【ヨーロッパの旅2000年】
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
ヴェルサイユと言えば「あの言葉」を、
フランス語で口にしてみたい方必見。
(文字数:約2300文字)
如何にして親を説得したか
ドイツ語専攻の大学生が、
フランス語研修旅行に、
しかも語学研修と銘打ちながら、
旅程はたったの二週間で、
まずは大学生たちに引率教授の、
20〜30名が全員でバスに乗り、
ロワール川流域の、
古城巡りと洒落込みやがる。
旅程を眺めた父は当然ながら苦笑した。
「そがんとは、
何も語学ん役に立ちゃせんじゃろ」
「もちろん私はそこを目的にしていません」
幼少期より私はなぜか家族に対しても敬語で話す。
「ローマに行ってサン・ピエトロ大聖堂と、
ロンドンに行って本拠地の、
ミュージカル『レ・ミゼラブル』と」
そこを話している時点では、
父の顔もまだニヤついていたが、
「パリに行って〇〇の、
△△場所を見たいだけです」
そう言った途端に表情を変え、
「……見れるとか?」
と呟いた。
すぐに気を取り直し、
「見れる言うても、あれは、
小説の、言うたらお話の舞台じゃろもん」
と鼻で笑おうとしてきたが、
声が震えている。
「ええ。小説ですが、
舞台はまさしくパリで、
その場所も現代まで残されています。
私は当時の地図も照らし合わせて、
確認しました」
どうだ行きたいだろう。
親父こそが若い時分から行きたかっただろう。
トリュフォーにゴダール映画を、
こよなく愛しながらも、
生まれ育った土地の同世代には、
そうした話題が出せる相手すら見つけられず、
読書好きに育った次女一人を相手に、
晩酌し続けてきた男だ。
「……そん、地図は今持っとるか」
「もちろんですとも!」
「見してみろ」
早速私が持ち出した地図と、
旅程表を突き合わせて眺め出した。
「どの日にどげんルートで行くつもりか」
「この日の午後と翌日が、
丸一日自由行動ですから」
その様子を横目に眺める母は呆れ顔だったが、
読書好き歴史好きの話など、
まともに相手するだけ無駄だという事を、
長年この父に連れ添ってきて、
母も存分に心得ている。
「ほんなら良かじゃろ」
「ははあ。有難き幸せ」
と、
無事「保護者の同意書」にもサインを頂けた。
ロワール川流域
そういった次第で実を言えば、
「ロワール川流域の古城巡り」の記憶が、
最も薄いのだけれども、
人気観光ルートで、
数多くの紹介記事が、
私が書かずとも存在しているだろうから、
そちらをご覧下さい。
それでもどうにか頭に残っていた情報を挙げると、
某城の壁面に掛けられていた、
「一角獣と乙女」のタペストリーが見事。
と言うより石造りで天井も高くて、
冬場は空気から凍てつくので必需品。
あと「一角獣と乙女」の意匠には、
なかなかな意味合いが込められている事を、
後に文献を読み漁っていて知った。
某城の城主は、
レオナルド・ダ・ヴィンチと懇意で、
お抱えにして住まわせてもいたそうで、
城内の二重螺旋階段は、
レオナルド設計とのこと。
なぜ城主がわざわざ二重に作らせたかって、
入り口を二種類別々に設けて、
すれ違っても姿を見られないようにするため。
その目的はご推測下さい。
ヴェルサイユ
もちろん世代的に、
池田理代子先生の『ベルサイユのばら』は、
嗜んでおりますので、
「あの言葉」を是非とも口にしてみたい方、
いますよね?
いらっしゃいますよね?
お待たせしました。
……いや。読めないよ(泣)
と思われた方、
ごもっともでございます。
音と直訳を記載します。
さぁどうぞ。
口にしている間だけは、
ポリニャック夫人のお心持ちで。
(注:真の貴族たる振る舞いではございませんので、
他人様に向けては口になさらないように。)
もちろん宮殿の端の隅にある馬小屋の美しさまで、
感嘆し堪能し尽くしたのですけれども、
それこそガイドブックにある情報ばかりですので、
私が興味を抱き記憶に残したものとしては、
鏡の間は実際に見るとしょぼい。
なぜならレプリカなので。
実物はフランス革命時に壊され持ち去られたので。
(しかしカメラを向けるとどの角度でも、
しっかり豪勢に見えて凄い。)
王のベッドは縦寸が狭くて横広すぎ。
暗殺防止のため、
いつでも目を覚ませるよう、
背を起こしてもたれる感じに寝ていた。
しかも側近が添い寝。
側近は排泄物の処理も担当する。
このお役目は名誉であり奪い合いもあった。
宮殿内にトイレは無いので皆さん、
専用の美しい箱か、
客人はお庭でなさる。
間に合わない場合の対処法2、3例。
(ここにははしたなくて書けません。)
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
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