脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録④退院までの1カ月半

一晩ICUで過ごした後、無事病棟に戻った息子。 医師や同室のお母さん達から、そうなる事は聞いてはいたけれど、数日間はみるみる顔が腫れ上がり、ボコボコに殴られたボクサーのような顔になった息子を見ると、やっぱり胸が痛む。 水を飲む事さえNGだった2日間は本当にかわいそうで、見えないようにカーテンでベッドを仕切ったところで、漏れ漂う食事の匂いはさぞ辛かっただろう。 徐々に、飴や水分OKが出て、柔らかい食事から採れるようになっていくと体力も回復。 リハビリも開始された。

ところで息子は、父親がイタリア人のハーフである為、「この見た目で英語が話せないと将来バカにされちゃうかも。」と、3歳の頃に軽い気持ちで入れたインターナショナルキンダーガーデンから、結局そのまま小中高一貫教育のインターナショナルスクールへ進学し、この当時は5年生の最終学期。 単位を取得できなければ容赦無く留年させられる。

運動神経はあまり良いとは言えなかったが、勉強だけは良く出来る子だった。 息子の入院にあたり、担任教師や小学部校長と話し合い、入院中に実施される多くのテストは免除してもらえるという事になった。 ありがたい。 但しそれに替わるレポートや毎日の宿題は病室で行い、提出しなければならない。  

ここからは母である私の出番だ。 毎日学校終わりの時間に教室までそれらプリントを受け取りに通い、温存された視力0、2の右目だけで文字が読めるよう、小さすぎる文字のプリントをコンビニで拡大コピーして病室の息子へせっせと届けた。

術後数日は多少記憶の混乱などが起きていた為頭を休ませていたが、1週間後にはリハビリや検査の合間に、すべての課題を怒涛の勢いで消化していった。 

病理の結果判明した視神経膠腫は、一般的に再発はしない予後良好なケースが多いが、脳の視床下部に発生する為、ホルモン分泌を激しく阻害する。 男性ホルモン、副腎皮質ホルモン、甲状腺ホルモン等、生命維持に必要なホルモンは一生服薬を続けなければならない。 但し自己注射となる成長ホルモンに関しては、術後すぐに始めると脳腫瘍の再発を促す可能性があると言う研究結果もあるようで、1、2年は様子を見てから開始すべきか否かを見極める事となった。

右目だけとは言え、そして矯正もできず視野も半分欠損しているとは言え、0、2の視力が温存された事に心底安心した。 半球形の文字拡大レンズや、学校でホワイトボードを見る時など多少距離のある文字を読む為の単眼鏡などを使いこなせば、愛着のある母校への通学も続けられる。

いよいよ退院となる5月15日を迎えた私達親子は、これからの息子が、多少不自由があっても、通常の生活に戻り、明るい将来に向かって歩いて行けると信じて疑わなかった。 これが単なる序章である事など、知る術はなかった。

(2006年7月、退院2カ月後、ハワイにて)

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