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プロヴァンスとアルル【ヨーロッパの旅2000年】

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 これぞ農業の底力。

(文字数:約3100文字)



事前準備:装備と防犯編

  レンタルしちゃえばいいじゃない。

  スーツケースに関してマリー嬢はそう言った。
  言われるまで私は、
  スーツケースもレンタルできる事を知らずにいた。

  「なるべく荷物を減らすつもりでいたんだが」
  「ミュージカル観に行くつもりなんだろ?
   お前ヨーロッパのドレスコードをなめんなよ」

  私の前では私に引きずられての男しゃべりになるが、
  マリー嬢は本来TPOや空気を、
  きっちり読み取って相応しく振る舞えるお方だ。
  (だからこそ私の前では引きずられるんだが。)

  「スリには充分用心しろ、という事で、
   私の母が君の分まで作ってくれたぞ」
  そう言って渡してくれたのは、

  財布にパスポートに、
  トラベラーズチェックを入れる袋だ。
  そしてヒモ部分がかなり長い。

  「ヒモを首にかけて、
   下着の下を通して、
   服のポケットに入れるんだ。

   財布もパスポートも必要に応じて、
   取り出し可能になるし、
   誰かがスリ取ろうとしても、
   絶対にヒモが引っかかって分かる。

   更に季節は冬だ。
   服の上からコートを羽織る。
   まず道中の心配は無い」


プロヴァンス

  パリを離れてフランスを、
  南方面に下っていくと、
  さすがは農業立国である。
  見渡す限りの農地である。

  「治安は悪くなるけどね」
  そう添乗員さんは話してくれた。

  「……と言いたいところだけど、
   パリとどっこいどっこいかもしれない。
   危なそうな所にわざわざ近寄らなければ安心」

  パリでワケ分からん所に行こうとしていた、
  私にとりわけ目を向けながら。

  しかしおかげさまで、
  プロヴァンスに着いた頃には、
  我々の「警報」も、

  チキコンチキコン(不穏)
  ウーウーウー(要警戒)
  ビー! ビー! ビー!(即刻その場を離れろ)

  の3段階に分けて感じ取れるようになっていた。


郵便局

  旅行も一週間ほど過ぎた辺りで、
  家に絵葉書を送ろうとしたのだが、
  必要な切手の額面と枚数が、
  どうにも上手く伝わらない。

  「ごめんなさい。
   私英語が分からなくて」
  と窓口のお姉さんが、
  本当に申し訳なさそうに言ってきて
  (もちろんフランス語なので推測)、
  こちらこそ申し訳ない。

  2000年当時はわりとよく囁かれていた、
  フランス人に関する、
  結構失礼な都市伝説なんだが、

  私「『フランス人は英語分かるくせに、
    自国語に対するプライドが高くて、
    英語で話しかけても答えてくれない』、
    じゃないよな。絶対にな」
  マ「せいぜいパリのフランス人限定の話だよな。
    あとパリのフランス人にしても失礼だよな。
    『日本人漢字分かるんだろ』って、
    中国語で話しかけられたって、
    答え切れるもんか、
    分かったって答えてやるもんかって話だよな」

  自分たちに置き換えて考えれば、
  容易く納得できるだろう。


ゴッホワイン

  アルルではゴッホの絵にちなんだ名所を、
  色々巡ったのだが、
  『夜のカフェテリア』をモチーフにしたカフェ
  (↑見出し写真)に関しては、

  灯りが照らし出しているだけで、
  壁面自体が黄色い絵じゃなかったと思うぞ?

  あとこの旅行に参加した大学生、
  全体で予約されて行ったレストランでは、

  「耳がちぎれるほど美味い」と
  ゴッホワインを勧められた事が、
  2000年当時は誰に話してもわりとウケたが、
  そこまでの笑い事ではないはずだと思うが。

  ところで私はこれまでの間に、
  他の大学生たちからもそこそこ、
  知られた存在になっており、
  それはなぜかと訊かれたら、

  他の大学生の皆様方が、
  「香りが独特で口に合わない」だの、
  「油っこくて量も多いし、
   お腹いっぱいでもう食べられない」だの、
  まだ店内にいるにも関わらず、
  平然と眉をひそめてお残しになる料理を、

  一人だけ何の違和感も持たず、
  どこで出されるどの料理も心底美味いと、
  感激しながらキレイに平らげていたから。

  そのうちに「私の分も食べて」と、
  私の前に食べ残しの皿が回ってくるようにもなり、

  マリー嬢には実は多少のアレルギーがあって、
  食べられない食材がいくつかあるのだが、
  それ以外は私同様美味しく平らげていたし、

  この日のテーブルは4人掛けで、
  相席になった他の2人も、
  参加者の中ではかなり料理に馴染んでいたので、

  皿が回って来る度に4人で大喜び。
  「四等分。四等分」
  と盛り上がっているのを、
  ウェイターの方々も笑顔で取り分けてくれた。

  品が無いだの食い意地が汚いだの知った事か。
  子供扱いだのペット並みの応対をされて恥ずかしいだのも
  (上記は実際に母から言われた言葉の数々なんだが)、
  だまらっしゃい。

  どこのレストランに行ったとて、
  他の学生たちには無表情だったウェイターたちが、

  私にだけは笑顔を見せて、
  「メルシー」や
  「グラッツェ」を言ってくれるんだぞ。
  時には厨房からコック帽をかぶった人まで、
  手を振ってくれたぞ。

  作ってもらったもんは、
  せめて店内にいる間くらい、
  気持ち良く食いやがらんか。

  と言うより2000年当時、
  学生たちも学生たちを育てていた親たちも、
  (もちろん私自身の親も含む)、

  そんな要らん余裕をぶちかまし、
  上品と思い込んでの無礼を繰り広げてきた、
  不始末のその結果であり総決算が、
  2024年現在の今この状況ではないのかね。


旅行中最も楽しかった夜

  と言うかフランスは国内全域において、
  シュペルマルシェ(スーパー)が最高で、
  何買っても安いし美味いし、

  大学生全員でレストランとかの予約が無い日は、
  スーパーで買った品で全く何の問題も無い。 

  マリー嬢と二人で歩いていた間に、
  移動屋台的なパン屋を見つけたので、

  「ここでフランスパンを買って、
   シュペルマルシェでチーズとハムでも買えば、
   今夜の夕飯には充分じゃないか?」
  「おお。それがいい。ぜひそうしよう」

  とパン屋の屋台に並んだ途中で、
  二人ともはたと気が付いた。

  フランス人フランスパンって言わないよね?

  何だっけ。
  何だったっけ。
  えーと……、

  二人同時にひらめいて、
  顔を見合わせ、
  「バゲット!」
  と言い合ったので、

  屋台内に届いていたようで頼むよりも先に、
  新聞紙にくるんだフランスパンを渡してもらえた。

  そこからホテルへと戻る道すがら、
  のんびり散歩している感じの老夫婦に出会い、
  「写真を撮ってくれませんか」
  と頼んだマリー嬢に快く頷いてくれた上、

  「まぁこの娘さんたちはバゲットを買っているわ」
  みたいな事を多分言いながら
  (もちろんフランス語なので推測)、
  老夫婦は笑い合っていた感じだった。

  ホテルの前にはこれまた、
  移動屋台的な観覧車があり、
  夜になって電飾に彩られてもいて、

  乗ってみると多分「サービスだよ」
  (もちろんフランス語なので推測)と、
  グルングルン何周も回してくれた。

  ホテルの部屋に戻って、
  フランスパンとチーズとハムを並べ、

  「いただきます」
  と満面の笑みで手を合わせる、
  私たち二人の写真が残っている。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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