脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録③手術

2006年3月30日の入院からの10日間は、諸々の術前検査やらカンファやら山のような承諾書へのサインやら、怒涛の勢いで過ぎて行った。

それにしても、この病棟の子供たちのかわいいこと。 皆それぞれ脳腫瘍や脳血管疾患を抱えて治療中なのだが、散々な目に遭っているにも関わらず、そんなことを微塵も感じさせない笑顔を見ると、心が洗われる気がする。 どうしてこんな良い子達が恐ろしい病に冒されなければならないのか。

世の中には極悪非道な人間など山ほどいるじゃないか。そんな連中が病に見舞われればいいのに。 神も仏もありゃしない。

息子は同室の男の子二人となにやらジャレ合い楽しそうに過ごしている。 手術前の緊張感など感じさせない。 唯一、手術数日前に、看護師にバリカンで髪を剃られた時には、鏡の中の坊主姿を見た瞬間ホロリとなり、掛布団を頭から被って泣き顔を見せまいとしていた。
そんな息子を見ると心が痛かった。

4月10日、手術当日。 この病院ではアメリカ帰りの主治医の提案で、小学生以下の子供の手術の場合、手術室に親も一緒に入室でき、麻酔で意識がなくなるまで見守る事ができる。子供を安心させる為のありがたい配慮だ。

息子は怯えた様子も見せず、寧ろ手術室の様々な機械に興味津々。 「先生、これは何の機械?」などと質問している。 主治医も明るくそれに応え、今から恐ろしい腫瘍摘出手術が行われるとは思えない様な雰囲気だ。 

私も努めて平静な笑顔を作り息子のおしゃべりに付き合うが、麻酔が効き始め呂律が回らなくなった息子の、「あれ?天井がグルグルしてる...」との言葉を最後に、すっと意識が遠のく寝顔を見ていると、突如涙が、滝のような勢いで溢れ出て、オペナースからティッシュの箱をそっと渡された。 (がんばれ、がんばれ、がんばれ... ) と心の中で唱えながら、息子をドクター達に託して退出した。

朝9時にスタートしたオペが終わるまで、家族の待合いスペースで待機するわけだが、恐らく夜までかかるであろう手術の、不測の事態や途中経過の連絡に備える待機を、流石に私一人では無理だと思い、母と元夫と3人でシフトを組んで行った。 結局何の情報も得られないまま、夜9時を回った頃だったか、看護師から 「無事終わって、後は閉じるだけですよ。」との連絡が。 ああ、よかった。
生きた心地がしない、地獄のような時間が遂に終わった。

もうまもなく日付を跨ごうかという頃、ICUに移され、術後管理下で意識が戻り始めた息子のベッドを主治医、母、私が囲み、(元夫は明日も早いからと既に去っていた) 主治医から病理の結果、腫瘍が視神経膠腫である事、複雑に視神経に絡みつき浸潤している事、視力温存の為、視神経を残して出来る限りの腫瘍を取り切った事を知らされた。 想定以上の出来なので、まずは安心してください、と。
朦朧としながらも息子は 「あ、ママ。 ばあちゃんも。」 としっかり発語があり胸を撫で下ろした。

主治医が「名前言える?今どこか分かる?」と息子の肩をポンポン叩きながら聞くと、不愉快そうに、だがしっかりと答える。 そこへ執刀医の大先生がやって来て、たまたま主治医と同じ質問を投げかけられた息子は、今答えただろうが!と思ったのか、「うるさい!」の一言。

「うゎ、大先生にうるさいって! お前大物になるぞ!」と嬉しそうに言う主治医の言葉に、本来重苦しい空気が流れているはずのICUに小さな笑い声が漏れた。

(手術前日の坊主頭の息子)


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