価値観リスト①:受容の美学
価値観リストを眺めていたところ、大切にしている価値観について言葉にするのをサボっていたことを反省して、書き綴ることにしてみるシリーズ。
受容は、ありのままの自分を受け入れてもらうという価値観で、私はこの価値観を一番重要視しているようです。
今日は、そんな私が大切にしている「受容の美学」の話
◯誰しもが理解されない現代
いまは選択肢が多くていいですよね。朝起きてから寝るまで、好きな家具や道具を買い揃えて、自分で選んだ家に住み、自分で選んだ仕事に行き、好きな趣味を謳歌する…………どんなふうに生きるかも選べる素晴らしい時代です。
その一方で、選ぶことに疲れてしまっている人もたくさん見受けられます。
何かを選択するのは負担がかかるんですね。
洋服を選ぶ時ですら、人からどう見えるか、この服を着て自分は楽しい気持ちになれるか、着ていく場所にふさわしいか、いろいろ考えますよね。人は1日に最大で3万5000回もの決断をしているというケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究にも納得感があります。
だから、選択肢がない方が楽だったりもするんですね。
選択肢がなく、半ば強要されている状態の方が楽に感じる人も多いはずです。
「文句は言わないから決めてくれ」なんて、思ったことはないでしょうか?
それほど選ぶことは負担が大きいのです。
だから、なんでも選ばなければならない現代では、多くの人が自分のことだけで手一杯になりがちです。相手と衝突しないようにして過ごすことにエネルギーを使うことはできても、相手を理解しようとする余裕まではないのでしょう。
◯理解されにくい情緒たち
私の周囲には楽しいことが好きな人が多いです。私も楽しいことが好きです。
じゃあ、悲しいことはどうでしょうか?…………悲しいことが好きな人は少数派でしょう。
こんなふうに、周囲の人と分かち合いやすい感覚と、そうでないものがあります。私は、繊細な情緒に、楽しいとは違う言葉にできない心地よさがあると感じています。この感覚は意外と理解されにくいんですよね。
いくつか例を挙げてみます。
・夜風を感じながら飲むカフェオレ
ちょっと肌寒いくらいの夜風が好きです。
特に春先か秋が終わるあたりの風が好きです。
その風には、これから暑くなるという控えめな予感や、これから冷えていくという静かな予感が感じられます。この情緒がいい。
肌寒さを感じながらも、自分の体温よりも暖かい温度が喉を通って自分の中に消えていく感覚が好きです。コーヒーの匂い。風が運んでくる草木の匂い。外でカサカサと触れ合う不規則な音。
こうした情緒に丁寧に感覚を馳せるのが好きです。
・雨の音を聞きながらの料理
雨にはリズムがあります。私はしとしとと降る雨が好きです。
湿気がなくて、静かに雨音だけが響いている停滞感を楽しみます。今日は洗濯物が乾かないなーとか、そんなことを考えながら料理をします。
この前の雨の日はポトフを作りました。
玉ねぎを切るリズム。ウィンナーを切るリズム。
木製のまな板と包丁がぶつかる時のコツッコツッという音。
鍋のお湯が煮立ち、弱火にしてからコトコトと煮込む風情。
静かに積み上がっていく情緒が確かにあると思います。
・図書館
紙とインクの匂い。本屋と違って商売的な意図を感じさせない佇まい。人間が生み出す煩雑なノイズがなくて、時間が停滞している錯覚すら引き起こす空間。
そこに本が在るという事実しかないのが心地よいですね。
ただ、そこに在る。それ以上でも以下でもない。
人間の意図がくっついていないのがいい。
遠くから聞こえるパラパラとページをめくる音。
パソコンのキーボードを叩く音。誰かが椅子を引き、荷物を置く音。
多くの人が図書館という場所の居心地を尊重している一体感なんかも美しくて好きです。
◯受容される私を目指す
こんなふうに自分の感覚や価値観を大切にできることは素敵なことです。しかし、それを受け入れてもらえるかどうかは別問題です。
「楽しいことが好き」とか、ざっくりとした感覚で生きているのであれば、そこまで困りませんが、私のようにこだわりの強い価値観や感覚を持っていると理解してもらえないことの方が多いですね。
で、この感覚は誰もが持っているはずです。普段は出てきていないだけで、独自の感覚みたいなものは確実にあります。
この感覚を共有できたら嬉しいのですが、なかなか難しいものです。なぜなら、理解できないことを相手に受け入れてもらうためには、受け入れようとするエネルギーが必要だからです。
いつも不機嫌な人が「自分のことをわかってくれる人がいない」とぼやいていても、なんとなく「それはそうでしょうよ」と思ってしまう部分ってあると思うんですね。初対面で、この人の考えを丁寧に聞いて受け入れようって思える人は少数派でしょう。
また、自分と合わない人には「近寄りたくないなぁ」と感じてしまいます。
相手に私を受け入れてもらう時、相手は自分とは違う価値観を受け入れようとしてくれているわけです。ですから、相手から知りたいと思ってもらえる人柄であったり、深い関係になったりと、「受け入れてもいい」と思われる状態ができていなければなりません。
ここで注意していただきたいのが、受け入れてもらえる私というのは、自分にとって胸を張れる私のことではありません。自分に自信があることと、相手が知りたくなるかどうかは別問題です。
相手にとって知りたくなるとか、ポジティブな存在であることが求められるわけです。受け入れてもらうって、本当に難しいですね。
ちなみに、私は自分のことは受け入れて欲しいのに、相手のことは受け入れないなんて筋が通っていないように感じてしまいます。ですから、私は受け入れてもらえる私であろうとする姿勢を持ちながら、さらに先に相手を丁寧に受け入れるように意識をしています。
◯受容の美学
個人の価値観や仕事も含めて、自分の内側にあるものをしっかりと理解してもらえるというのは嬉しいものです。受容してもらえるだけで、自分が一人ではないという感覚が芽生えますね。
しかし、その価値観や考え方というのは、生まれ育った環境や出会った人、経験したことによって左右されます。誰一人として同じものを持っていないので、同じような価値観だったとしても、その価値観が持つニュアンスは絶対にズレが出てきます。
その些細な違いを見つけ出せるかどうか、理解できるかどうか、楽しめるかどうかが受容の深さにつながっていくのです。
例えば、「楽しいことが好き」というのは抽象的です。自分も同じだと言える範囲が広いでしょう。
では、同じ楽しいことでも「みんなで一緒に楽しむ」のが好きだとか、「映画鑑賞が楽しい」とか、「フットボールが楽しい」とか、具体的にしてみるとどうでしょうか?
さらに、その人だけが感じている感覚まで深掘りしてみるとどうなるでしょうか?
それは誰にも共有できない経験に基づいた、その人だけが持つ特有の感覚になっていきます。
私は、そうした普段人目に触れることがない感覚や価値観を、その人の感じている感覚のまま受け取る姿勢こそが大切なのだと思っています。ありのまま100%理解できるわけではなくても、誰よりも深く精微に理解することには挑戦できますからね。
これが私の受容の美学。
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