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人付き合いが苦手 綺麗事嫌い 無知は恐怖 動物大好き 猫愛が止まらない

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最近の記事

脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録⑧3度目の手術、高校卒業と後遺症〜現在

6月の定期MRI検査後のある日、息子が趣味のウクレレを弾いていると、左手に違和感があると言う。 左手の指が思うように動かないと言うのだ。 弦を押さえる小指に力が入らない、と。 ただの疲れかもしれない、とこの時点では言っていた息子だが、その症状は日を追うごとに悪化し、パソコンや点字電子手帳などの軽いキーさえ打てなくなって来た。  主治医にメールし状況を説明して、8月に再度MRI検査をすると、やはり嚢胞様の塊は益々存在感を増していて、自然消滅の兆候は見られない。 嚢胞による圧

    • 脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録⑦盲学校での日々、そして再々発

      携帯電話が鳴った瞬間、何故か「ああ、ついにこの日が来たんだ」と、応答する前に感じた。 2011年3月7日の午前中、スクールナースからの電話。 「彼の視力が限界なようなの。 トイレに篭って10分くらい泣いていたみたいなんだけど、医務室に来てからは落ち着いているから安心して。もう移動は不可能だから、とりあえず迎えに来れる?」 私は取るものもとり敢えず、家を飛び出した。 確かこの日の前日、3月の東京には珍しい大雪だったせいで、道にはかなりの雪が残っており、飛んで行きたい気持ち

      • 脳腫瘍で光を失った息子と歩んだ15年の備忘録⑥2度目の手術、そして失っていくもの

        手術当日、手術棟まで歩いて向かう息子に付き添うも、前回と違い、母親の入室は許されなかった。 今回もまた、オペ室まで同行できるものと思っていたのだが、自動扉の前で息子を見送らざるを得ない事になった。 その事実を知った息子の顔は不安で一杯になり、今にも泣き出しそうだ。 いってらっしゃい、待ってるからね、の声かけに一度振り返った息子の目からは涙が溢れていた。 意を決して自動扉の向こうへ足を踏み入れる様を見つめていた私は、ドアが閉まった途端泣き崩れた。 もう嫌だ。 胸が張り裂けそう

        • 脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録⑤再発

          退院後の息子はすぐに復学し、6月上旬迄の1カ月休まず登校し、全教科キャッチアップして、5年生を無事修了した。 息子の学校は3カ月間の長い夏休みがあるが、最初の3週間は、希望すればサマースクールと呼ばれる夏季講座に参加できる。 そこでは通常の学科以外にも、フォトグラフィや料理、野球や水泳などのスポーツまで、様々なクラスを受講できる。 息子も興味のあるクラスを選択してこのサマースクールを楽しんだ。 7月には恒例の母子ハワイ旅行、8月にはこれまた恒例の、元夫との渡伊で、ローマ

        脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録⑧3度目の手術、高校卒業と後遺症〜現在

        • 脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録⑦盲学校での日々、そして再々発

        • 脳腫瘍で光を失った息子と歩んだ15年の備忘録⑥2度目の手術、そして失っていくもの

        • 脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録⑤再発

          脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録④退院までの1カ月半

          一晩ICUで過ごした後、無事病棟に戻った息子。 医師や同室のお母さん達から、そうなる事は聞いてはいたけれど、数日間はみるみる顔が腫れ上がり、ボコボコに殴られたボクサーのような顔になった息子を見ると、やっぱり胸が痛む。 水を飲む事さえNGだった2日間は本当にかわいそうで、見えないようにカーテンでベッドを仕切ったところで、漏れ漂う食事の匂いはさぞ辛かっただろう。 徐々に、飴や水分OKが出て、柔らかい食事から採れるようになっていくと体力も回復。 リハビリも開始された。 ところで息

          脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録④退院までの1カ月半

          脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録③手術

          2006年3月30日の入院からの10日間は、諸々の術前検査やらカンファやら山のような承諾書へのサインやら、怒涛の勢いで過ぎて行った。 それにしても、この病棟の子供たちのかわいいこと。 皆それぞれ脳腫瘍や脳血管疾患を抱えて治療中なのだが、散々な目に遭っているにも関わらず、そんなことを微塵も感じさせない笑顔を見ると、心が洗われる気がする。 どうしてこんな良い子達が恐ろしい病に冒されなければならないのか。 世の中には極悪非道な人間など山ほどいるじゃないか。そんな連中が病に見舞わ

          脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録③手術

          脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録②入院

          眼科医に衝撃的な病名を告げられた翌日、息子は同じ大学病院の脳神経外科でMRI検査を受けた。 息子が2歳の時に離婚した元夫も駆けつけ共に結果を待つ。 実は、どんな結果であろうとも、この大学病院で息子を診て貰う気持ちはなかった。とりあえず直ぐに検査が受けられる状況にあった為受診したが、小児脳腫瘍を知り尽くし、その時点で千数百回もの手術数を数え、小児患者を救ってきた名医のブログには、どのような術式で手術するのか、そもそも手術が最善か否か、最初の一歩が何よりも大切で、その後の患者の

          脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録②入院

          脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録①病気発覚

          今となっては現実とは思えない、怒涛の15年の記憶を引っ張り出せたものか自信がないが、ゆっくり思い出しながら書き残してみようと思い立った。 息子は当時小学5年生の10歳。2年生、3年生、そして4年生の時も、学校の視力検査で視力の急激な低下を指摘され、その都度近所の眼科で検査を受けていたが、医者は、「まぁこの年頃の子はゲームだPCだで目を酷使していますからねぇ。あまり長時間ゲームさせたりしないように。」と、全くシリアス感を伴わない診察結果。 「いやいや先生、ゲームは1日30分

          脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録①病気発覚