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公教育が個別最適でフルインクルーシブになる日を願い

代表おがわです。教育という点で、ハロハロラボの代表として、障がいを持つ子の親として、特別支援学校の入学式から考えたことについて述べたいと思います。

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おおよそ30年前に私が女子高に入学したとき「女子」だけがいる異様さに気持ち悪さを覚えたことを思いだした。

こうやって何かで集めてしまうことは何かをあぶりだし、凝縮してしまうけど、社会はもっと交わって薄まって緩やかに繋がれたらいいと思う。



今日は息子の特別支援学校の入学式だった。
とても温かい雰囲気で、息子はやはり通常級でも支援級でもなく特別支援学校が最適な選択だったと思う。
6人のクラスメートに担任の先生と副担任の先生で手厚いサポートがあり本当にありがたい。
入学式は中学生が校歌を歌いながら飛び跳ねている子がいて、歌が楽しいっていう素直な表現で微笑ましいと思うし、歓迎の言葉をスピーチした高校三年生はかっこよくて素敵だった。
息子も夫や私にだっこしてもらったり、きちんと座ってられなくても必要以上に周りに気を使って謝り倒さなければならない環境じゃなくて、ゆったりと式に参列できてよかった。

我が子のことだけを考えると、特別支援学校への入学はとてもよかったし、安心。

だけど、今後の公教育のことを考えるとやはりフルインクルーシブを目指すべきと思う。

「障がい」だけで集めてしまうのは効率がよく(障がいがない人にもある人にも)手間もコストもいいのだろうけど、長期的にみると分断や見えないふり、対話の機会を持てないことになり、障がいが見えない・ない・あってはいけないものになってしまうのではないか。

また集めてしまうことで特性が際立ち、異様だと感じさせそれが引き立ってしまうように思う。引き立ってしまうから津久井やまゆり園の犯人のような考えに至ってしまうことが起こってしまうのではないだろうか。

フルインクルーシブは、ただ一緒にいればいいわけではないし、障がいのない子どもに障がいのある子のお世話係をさせたいわけでもない。専門性と人員が必要で、壮大な夢と希望の抜本的な方向転換になるのだと思う。

特別支援学校で受けられる教育である「個別最適」な教育は障がいがある子だけが受ける教育ではなく、障がいのない子も当たり前に自分の好きな事や得意な事・苦手な事に基づいてカリキュラムが組めて学校で学び過ごせたらいい。
一クラス10人で複数担任制で科目選択性で個別に教育指導案を子ども・保護者・教員チームが検討しカリキュラムを立て、必要な子には専門性のある指導員がサポートに常時つくことができたら、フルインクルーシブは夢ではない。
現状の公教育からは残念ながら程遠い夢なんだけど。。。


そんなことが当たり前の義務教育がある日本になったらいいなと思うし、人任せにせずに、諦めずにできることからやっていきたい。

さてここからは親心としての話。
心から特別支援学校で良かったと思う。
宿題や登校班やきちんと座っている事や無言清掃などあらゆることが息子にはできなくて「できない」「できない」でがんじがらめになってしまっただろうから。

その一方で、できていたはずの「障がい受容」が揺らいで、あぁやっぱり我が子は障がいがあるのだなぁと思う。
「障がいではない、特性です」と言ってくださる方がいて、ありがたいが、現状の社会で背負っていくハンデはやはり歴然としてあって、苦労したり迷惑をかけたりがあるのだろうと思う。

私自身が息子の何ができて何が難しいのかが日々手探りなのだけど、感じたことを大切に、楽しくやっていこう。

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ありがたいことに、ハロハロラボでは息子のことを参加しているお子さん達が受け入れ、特性をそのまま理解し仲間として見て下さっているのを感じる。運営と障がいのある子の親とのはざまで色んな感情が混ざるのだが、お子さん達・保護者・サポートくださる皆さんが温かくてありがたい。一方的な役割を持つのではなく、できること・助けてもらうことがそれぞれにある場になればいい。支援者・被支援者と役割が固定化されるのではなく、あらゆる人が・子どもも、できること・助けてもらうこと、持ちつ持たれつ、お互い様でできたらと思う。


ハロハロラボのこと、特別支援学校のこと、通常級のこと、学校でも家でもない場のこと、多様な学びの場を考え、お子さん達と作っていくうえで、フルインクルーシブという視点を持って取り組んでいきたい。

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