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【短編小説集vol,10】鎌倉千一夜〜花を創る

第49夜 青龍と八朔坊や

 1月末、朝の犬の散歩は13年続けてきたとはいえさすがに堪える。あちこち梅の花は咲いているが、このまだ薄暗い時間は氷点下。顔を上げると首元があらわになり冷えるのでうつむき加減に歩くと、東勝寺橋に差し掛かったところで視界に飛び込んでくるものがあった。それは周囲に負けず色鮮やかに際立っていた。鎌倉の地盤は岩盤、切り出せば鎌倉石という名になるのだが、この岩盤の上を舐めるように流れることから滑川と名付けられたこの川、街中の紅葉落葉をひと通り由比ヶ浜河口まで吐き出し切って、この時季には岩盤だけが寒々しい印象を与える黒い水の筋となっている。風水的には鎌倉幕府がこの滑川を東の青龍に位置付けたのだが、文字通り冬の様相は水面がテラりと光を発しつつ岩盤が強さを持ち、いかにも龍のようだ。その龍が珠を握っているかのように黄色い八朔が岩盤に打ち上げられたままになっていたのだ。黒い岩盤に黄色の八朔。私は龍虎を思いながら橋を後にした。
 その日は龍虎の事は忘れ過ごしていたが翌日土曜の朝、橋が近づいたところで黒と黄色の印象が脳にフラッシュバックしてきたので昨日の場所を見ると、青龍はしっかり八朔珠を抱いていた。今夜は雨の予想なので明朝までにはきっとあの八朔珠は流されてしまうだろう。それならと、私は犬の散歩を終えると長靴に履き替え橋を目指した。滑川中流域では河原に降りることのできる箇所はこの東勝寺橋たもとの階段だけで、八朔珠はその階段から少し上流に行ったところに有るのでアプローチは容易だった。珠を授かる気持ちで八朔を手に取るとただならぬ気持ちが襲ってきた。果たして取り上げてしまって良かったのだろうか…。戻すべきか迷ったが河口までの間にどこかに引っ掛かり朽ちるよりは、私が持ち帰って眺め土に戻してあげる方が良いのではないかと判断した。
 リビングのテーブルに置かれた八朔はどこに傷もなく綺麗な佇まいだ。親指と中指でつまんでみても熟れ過ぎている感じもない。おそらく河原に張り出した枝から熟し切る前に風などにより落とされ、雨による増水で流されてあそこに打ち上がったのだろう。氷点下から暖かい部屋に移したからか徐々に果皮は室温に近づいたことで香りを発してきた。初々しい爽やかな香りだ。持ち帰った判断に間違いはなかった。私の体も温まるにつれ眠気を感じソファに横になるといつしか微睡に落ちた。
 八朔が先ほどとは打って変わって強い香りを発するので鼻に近づけてみる。手触りは格段に柔らかくなり弾けそうな充満感がある。皮が拡張することで絞ったときのように精油が盛んに漂っているのだろう。さらに香りが強烈になったとき、皮が裂け果汁飛沫とともにけたたましい音が鳴り続いた。目に入った果汁が沁みて私は何が起きたのか分からず、すぐさま目を拭いテーブルの上を見て仰天した。そこには親指ほどのまっ裸の子供がすっ立っているのだ。私はこのことが信じられず目を擦り直すと、先ほどの果汁がまた少し沁みてきたたのでやめた。この子はまさかの桃太郎ならぬ八朔太郎?いや、あの物語の桃のようには大きい八朔ではなく普通サイズなので、太郎と呼ぶほどは力強くはない。では八朔釈迦? この子はさすがに唯我独尊とは言わなかったのでそれも違う。この柔(やわ)な感じからすると八朔坊やだ。そう呼びかけると、坊やは大きくうなずいた。
 1時間ほどうたた寝をしていたのだろうか。部屋は暖かく八朔の香りが部屋中に広がっている。しかし八朔珠は何変わることなくテーブルに鎮座している。私はソファの肘掛けに頭をのせたまま、しばらくそうしていた。

第50夜 ツァイスの伏線

「光のない世界は写るのか? 
露光もスピードも及ばない全くの闇。
それを取り込むことは可能か? 
ただ闇に向かってシャッターを切れば
それは闇が写るだけのはず。
では闇には何もないのか?
光がないだけなら
ライトを照らせば全ては浮かび上がる。
そうではない、例えば完全に塞いだブラックボックスの中にもうひとつ同じものを置きその中でシャッターを切る。
何もないものは写らない。
光が無ければそもそも写せない。
だが厳密に物理学に則れば、有る。
人間の目には見えないだけなのである。
そして未だそれを超えていない…」
 中澤佐喜雄は物理的常識の壁に挑んでいた。
闇の撮影は意識の提示と同じだ。
解明が追いつかない意識という存在は宇宙の膨張に連れられるように果てしなく近づくことができない。
闇を写す。
シナプスと眼球水晶体の合わせ技でもなしえないことを工業製品で行なおうとしているのだ。
それでも中澤は希望を失ってはいなかった。
水晶体は変えようはないがレンズならいくらでも試すことはできる
 軍事目的ではないのだから被写体側からの作用は考慮しなくていい。ただ闇を写す。
赤外線などはフラッシュと同じ発想だ。
そうではなくただただレンズが闇を写し取らなくてはいけない
 試作が繰り返される。
鳥目のメカニズム、深海生物のセンサー…
やがて意外な結論に行き着く
1935年製ツァイスのテッサー。
100年前ミスター スマクラが初めてレンズにコーティングを施した際、このことを想定していたのかは知りようがないが、確かにそれにより闇は写った。
 そこは漆黒ではなかった。
いやその撮影物を見ているのが相変わらず私の水晶体だからか、シナプスがルーティンで反応したのかそれはなんとも言いようがないが、
そこには山頂から見る夜空のごとく無数の星が見える。それらの星は何か光の線のようなものでつながり合っている。
 私は本体のモードを動画に切り替え試す。先ほどの静止画はシャッター速度を遅めにしたからか、その線は全てつながり合っていたが、動画ではあちらこちらで繋がっては離れを繰り返している。また星のように見えるものは360度の方向に向きを変えるようで、ある角度ではジェリービーンズのように細長いものであることが見てとれた。
「これは素粒子? いや、さすがにプランクサイズがこの50mmレンズで写るはずはない。では何だ?」
 自身の知識領域にはないことを目の当たりにし、中澤は呆然と瞳を閉じる。15秒ほどすると瞼の裏のスクリーンに先ほどの画像が浮かび上がった。残像だろうと放っておいたがそれは続いた。瞳を閉じたが厳密に言えば瞼を閉じたが眼球はそのまま瞼でシャットアウトされただけだ。瞼の裏が見えているのか? いや視覚も焦点距離に合わせ水晶体を動かしているから接しているものはさすがに無理なはずだ。つまり視覚ではなく脳が闇の姿を思考させたわけだ。ではさきほどレンズを通して写った事はどう説明する? 脳を持つ? まさか。意識を呼ぶ? まさか。
 写ったものが何であるにせよ、この1935年のテッサーだけがこれを写し取った。

第51夜 夢判断の日々

 覚醒 瞑想 睡眠、私たちは3つの状態で生きている。五感からインプットし続ける覚醒時間、脳内クラスターがそれらを整え続ける瞑想、目を閉じ耳は閉じられることのない睡眠状態。完全に外界とシャットアウトしたほうが効果的な気もするが、睡眠という弛緩した無防備状態の中、せめてものセンサーの役目なのだろう。つまり爆音では覚醒に戻るが、衝撃的な夢にはそれはない。はっと飛び起きるのは自身の呻き声のせいなのだ。
 五感に関わらず脳は活動し続ける。コンピュータの記憶領域を断捨理する。デフラグメンテーションの有機版だ。覚醒時に無意識に脳にインプットされていたものが、使用領域外から引っ張り出される。例えば夢の中で出てきた見知らぬ場所は自身は見たことも行ったこともないと思うが、いつかテレビやPCのモニター画面で一瞬映し出されたのを無意識に見ていた情景だったりするはずなのだ。デジャヴもそういったものであろう。
 17.5テラバイトと言われる人間の記憶容量は
大抵の物事を全録している。それをやり過ごすかクリックして開くかで展開が変わる。意志によらずにクリックされたものが夢だ。白日夢やデジャヴだ。車が落とし穴に落ちるも、転居した廃墟に親指大の黒光りする芋虫が蠢くも、聞いたこともない町で彷徨い方角を頼りに電車に飛び乗るのも、覚醒時には考えたことも、いや、考えたくもない内容だ。
 目覚めてあまりに気になるためネットで夢判断を開く。ストレス、減退、迷走など心身の弱ったコンディションを指摘される。自分ではなかなかシュールなストーリーを生み出したと思ってはいるのだが…。

第52夜 花を創る

「父さん、僕のお菓子が賞を取ったよ。それもフランスで最高のやつ」
息子が作っているのは和菓子だ。何の経緯でフランスなんだ?
「お客さんが言うには、茶席であちらの人がすごく興味を持ってくれて、フランスに持ち帰ったものが審査メンバーの目に留まったそうなんだ」
コンクールを待たずに全会一致。そんなのは前代未聞だが、どうやら息子の菓子は文句なしだったようだ。練切、こなし、外郎、雪平、鹿子、上用、姜、求肥、金団、葛…、いくつかの加工法の中から再現性の高いものを繰り出し具現化するのが和菓子。
春、隠元餡に僅かの抹茶粉。陽光で輝く新緑。
夏、食卓にはあり得ない青の紫陽花寒天。
秋、白餡は鋏が入るごとに花びらが一枚また一枚と重なっていき、
  まあるい白菊が咲く。
冬、漆黒の漆塗りに真っ赤な椿が佇む。漆黒は闇夜の雪だ。
いわば和菓子作りは視覚の味覚化だが、息子はいったいどんな菓子を作ったんだ? 
「圏太瓜。そう、地球みたいな星と言われてるアルファケンタウリに咲く花をイメージしたんだ。だから味も含めて地球上の発想から一番遠いものにしてみたんだよ」
 確かに茶菓子に宇宙を持ってきた人などいなかっただろう。しかも荒涼とした星ではなく咲いていることがあり得えそうな星の花。なんと花が緑色で葉が紅だそうだ。その違和感は毒気にはならず、禁断の身を摘むような厳かな気分にさせられると言われたらしい。いつの間にそんな発想を持てるようになったんだろう。
 しかも花の味? 菊以外は食べたことはないが…。息子は見た目だけでなく味も常軌を逸した。和菓子は餡や寒天などほぼ同じ材料で色や形を駆使して作るので、目で愛でた後の味はほぼ同じだ。しかしフランスなど外国では例えばブームになっている抹茶粉を材料として菓子を作るときは、四季の食材を材料に取り入れ変化を出す。木の実、果実、酒、スパイス。それらは抹粉茶の個性を損なうことなく引き立てる。息子は星の生命感を既存の和菓子手法から逸脱しない中で表現した。まずは花。砂糖は使わず干し柿を緑のきな粉に練り込み生地を作る。紅の葉は葛にビーツで色付けした。圏太瓜は地球とは違い葉の上から花が湧き出すように咲くイメージだそうだ。息子はテロンとした葉でアザミのように炎上するように咲く緑の花を包んだのだ。
「僕はこの花の他にも、想像したものをすべてノートに書いていて、アルファケンタウリが地球くらいの大きさだとしても、全土がまんべんなく花で包まれているイメージをしているんだ。だって地球みたいに乾燥していたり凍っていたりするところがあるから、争いが生まれるんじゃない。そんなのもうよしたらいいのに。嫉妬 焦燥 嫌悪 詮索 欺瞞 詭弁 反駁 疎外 悪戯 敵意 難色 醜聞 不快 背徳 復讐…、みんな心の底から湧き上がるんじゃなく、頭で考えてやっていることだと思うんだ。そんなのはみんな過去の繰り返しでしょ。だから僕は全く違う環境から物事を考えてみることにしたんだ」
 私は半年前に還暦を経て毎日を読書に費やしているが、息子のこの言葉で古今にわたり心の機微に一喜一憂してきたことがもどかしくなってきた。そう、みぞおちあたりにボウッと緑の花が咲いた感じで。

第53夜 街灯の下でベティがキスをした

灯の下でベティがキスをした
垂れた耳した黒い老犬
眼球、関節、口蓋…ひとつひとつ体のパーツが機能を失い
かつての身のこなしを見せることも無くなったが
まだ毛艶が保たれている分、老いぼれては見えない

早朝の無駄吠えは増し
他はずっと寝ているけど
むしろ愛着は増し、意識することも増えた
13年間、5000回を超える朝夕の散歩を共にしたが
ベティの記憶には何が残っているのだろう
右隣の友として私は必要とされているのか

少し遅くなった夜の散歩
ベティはずっと我慢していたようで歩き出すと
すぐに家の前の側溝に小さいのを、
さらにしばらく歩き、
先の曲がり角の街灯の下で大きい方を排泄をした。

私は回収すべく古新聞を1枚取りしゃがむ
いつもはその間じっと待ってるが
今日は何か違う様子でウロウロし
そしてしゃがむ私の頬にキスをした
湿ったキス
でも間違いなく愛のキスだった。

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