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習慣によって透明化される自分の欲

ついつい、甘いものが食べたくなって、コンビニへわざわざ出かけて、小さなチョコ菓子を買ってしまう。(その時々で買いたいものは変わるが、ガルボは結構好き。そうじゃなければ、在宅勤務なのをいいことにスルメをかじりながら作業することもしばしば。)
自分がわざわざジム、ピラティスに通ってボディメイクしようとしていることを考えると、全く矛盾した行動だ。

ちなみに写真は、仕事終わりのカプチーノの誘惑。

ただ、自分が高校生、大学生だった頃は、このような行動がもっと重大な間違いであるように思っていたような気がする。それは、当時、もっと体型を気にしていたし、コンビニで衝動的な買い物をしてしまうこと自体が当時の経済状況にとって痛手であることを理解していたためだろう。
あの頃と比べると、今ではなぜだか上のような行動はより正当化されていて、瑣末なことになったようである。
今と昔の違いは、学生時代より収入が増え、自分が感じているストレスを解消するための必要な出費として許容できる額が大きくなったこと、そして、ストレスをお金で解決するという思想が、大人の中では割と普遍的なものとして捉えられているということなのではないかと感じる。

大人、というか自立した個人は、年を重ねるにつれ、自分の欲を正当化したり合理化したりする技術を身につけていくと思う。その一つとして、そのような欲を満たすための行動を習慣化する、という手法がある。例えば、仕事を終えて気持ちを切り替えるために帰宅後は必ずビールを開けるとか、スタバに寄るとか。

習慣化することの良さは、その行動を取ることの是非をいちいち自分自身に問わないことだ。すでに自分自身の欲が習慣に置き換わっているので、ビールを飲むこと自体はもちろん、そのための出費や一般的な飲酒リスク(k健康状態の悪化、肥満など)はある意味透明化されるため、罪悪感を感じにくい。

一方で、習慣化することの弊害は、自らの欲に鈍感になり、本来の目的を見失う可能性があることだろう。例えば、帰宅後にビールを飲むという習慣のきっかけが、繁忙期で仕事がきつい、という一時的なストレスだったにも関わらず、繁忙期が終わって仕事がゆるやかになっても、健康リスクを承知しながら飲酒を継続している場合だ。

このようなとき、本当に必要なのは、実のところ自分はどうしたいと思っているのか、を見つめ直すことである。なぜそもそもストレスを感じているのか、そのストレスを軽減するために何ができるのか、現状のストレス解消の手段を代替するべきなのか、最終的にどのような姿を目指したいのか、などについて考えてみるべきだろう。

欲との付き合い方、向き合い方の正解はなく、結局のところ、バランスが重要なのは間違いない。しかし、ふと、「欲に振り回されてやしないか」、「欲をうまく利用して自分の心身を健康に保てているか」と自らの生活を顧みるべきだと思ったので、ここに備忘録としておいておこう。

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