脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録⑤再発

退院後の息子はすぐに復学し、6月上旬迄の1カ月休まず登校し、全教科キャッチアップして、5年生を無事修了した。

息子の学校は3カ月間の長い夏休みがあるが、最初の3週間は、希望すればサマースクールと呼ばれる夏季講座に参加できる。

そこでは通常の学科以外にも、フォトグラフィや料理、野球や水泳などのスポーツまで、様々なクラスを受講できる。 息子も興味のあるクラスを選択してこのサマースクールを楽しんだ。

7月には恒例の母子ハワイ旅行、8月にはこれまた恒例の、元夫との渡伊で、ローマ郊外に住む祖父母との時間を楽しく過ごした。 

9月には6年生となり、小学部最後の年を迎えた。 弱視であり、ホルモン分泌機能障害という後遺症も抱えていたが、スクールナースの女性は常に息子の事を気に留めてくれていた。 母親である私とも密に連絡を取り合い、支え続けてくれた。

(この先もずっと、彼女はなくてはならない大きな存在となる。 息子が今後、視力の限界までこの学校で学び続けられたのは、彼女のお陰と言っても過言ではない。)

全てが順調と思われたが、その日は突然やってきた。 

2007年6月、息子が頻繁に頭痛を訴え、睡魔に襲われるようになり、定期的に行われていたMRI検査を前倒して行った結果、主治医から告げられたのは腫瘍の再燃。 

腫瘍は増大し、出血も見られると言う。 つい2カ月前のMRIでは落ち着いていたのに何故...。 順調過ぎる程順調だったのに。 視神経膠腫に於ける再発は殆どないのではなかったのか。 たった1年でまた息子は辛い思いをしなければならないのか。

主治医からは再摘出手術、放射線治療、化学療法の三つの選択肢がある事を伝えられたが、話し合いの結果、予後を考えれば再手術が最良と思われた。

実はこの時、翌7月にハワイの高校のサマースクールへ通う事が決まっており、当然キャンセルして手術に臨む事になるだろうと思っていたが、主治医からは、「1カ月やそこらで急変するような状態ではないし、予定通り行って楽しんでおいで。 今は病棟が混み合っているし、術後は1度目のような長丁場にはならないから、長い夏休みを利用すれば9月の中学部入学にもきっと間に合うよ。」との言葉。 本当に大丈夫なのだろうか。 息子は行きたがっている。 もうこうなったら主治医の言葉を信じるしかない。

結局予定通りハワイへ飛び、息子はホノルル市内の高校へ3週間通った。 

空港で調達したレンタカーを長期レンタルし、毎日学校への送迎に使った。 初日は、巨大なキャンパスを誇るマンモス校に気後れし、僅かな視力でそれぞれの教室への移動ができるのか不安がっていたが、次第に友人もでき、学校にも慣れて来て楽しそうに通っていた。

ただ、日に日に意識が保てなくなりつつあって、学校終わりに迎えに行くと、毎日車に乗り込んだ瞬間眠りに落ちていた。 私にとっては、毎日気が気ではない。 こんな所で学校へ行ってる場合なのか? 一刻も早く治療にあたった方が良かったのではないか? 息子の朦朧とした表情を見るたび、ハワイに来たことを後悔していた。

なんとかサマースクールを終え帰国すると、例年なら元夫と共にイタリアの祖父母を訪れるところだが、入院再手術の為叶わないので、祖父母の方から息子に会いに来てくれた。

2007年7月24日入院、31日再手術となった。 
もうこれで終わりにして欲しい。 そう願うしかなかった。

(2007年6月 ハワイにて ウクレレ初挑戦 数回のレッスンを受けマイウクレレ購入)

(2007年7月 イタリアから祖父母が息子を見舞う為来日)

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