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小説の技巧:物語の裏レイヤーを使って、読者の無意識と対話しよう

【合わせて読みたい:これは一話完結の連作短編集『愛を犯す人々』のスピンオフエッセイです。こんにちは世界が本篇を書くときに使うちょっとした小ワザを、ネタバレ覚悟!「愛を犯す人々①フェン」で使ったモチーフ群をデモに、ざっくりとお届け。文学の言語には作者と読者だけが触れる「第2層」があります、「第2層」の世界観、ひかりのよる、表現形式としての小説、書くこと、悦ぶこと 他】

 こんにちは!こんにちは世界ですこんにちは。

 今回はですね、小説をお書きになってる方々向けに、ちょっとした小ネタのご紹介をしたいと思います。お役に立てると、嬉しいなぁ。

(ええと…こういうことはわざわざ宣言するのがマナーだと思うので宣言しますが、この小ネタを私が十全に使いこなせているかは、わかりません。ただ、書いてて楽しいので、今回ご紹介して、ですね、もし皆さんのお役に立てればと。思う次第です。)

 さて、この小ネタは、以下の症状にお悩みの方の問題解決に役立ちます。と思う。たぶん。おそらく。

・世界観ないとなぁ、って、風景の描写を入れてみるけど、自分でもいまいち必要性がわからない。
・情景が分かり易すぎるのは恥ずかしい。嫌。
・イメージ優先で書いて、書き手としてはすごく大切だと思うけど、そこだけ浮いちゃう。
・字数の都合上あんまり内容を盛り込めない!わかるように書こうとすると字数がオーバーする、あるいは字数を守ると直接的になりすぎて、文学ぽくならない。

 うんうん。あるある。特にうちの人たちは基本的にまぐわってばかりなので(笑)、そもそも、することなんてそんなに変わらないわけだから没個性で構わんのだけれども、それなりにプライベート感はあってほしい、まぐわいシーンの個性化というのがひとつテーマで…これはまあ、私個人の事情ではあるんですが、しかも、まぐわいシーンのせいで紙幅が足りないんですね常に。これ、深刻なんです結構。

 さて、そんなわけで私事になります。エッセイは薄め多め好きですが、作品の方の文章は濃ゆくて短いのが好きな私。ところが、煮詰めかたがね…あっちを立てればこっちが立たずで、悩ましいのです。それで毎回、手を替え品を替え使ってるのが、二重解釈法

 二重解釈法?

 いえ私の勝手な呼び名です。もっとわかりやすくいうと、別名「あるものは全て使え」法かな。

 個人的な文章の好みで、イヤな人はイヤだと思う。ので、告白にはちょっと勇気がいるんですが…敢えて告白しますと、私は、「解釈がはっきりできて意味が二重写し、頭の中では二重奏」みたいな情景描写、大好き。言葉やイメージを和音にしてしまうといいますか…巷に雨の降るごとく・我が心にも涙降る。はい。仏詩人ヴェルレーヌの一節ですが、こういうやつです。一回繋げてしまえば、雨を詳細に描写すればするほど、言わなくても心の描写になりますから、「悲しい」「愛しい」などの身もふたもない言葉は使わずに済みますし、隠喩特有の深さに独自のディテールを盛り込むことができる。おお、便利です…!


 はて…?しかし、どうやって…?

 面白そうですが、仕組みがわからないですよね…難しいかな。難しくないのかな。以下、難しいところは、フィーリングでするっと読んでくださいね。うん。興味があるという奇特なかたは、どうぞ、熟読してください(笑)。

 では、本題。夢分析などにお詳しいかたなんかは「無意識的表象には人称と時制がない」ことはもう、ご存知かと思いますが、人間の通常の言語認識と非言語認識の狭間には、一層、中間レイヤーがあります。そこでは言語やイメージは形式的には完全に解釈可能なんですが、主体や時系列はめちゃくちゃに入り組んでるんですね。このレイヤーが、意味と表象の世界ストーリーラインの人称的・時間的整合性の通用しない、いわば、もうひとつの世界、登場人物たちの与り知らぬ部分、作者と読者にしか見えない世界、文学だけが持ちうる、特別な夢の言語の領域です。私が今回手を入れるのはこの「言語の第2層」、表象の世界。通常、文学用語ではモチーフなどと言われたりもしますが、私の使い方はもう少し、部品的で、道具的。
一般に、モチーフといいますと次のように定義されます:

1.文学・美術などで、創作の動機となった主要な思想や題材。
2.音楽で、固有の特徴・表現力をもち、楽曲を構成する最小単位となる音型。動機。
3.毛糸編みやレース編みで、いくつかの小片をつなぎ合わせて作る場合、そこ個々に編んだ小片。
(デジタル大辞泉)

 この、どちらかといえば2.や3.に近い意味あいで私はモチーフと、言っています。動的な2.と静的な3.を使って1.の全体をかたちづくるイメージかな。

 多少の巧妙さは必要になりますが、この手法により短編でも、ニットで言うところの裏糸の表出しのような仕方で、「文脈(第1層)ではただの模様なんだけど、実は全編に渡る伏線(第2層)」という使い方で物語を厚くすることが可能になってきます。長くできないんだから厚くしよう、ということですね。私の場合、ストーリーラインに沿って物事、出来事を並べます、しからば次のステップとして、その物事・出来事の二重解釈化を図ります。第1層である物語のレイヤーに、第2層のもう少し入り組んだ言葉の打ち込みをしていく。割とガツガツとイメージを埋め込んで行きます。描写の裏に物語の性格や伏線を張り巡らせて、こっそり読者の無意識に訴えかけることで、文章に厚みを出してみる、というわけですね。

 例えば…
 フェン篇では「いるのにいない、いないのにいる、いるかいないかわからない、いないと寂しい、ヒロセ」を、乗ってない日がある決まった電車、すぐ上のフロアでよく知らない仕事をしているヒロセ、ヒロセが乗ってるかもしれないエレベーター、突然わかるお弁当がない日、階段の踏み外し、引き出せばあるけどいまはない現金、月金だけのメール、名古屋に行っても切れない仲、継ぎ目なしの直接話法、などでガシガシ打ち込んでます。(「ヒロセがいない世界」という言葉が出てきた時の、フェンの物足りない、拍子抜けな、居心地の悪い感じは、物語の裏側ではこういった部分から継承され下支えされています。)二人の関係を表象の世界でも扱うんだよ、というお知らせは、冒頭の「だんだん傷が入って曇って見えなくなる仕切り窓」の例え。このモチーフの変奏、というか言葉の変装が、最後、フェンの快感の涙で曇った視界と、顔を合わせずに達するヒロセにいたるまでずっと続き、なんとなくずっと距離があるこのまま、はっきりとは見えなくなり、満ちていく時、満ちたりた夜の思い出に「埋」もれて「静かに果て」るだろう二人の関係に重なるのが、フェン篇。だったんですね。はい。最後は、裏レイヤーの言語では、セックスのフィニッシュの意味では全然ないわけですね。しかもこの裏レイヤーの、二人の関係の静かで幸福な終焉という暗示を、今度は表レイヤーの二人の、寂しいながらも命を愛する素敵な一夜が、支えてくれる構造になっています。私はこのフェン篇の最後、個人的にとても、美しい恋の思い出のようで、好きです。

 そうですね…気づいて貰えないのは、困る?

 いいんです。部屋に入って、壁紙が素敵だからって、模様を仔細に確かめたりはしないものですから。こう、雰囲気いいなぁ、って静かにお茶してたりすると、見えてきますよね、カップのフォルム、ラグの毛羽立ち、シャンデリアの照明の角度、などなど。でも人間、初見で雰囲気はかなり正確に読み取っているものですので。隠れていても、読み手の頭にはこれらのイメージは生成・堆積されて裏側で論理構成されてるんですね実は。この辺りは心理学なんかが得意な方に譲りますが、これ、この無意識、結構精度高いんです。だから、大丈夫。とはいえ…頼りすぎると、ただの難解な謎解きショートショートになっちゃうので、ストーリーメイカーではない私はあくまで、紙幅をくまなく利用して物語を装飾するために、この技法を使用しています。

 と、いう…いかがでしょう。私が自分のお話を繰り返し繰り返し読むのが好きなのは実は、こういう、読むたびに召喚されて奏でられる、動的な解釈の世界があるからだったりします。オルゴールのように、箱を開けるとゼンマイが動き出して奏でられる世界、それが、私にとっての、私の書いたお話なんです。

 以上をもちまして、冒頭に挙げた症状にお悩みの場合、今回ご紹介したこの「あるものは全て使え」法の観点からは、レイヤーを構築するタイプの推敲が効果的です:

・世界観ないとなぁ、って、風景の描写を入れてみるけど、自分でもいまいち必要性がわからない。


→必要でないか、必要性がわかっていないかのどちらかです。必要でない場合、削るか、控えめにしましょう。削ると作品全体に響く気がする場合、書き手本人が「情景の必要性」にきちんと気づけていません。文章のテーマについて考えを巡らせてみると、どのように書き込めば「物語に必要な情景」になるかがはっきりするでしょう。そこからまた風景の書き方の工夫に戻りましょう。
ポイント…わかりやすくすると、つまらないです。わかりやすいのはここぞという時にとっておきましょう。

・情景が分かり易すぎるのは恥ずかしい。嫌。

→イメージ千本ノックしましょう。テーマとモチーフはお決まりですか?物語の世界にあるあらゆるものを想像して、全ての象徴を使いましょう。人でも物でも現象でも構いません。情景が他にもあって全体にくどい場合、なるべく風景以外の象徴を選び、物語に入れ込んで行きましょう。説明したくなるのはぐっとこらえましょう。その、説明したくなっちゃうご自分のスタイルのせいで、全体にくどいんです(笑)
ポイント…よく似た表象を使ってしまうと、やはりくどい。テーマは多面的に捉えて、モチーフの表現には「似て非なるもの」を選びましょう。なるべく、「説明に必要だ」と思わせておいて、真の意図を読者からは隠しておきましょう。意地悪じゃないんですよ。より無意識に近いところにイメージを届けるためです。

・イメージ優先で書いて、すごく大切だと思うけどそこだけ浮いちゃう。


→イメージを詰めて、その「大切だ」と思う所以を考えてみてください。ピンとくるのは、動き?状態?関係?それがトリガーになって湧く感情?それが、あなたがモチーフで表現したいものです。そのイメージを支えるような共通モチーフの小物、エピソード、セリフ、行動などを考えて他のところ、なるべく関係ない場所に埋め込みましょう。
ポイント…近かったり解りやすかったりすると、やはり、くどいです。気をつけて。ただし全然脈絡がないとただの不思議ちゃん小説です。小説側の整合性や必要性には十分気を配ってあげましょう。

・字数の都合上あんまり内容を盛り込めない!わかるように書こうとすると字数がオーバーする、あるいは直接的になりすぎて、文学ぽくならない。


→基本的には上記の手法で解決可能ですが、さらに小狡い方法としては、いわゆる同音異義語的な単独判別不能文を入れ込んでバレないようにはっきり書いてしまうという手があります。文脈によって読み方が変わるような文を、前後の文脈できっちりピン留めしておきつつ、無意識にはこの文の解釈可能性が持つ別の意味を伝えられるよう、文脈以外の場所に細々としたスイッチを仕掛けておきます。
ポイント…和歌でいうところの掛詞を文章レベルでします。日本文学ですから。多少技巧がいりますが、楽しいです。

 言葉がストーリーラインの上だけで展開するなんて、もったいない。これが「あるものは全部使え」法の基本理念です。歌にも曲と詞があるように、ストーリー展開のみに寄与する言葉は、音程のない歌詞のよう。その文章のどこを切っても、いかにも性格や、気持ちや、状況が、はっきり言われていないのになぜかはっきりわかる。これ、文学の醍醐味だと思うのですね。

 最後に…この二重解釈法の最たる美点は、物語の側からは見えないレイヤーである第2層が、絶対に物語を傷つけない点にあります。どこまでいっても、それは解釈の世界でしかないからです。何度読んでも、物語の世界は物語の世界。読者と物語の間の第2層は、物語を守ることはあっても、傷つけることはありません。私がどんなに物語の外側から「いるのにいないヒロセ」について解釈を入れようとも、会社帰りにすぐ会えるせいで、昼休みが忙しかったせいで、現金をおろしそびれてヒロセに会うことになった、慌ただしくも充実したフェンの一日は、絶対に傷つかないんです。ですので、この物語のレイヤーをいかに整然と作り込むかもまた、楽しみの一つではあります。はい。

 物語を外から読んでいる私たちだけが盗み見ることのできるこの言葉の世界の光景、公然と目に映る物語を動かす言葉と、その裏に隠微に編みこまれた言葉の意味との、うっとりするような濃密な交接。

 映像も音も絵もない、文学だからこそ、視界を暗くしたまま、夜という表象を読者の目に明るく照らし出すことができる…ただ、文学だけが。これを、私は信じてやみません。どうぞ、読み終わったいま、この文学特有の醍醐味を、ご自分の手で書いて味わってみてくださいね!ぜひ。


 詩では音符が足りず、散文では音域が足りない。


 私にとって小説という表現形式は、音符も、音域も揃った、非常に魅力的な表現形式です。


 私なりの、修辞法のご紹介でした。

 お話を書くのが、大好きです。


 以上です。


教材?は、こちら:


今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。