脳腫瘍で光を失った息子と共に歩んだ15年の備忘録①病気発覚

今となっては現実とは思えない、怒涛の15年の記憶を引っ張り出せたものか自信がないが、ゆっくり思い出しながら書き残してみようと思い立った。

息子は当時小学5年生の10歳。2年生、3年生、そして4年生の時も、学校の視力検査で視力の急激な低下を指摘され、その都度近所の眼科で検査を受けていたが、医者は、「まぁこの年頃の子はゲームだPCだで目を酷使していますからねぇ。あまり長時間ゲームさせたりしないように。」と、全くシリアス感を伴わない診察結果。

「いやいや先生、ゲームは1日30分以内しか許していないのですよ。家族性で見ても、私も息子の父親も近視はありませんし。」と訴えたが、3年に渡り毎回同じ事を言われただけで、眼鏡の処方箋を書いて貰うに留まった。

今思い返せば、何故あの時、大学病院の眼科への紹介状を自ら強硬に依頼しなかったのか悔やまれるところだが、まぁそうした所で今とは違う結果になったかどうかは分からない。

そんな折、親しくしていたママ友から、装着して夜寝るだけで驚異の視力回復が期待されるという、何やら怪しげなコンタクトレンズを作りに行こうと誘われ、乗り気ではなかったが断りきれず同行することになった。

コンタクトを作るにあたり、まずは装着可能な状態か否か見極める為の検査をする事になり、検査後医師から告げられたのは、「お母さん、息子さんの左目は殆ど視力がありません。右目も0、3程度の視力しかありません。一度大学病院で検査される事を強くお勧めします。」という内容。 え、見えてない? そこまで酷い状態なの? 毎年眼科で検査していたのに?
心臓がバクバクして手の震えが止まらなかった。

早速徒歩で行けるほど近くにある大きな大学病院の眼科へ息子を連れて行く事にした。

何度も何度も瞳孔を開く目薬を刺され、様々な検査が数日に分けて行われ、左目の視力はほぼゼロ、右目は0、3の低視力のみならず、視野が半分欠損という結果に対し、原因が皆目分からないと頭を抱える医師が決断した最後の検査は頭部CTだった。え?何で頭? この医者は何を言っているのか? その頃は、息子は滅多に風邪もひかない健康優良児だと思い込んでいた私にとって、脳のCTなど一体全体何の可能性を考えて行うのか知る由もないわけで。

連日の様々な検査や長い待ち時間に疲弊していた私達親子に突きつけられた結果は余りにも残酷で信じがたいものだった。

診察室へはお母さんお一人で、と言われ、息子は待合室で一人座って待っていた。何やら不穏な空気を感じつつ入室すると、医者は一旦深呼吸し、「お母さん、落ち着いて聞いて下さいね。」と前置きを入れた上で、脳の視床下部に腫瘍のような物が見受けられると告げた。「僕は脳外科医ではないので絶対腫瘍だとは言い切れませんが恐らく。」と。

え? 脳腫瘍? 何それ、え? もう脚がガクガクして立って居られず腰砕けのように、その場にへたり込んでしまった。その頃、脳腫瘍だなんて、死に直結する恐ろしい病だと思い混んでいたし、自分達には一生関わる事のないワードだと思っていたから、受け入れる準備など全くできてやしなかった。

親の前でも涙など見せた事もなかった私の目からは、ポロポロと涙が流れ落ち、「息子は死んじゃうんですか?」との私の問いに、「画像診断の医師に写真を見てもらって意見を聞きたいですか? 1時間程度お待ちいただけるなら、写真見せてきますよ。」と。

とりあえず平常を装い、隣に住む母に電話をかけ、息子を迎えに来て先に家に連れ帰ってもらった。

画像診断の医師によれば、やはり脳腫瘍である事は間違いないが、MRI撮影などでより詳しい検査をしなければ、どういった種類の腫瘍なのか分からない。 脳腫瘍と言っても摘出してしまえば予後良好なものもあるし、明日脳外科でしっかり診てもらって下さいとの事だった。

そうか。 脳腫瘍イコール死ではないのだ。
泣いている場合ではない。

その晩から私はPCの前に座り、寝る事も忘れて検索しまくった。 小児脳腫瘍を専門に治療する医師のブログ、脳腫瘍の子を持つお父さんの闘病記録、神の手と呼ばれる脳外科医の紹介ページ。

絶対治そうね。 絶対治る。

私達親子の、
長い長い闘いの火蓋は切って落とされた。

脳腫瘍発覚直前、10歳の息子。
(親バカに違いないが) とても美しい、賢い子だった。


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